イシュの肋骨 7


********




「まあ、ハティさんと恋の話を?」


「そう。ハティは “幾度も” 恋をしたって言うんだ。女性と」


私が言うと

「不思議。ハティさんが なんて、まったく想像がつかないわね...

だけど考えてみると、知的な女性にモテそうだわ」って、サイフォンの仕度をしながら言った。


沙耶夏と お店にいる。


お昼の忙しい時間が過ぎて

夕方の占いの時間の前。


以前は、朋樹たちが仕事で出ていると

一人で仕入れ外の買い物もして、仕込みをして

占いもして、と 大変だったようだけど

買い物は、私が消えて顕れて済ませば

ほんの短い時間で済むし

仕込みも 二人でするから、休憩時間が取れる。


「あなたがいてくれて、本当に助かってる!」


沙耶夏は そう言ってくれるし

一緒に暮らしているのに、お給料までくれる。


地上では、何をするにも お金がいる。

「お金はいらない、生活費に充てて」と 断っても

「そんなの、私が納得いかないわ。

生活に必要な分は、予め引いているのよ」って

沙耶夏は退かなかった。


私は、ゾイの身体と結び付いてから

下級天使を滅するほどの能力を持ったけど

元の天使としての能力といえば、簡単な催眠や

多少の癒し、悪魔に対抗する力だけ。


けれど、沙耶夏ほどでは全然ないけど

霊視力のようなものも備わっていることがわかった。

人間相手に限定してのことだけど、その人がしたことや、無くしたと思っているものが どこにあるのかがわかる。


それで、占いの手伝いもする。

沙耶夏は 30分、本格的な時間を取った占いだけど

私の場合は「それならここにあります」とか

ただ教えるだけだから、1200円のランチか

650円のデザートセットの おまけに付けて

どの時間でもやってる。


「右の押し入れの下の段の、奥の段ボール箱に入った、お菓子の白い箱の中にあります」と

細かく言えるから、なかなか好評。

それで、余分にケーキなんかを焼くことになって

朝は いつも、お店は甘い匂いがする。


「今日は、昨夜 焼いた ロールケーキの生地が落ち着いて食べ頃ね。切り分けておきましょう。

泰河くんたちが、お客さんを連れて来るって言うの」


「お客さん?」


「ええ。露ちゃんに降りてるんですって。

とっても有名な天使さんだから、きっと あなたも知っ... 」

「沙ー耶さーん!」


ドアベルが鳴るのと同時に、ルカが言う。


「よう沙耶ちゃん、ゾイ」

「こんにちは、沙耶夏さん」

「ゾイ おまえ、しっかりバイトしてんのか?」


お店は、いつも通りに騒がしくなって

カウンターと、その前のテーブルが

一気に ごちゃごちゃする。


ボティスは いつも、他のテーブルからは

背中しか見えない位置に座るのだけど

それでも、絶対に眼を引く。


露が入って来る。碧い眼をして。

天使でも悪魔でも、誰でも知ってる魂の感覚。

ミカエルだ...


沙耶夏が、テーブルに乗っていい って言うと

露に降りたミカエルは、テーブルに飛び乗った。


『お前、何だ?』


ミカエルの碧い眼が、私に向いて聞くけど

こんな 間近で会えるなんて...


「元は 天使です... 」と、なんとか答えると

「話してなかったな」って、ボティスが

ミカエルに、私の説明をしてくれる。


遠目に見たことだって、何度かしかないのに。

私に、話し掛けてくれた...


『成り代わりか。じゃあ サリエルは

今こいつの中身の姿なんだな?』


「そうだ。多少 肌に模様が付いている恐れはある。ウリエルと同体に戻った恐れもある」


『お前、ちょっと来いよ』


ミカエルが、私を呼ぶ。

テーブルの隣に しゃがむと、額に触った。


まあるく、弾けるような弾力のある感触は

露の肉球のものだけれど、でも、私に触れた。


『“ファシエル” か。これになったんだったら

サリエルはマシになったな』


どうしよう...  名前まで...


「珈琲」と言われて、はっと 我に返って

カウンターに入り、珈琲を皆に出す。


テーブルでは、沙耶夏が霊視を始めてるけど

私はまだ、ミカエルばかりを見てしまう。


もしマリエルが ここに居たら

泣いてしまっていたかもしれない。


でも、ミカエルを降ろせるなんて

露って すごい...


ボティスが帰って来た時、天のゲートにも

ミカエルは顔を覗かせたようだった。

その時 私は、ルシフェルに怯えていたけど

すぐ近くに居たと聞いて、ドキドキした。


突然、ボティスが

「沙耶夏、もういい。せ」って言った。


「あっ... 」


沙耶夏が、鼻や口元を覆ってる。

その手の下から血がしたたった。


「えっ! 沙耶ちゃん!」

「沙耶ちゃん!」「どうした?!」と

朋樹たちも カウンターを立つ。


急いで紙ナフキンを沙耶夏に渡す。

鼻血が出たみたい。


「ちょっと集中し過ぎちゃったみたい。

でも大丈夫よ。今 視た 二人の方も

同じ人の記憶にあるわ。顔を拭いて来るわ」と

椅子を立つ沙耶夏を

ミカエルが『待て』と 止めた。


テーブルを歩き、沙耶夏に近づくと

額に口をつける。


「“天使のキス” ってやつだ」と

ボティスが鼻を鳴らした。

「軽いものなら、癒すことが出来る」


ミカエル、出血も癒せるんだ...


『俺は、癒しはニガテだけど

このくらいなら何とかなる』


私も もっと、癒しを習得したい。

そうしたら もっと、皆の役に立てる。

シェムハザが 魂を割らなくても良くなるくらいになりたい。


ミカエルは、私に

『ラファエルなら、お前の姿を戻せるぜ。

受肉したから、天には戻せないけど』と言った。


「元の姿って?」

「ファシエルの姿ってことか?」


ルカとジェイドが聞いてる。


『そう。性別も違うだろ?』


沙耶夏は「まあ!」と、眼を輝かせてるけど

朋樹は 少し、困った顔になった。


「どうしたい?」と ボティスが聞く。


どうしたい んだろう... ?

少し 迷う。


だけど、私は「このままで」と答えた。

「サリエルが出て来た時に、混乱しそうだから」


それに、沙耶夏や榊を護りたい。

ヒスイのことも。

この身体なら、沙耶夏たちだけでなく

皆を護ることだって出来る。


『そうか。じゃあ、サリエルが片付いて

気が変わったら言えよ』と

ミカエルがあくびして、伸びをすると

二つ尾を立てた。


「はい」って、頷いたけど

きっと、このままでいると思う。


守護がしたいというのが 第一だけれど

私は それを、身体を使って出来なくなって

不要になりたくなかった。




********




『ゾイ!』と、朋樹の声が喚ぶ。


喚ばれた場所は、森の中。

目の前に白く光る球体があって、手を伸ばす。


バチッと衝撃を感じて、後ろに弾き跳ばされる。

下級天使じゃない。... メジエルだ。

マティ配属。天使軍に所属してる。


私なんかでは、とても敵わない。


メジエルが入ったのは、私の形の物。

サリエルが成り代わった身体。


こうして、自分の顔や身体を見るのは

二度目だけれど、鏡で見てきた私じゃない。


ボティスが ミカエルを召喚すると

ミカエルはゲートを開いて 飛び降り

ボティスに秤を差し出して

「罪だ!」と、メジエルを斬首した。


ほんの 一瞬のこと。一呼吸の間もなかった。


私の形の髪を握って、ぶら下げてる。

とても 形容 出来ない、妙な気分になる。


ミカエルの背に白い翼が開く。

夜でも それは眩しかった。


「ラザロだって?」


ジェイドが倒れて

シェムハザが 反魔術を掛けてる。


ハティは、まだ地上を学習してからだって言うけど、早く術も習いたい。


仕事の話をしているし、私も後で ちゃんとハティかシェムハザに聞くことになるけど

どうしても、ミカエルに見惚れてしまう。


くせっ毛のブロンド。同じ色の眉と睫毛。

明るい碧い眼と、血色のいい くちびる。


天衣の、ゴールドの肩当ての下の肩や腕、

革が巻き付く脚の形は、男の人のものだった。

こんなに近くに見たことがなくて

知らなかった。


でも もし、天で見れていたとしても

気付かなかったかも しれない、と 少し思う。


あのサンダルを、真似して履いてた。

なんだか、その時のことが遠い。


ミカエルは、遠くで見るより ずっと素敵だ。


「じゃあ、俺は そろそろ戻るぜ。

これは持って帰って、ラファエルに診せてみる」


ミカエルは、手に掴んだ髪を上に上げ

私の形の顔を見た。


「血は滲んでいるだけだ。

流れないから、聖人認定は されないな」と

無邪気な顔で笑う。


どうして、胸が疼くのだろう?


空に浮いた狐火と、首から下の身体を

アーチのゲートに通して

首をぶら下げたまま、アーチを通ると

森は、真っ暗になったような気がした。








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