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「... 此の心悪しき子の心荒こころあらびるは、水神匏みづのかみひさご埴山姫はにやまひめ川菜かはなを持てしづまつれと、事教ことをしへさとし給ひき、 此れに依りて稱辭竟たたへごとをへ奉らば... 」


朋樹の祝詞が続く中、瞼を閉じたままのルカを挟み、月夜見がカグツチを見つめている。


「近くに大祭を執り行う。

兄よ。お前がいなければ、俺は生まれなかった。

我が幽世かくりよにも参るが良い」


炎の人が顔を上げた。


「... 横山よこやまの如く置き高成たかなして、天津あまつ祝詞のりとふと祝詞事のりとごとを以ちて、稱辭竟たたへごとをへつらくとをす」


祝詞が終わると、炎は笑って消えた。


「榊」と、月夜見が呼ぶと

界の扉が顕れ、内側から扉が開く。

榊が扉の前に立った。


「これのたまを戻す」


月夜見は普通に言うが、ルカのことだ。

仮死状態だったのか?


「月より現身うつしみに還れ」


ルカの頭から離した手を 肩に置くと

腰を折り、閉じたままの瞼に くちづけている。

何故か皇帝がムッとするが、ルカが瞼を開けた。


「... おおう?!」


思いのほか、月夜見の顔が近くにあったことに

ルカはビビっているが、全然 元気そうだ。


「面に触れる!」


ベルゼが、闇色に染まった牛の頭蓋を拾って

ハティやシェムハザと観察している。


「中にいる」

「残りを封じることが出来たということだ!」

「見事だ、月夜見」


おお、すげぇ!

モレクを封じちまったんだ!


「えっ、すごいな闇靄!」


ミカエルが言うと、月夜見は 眉をしかめ

祭壇から降りながら

「だが、永久ではない。一時的なものだ。

靄が薄れれば、それは外に出る」と

物騒なことを言う。


「身体を滅する他ない ということでしょうか?」


朋樹が聞くと

「それしかあるまいな。靄が効かなくなる恐れもある。“試し” と言うたであろう?

上手くはいったが、通常の封じではない。

通常の封じは効かんとみえるからな」と 答えた。


「だが、それすら手がなかった。素晴らしい」


ベルゼが誉めると、月夜見は御神衣かんみその袖の中に腕を組み、少し得意顔だ。


「榊や浅黄は、扉を通して里に連れて戻るが

少し出て来ると良い。糸は まだ離すな」


幽世の扉から、界の番人姿の榊と

袴姿の浅黄が出て来た。

榊は泣いていたようで、眼が赤くなっている。


浅黄は しょげていて、黒耳も下向きだ。

「すまぬ。此度は、俺の不用意な行いで... 」と

謝るのを見て、また胸と目頭が熱くなった。


「いいんだよ、もう!」と 朋樹が背中をパンパン叩き「おかえりぃ!」と、ルカがハグする。

「浅黄」と微笑んで、近付きたいジェイドは

皇帝に離してもらえなかったが

皇帝の眼は、食い入るように榊に向けられていたので、こらえてくれ... と、オレは思ってしまった。


「よう」と、浅黄の頬を指でつねると

「うむ」と、浅黄は眼を赤くする。

一度首を落とされた榊が、幽世から戻った時

榊は浅黄の頬を、こうしてつねってた。

浅黄は自分が戻っても つねられる方だ。


「浅黄」


ボティスが呼ぶと、浅黄は安堵の表情になった。

ゴールドの眼で 榊を示すので

シェムハザが榊の肩を抱くと、ボティスと浅黄は

手首の糸を伸ばしながら、話をしに歩いて行く。

仲良いよな...


「良かったな、榊」

「オレらも良かったけどさぁ」


「ふむ... 」


まだ良く話せないらしく、両手に顔をうずめている。


「ボティスの恋人だって聞く」と

ベルゼとハティも来て


「うん、サカキ。良かったな」と

ミカエルが榊の頭を撫でると、シェムハザが

さりげなくミカエルに 榊を預けた。


最初はピンときてなかった ミカエルも

割と近くに皇帝がいたのを見て

「寄るなよ、ルシフェル」と、榊を片翼に包み

「樹の穴に鳥がいたから、見に行こうぜ」と

榊を連れて、森に歩いて行った。


甕星みかぼし


めずらしく、月夜見の方から

皇帝に話し掛けている。


皇帝は、肩を抱いているジェイドの頭にもたれかかるように、自分の頭を横倒しにして

榊を眼で追っていたが

つまらなそうな顔で、月夜見に 視線だけ移した。


軻遇突智かぐつちを “ミカ” と呼んでいたな?」


「ふん?」


あっ。なんか、とぼけてる感じだ。


「そういえば、他国で遊んできた って

聞いたことがある」


長い 二本角のモレクの牛の頭蓋を、ハティに預けながら、ベルゼが言うと

「そうだったか?」と、頭を起こした。


「そうか。軻遇突智の神は、古事記では

炫毘古かがやびこの神” という名も書かれてる」


“... 夜芸速男やぎはやおの神を生みたまひき。またの名は炫毘古かがやびこの神といひ、またの名は迦具土かぐつちの神といふ... ”


炫毘古かがやびこの神の “かがや” ってのは、輝いている働きのことを言うんだ。“みか” に通じる」


天津甕星あまつみかぼし... 日本書紀に記載がある金星の神だ。

天津神たちが地上平定をする際、最後まで抵抗した という、“他” の 天津神。

日本の神じゃないらしいんだよな...


月夜見が、ジェイドに眼をやると

「ルシファー、説明を」と、ジェイドが促す。


皇帝が 肩を抱いたまま、ふいっと横を横を向くと

「日本書紀や古事記は 僕も読んだ。

“甕星” になった時のことを、今度 詳しく聞きたい。ワインと 一緒に」と 誘ってみている。


「ミカは この国で、初めに出会った神だ」


うお...  あっさり話し出したぜ...


「“国神同士で揉めている” と、噂を聞き

俺は、極東に浮かぶ この国に入ってみた。

さて どちらに つこうか。

それとも、どちらも 一人で相手をするか... と

考えていた」


危ねぇ... どっちもやられる可能性があったのか...

他神って、なかなか殺れねぇらしいし

他界に手は出せねぇらしいから

皇帝にやられるとしたら、下手すると全下僕化してた ってことだよな...


「この国に着いたのは日が明けたばかりだった。

コメや野菜を作る土の間を歩いたが、まだ人も犬すらも見掛けん。だが、炎がいた。

俺は近付いて声を掛け、国のことを聞いた。

すると炎は、“あまの神等が地上の神等に、国を譲れと言っている” と答えた。

天の者が、地上を支配しようとしている... とだ」


凛々しい眉の下の 整った長い睫毛が縁取る碧眼が厳しくなる。地上平定... 国譲りの話だ。

皇帝が考えてることと、ちょっと違う気がするんだけどな...


「俺は炎に、“お前は参戦しないのか?” と問うた。炎は、国の火の神だと言っていたからだ。

だが、“父に斬り殺され、あまから堕ちた” と... 」


やばい。

“天” とか、“父” とか、揃い出してる気がする。


「ミカは天の神であるのに、地上に さ迷っていた! 母殺しの罪だと言うが、好きで炎に生まれた訳ではない!

俺は憤った。地上軍で参戦すると決めた。

ミカの無念を晴らす、と。

だがミカは、“父や母を愛している” と... 」


「ルシファー... 」


ベルゼが眼鏡を出して、皇帝に渡す。わからん。

けど、皇帝は受け取って掛けた。

ベルゼの眼鏡は、皇帝でも優しげに見えることは

わかったけどさ。


「俺は強く感銘を受け、共感した。

ミカは愛されたかったのだ!」


月夜見が感じ入った顔になったが

これはオレも、わからないことはない。

そしていつの間にか、皆 黙って 話を聞いていた。


「俺はミカに、名を付けるように言った。

参戦する際の この国の神の名だ。

“お前の名から付けてくれ” と。

すぐに殺されたにも関わらず、幾つかの名を持つ

ミカは 少し考え、“どこの神だ?” と俺に聞いた。

“天津国か?” と。 俺は “違う” と答え

“他の天から堕ちた” と話し、空を指した。

明けの空には、金星が輝いていた。

それで、“甕星” となったのだ」


なるほど、だから “他の天津神” なのか...


「突然の俺の参戦に、天の神は勿論、地上の神すら戸惑っていた。だが、術が効かん。

翼を開けば、ミカがいる この国を沈めてしまう。

俺は、剣と口先で戦うこととなった。

エキサイティングな経験だった」


月夜見は、思い出したことがあるようで

複雑な表情をしている。

朋樹が すげぇ楽しそうだ。神話の裏話だしな。


「地上の神等の中には、ねばった者もいたが

次々に降伏していった。

だが俺は “国は渡さん” と、最後まで抵抗した。

そろそろ高天原とやらに乗り込んでやろうと考えていた矢先、ミカが俺の元に来た。

そして “もう よそう” などと言ったのだ。

理由を問うと、“地上に天から神が降りる。

兄弟たちは、地上を守護するつもりでいるのだ” と

... 聖子の降臨という訳だ。

“俺も国を守護したい。甕星、ありがとう” と」


カグツチが退かせたのか...


「ミカは最初から、天に復讐など考えていなかった。

ミカと自分を重ねた俺の心のために、俺の参戦を許容したことを、この時に知った。

最終的に、女が俺を説得に来た。

“ミカを疎むことがあれば、軍と天に乗り込む” と

俺は退いた」


しっかりおどしは かけて退くようだが

単に遊んだだけじゃなかったんだな。

でも、最初は “揉めてる” って聞いて来てるんだし

結果論だよな。


「ミカは、シャイな男だが

父や母も 兄弟神も、この国の人間も愛している。

火を使う時は、ミカをうやまえ」


「心した」と 月夜見が答えると

皇帝は眼鏡を外し、ベルゼに返した。


ミカエルと榊が、両手いっぱいにアケビ持って

食いながら戻って来る。

「皮も食せるのじゃ。里で調理してもらう故」と

ミカエルから受け取り

月夜見様きみさま」と、一際 立派なアケビを

月夜見に献上した。


ちょうど浅黄とボティスも戻ってくると

「玄翁の元へ行く」と、月夜見が ボティスに断り

また ハティやシェムハザに礼を言われながら

先に幽世の扉へ入る。


「またすぐ里に行くしさぁ」

「帰って ゆっくりしとけよ」と、オレらも浅黄に言い、ボティスにも 榊がアケビを渡している。


榊は「里で」と言うボティスに「ふむ」と笑って

扉へ入り「火が乏しくなった故」と、狐火を幾つか浮かせて、扉を閉じた。


ベルゼから、モレクの牛の頭蓋を受け取ったハティが「そろそろ... 」と、皇帝を地界へ促す。


「そうだな。奈落からハダトの身体を引っ張り出す 計画を立てないと。ルシファー、お前の城へ行こう。この丸い火を幾つか貰って」


ベルゼに言われると、皇帝も知らん顔は出来ないようだ。


「ジェイド」


「また召喚部屋で、甕星の話を。ワインとね」


ジェイドが答えると、皇帝は安心した表情になり

「シェミー」と、白い炎の魂を手のひらに出してシェムハザに飲ませた。

取っておくはずのキスを ボティスにすると

ハティやベルゼ、狐火の幾つかと 一緒に、機嫌良く消えた。

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