イシュの肋骨 6


ルカの家。だけど、ルカ達は祓いの仕事。

私が喚ばれないってことは、天使や悪魔絡みじゃない。

沙耶夏に習って作った ポトフを持って来た。


ボティスが、帰って来た。

彼は 冒涜という、派手な帰還を果たした。


彼の翼が剥奪される時、ハティに呼ばれて

それを見た。


「時に 罪は美しい」と言った、ハティに頷く。


私は、光の形で降りたから

翼を広げることはなかったけど

失われる翼は、白く眩しく 美しかった。


榊は、人間でなく霊獣だし

天には危うく?愛と見なされてしまうところだったけど、皇帝が 父に賭けを持ち出した。


そう、地界の皇帝。元天使長の ルシフェル。

実際に見ることなんて、絶対にない と思ってた。

怖くて、膝が震える。だけど高揚も覚える。


それどころか「座れ」と命じられて

長椅子に座ると、碧眼に じっと見つめられた。


どうしたら いいんだろう...

緊張し過ぎて喋れないし、ハティもほうってる。


「下級天使か? 身体は悪魔なのに」


頷くだけで精一杯だった。


けれど、碧い眼を見ていると

人間が皇帝に惑う理由がわかる。

私自身はきっと、ファシエルの時の方が

惑いに堕ちやすかっただろうと思った。


あらがう間もなく 浸透されて、孤独を刺激する。

本人が気付かなくても、それは存在する。

ないものを、在るだなんて おかしいけれど。


「くちづけを?」


あの...  どういう 意味なの?


本や映画、ハティと話し合いを持って

学習はしたし

実際に心の揺れや、微細な感情も経験した。

でも その中からは、答えが出て来そうにない。

しかも中身が天使の私に触れたら、多少 焼かれるんじゃないのかな...


碧い眼から、眼が離せない。

... 断るのは いけない気がする。

だけど、受けるのは もっといけない気がする。

どこかから 戻れなくなるんじゃないか というような、底知れぬ不安がある。


皇帝ルシファー


「マルコ」


皇帝の眼が、私から外れる。

私は くたくたになってた。なんて恐ろしい...


この人、マルコシアスだ。

天使ラミエルだったって、リストに載ってるし

半身のレミエルは、今も天にいる。


ラミエルは、幻視の天使だった。

根は真面目。だけど、真面目に悪いことをするって、聞いたことがある。

ラミエルにも こうして会えたのに

皇帝の印象が後を引いてて、何も考えられない。


「あっ、ちょっと。

そいつはオレの式鬼だ。勝手なことはすんなよ」


朋樹だ。急に目が覚めた。

「シキ?」と、皇帝が朋樹に眼を向ける。


朋樹は、皇帝に式鬼を飛ばしたりして

何も普段と変わらない。

さすが 主だって、この時は思った。


朋樹は、見た目に反して、そう 繊細じゃない。

ルカや泰河は、見たままの人 という感じがするけど。


ゾイの身体は、体型が朋樹と変わらない。

足のサイズも同じくらい。

朋樹は私に、たくさん衣類をくれたけれど

“気に入らんから履けよ” って

まだ新しいものや、未使用のものまでくれた。


イタリアにいるジェイドの妹が恋人で

朋樹が会いに行った時に、私も呼ばれた。

穏やかに見えるジェイドと雰囲気は違うけど

きれいな人。


私が女性だということを気にするから

背中を抱き締めてみた。

動けなかったヒスイは、可愛かったし

焦った顔になった朋樹も可愛くて、くすぐったかった。


朋樹の血が混ざっているせいか

主である彼は、他の人とは 少し違う。

親密な何かを感じる。

血縁というものは、こういったものかもしれない。



ルカの家には、姿見のような 大きい鏡はない。


私は 時々、ここで本を読む。

“沙耶夏にも お前にも、一人の時間は必要” だって

ハティが言うから。


お店が休みの日の午前中に、ここの空いたベッドに寝転んで、本を読んでると

たいてい先にボティスが目覚めて、“珈琲” って言う。

その後、ルカが目覚めて、また珈琲を淹れる。


二人は顔を洗って身支度する時

髪もセットしてくるのだけど

鏡も見ずに それをするのかを聞いたら

“洗面所にあるぜ” って答えた。


そうなんだ って思った。

私は時々だけ、ファシエルの姿の私を見る。

沙耶夏が眠っている時とか、一人の時に。


ゾイの姿は、すっかり見慣れたし

今では、これが私だ って認識してる。


それでも 時々だけ、私自身の姿を見る。

どうしてなのかはわからない。


カーテンを開けて、夜の窓ガラスに映る私を見た。


ブロンドの髪。眼の色は、今と同じ。

額や頬やくちびる、肩や腕の形が こうも違う。

胸部や腰も。指の形すらも。

自分で見えない背中も、きっと違う。


沙耶夏や榊の背中を見る時、私もあんな風だったのかもしれない と思った。


父は、支え合うために 性別を分けて造った。

それなら私は、どうなのだろう?

私は、元々は女性型だった。

今は ゾイの男性の身体を持ってる。


男性の身体は、女性のような 柔らかな曲線も

たおやかさもないけれど

仕事をするには、使い勝手がいい。


地上にあった肉体には、何かが宿っているように思える。天使の それとは違う。

私は、こうして性別を意識したことは

それほどなかった。


女性型、男性型の認識はあって

人間の娘たちを娶って堕天したシェムハザたちの存在も知ってる。

実際に会った彼は、どの天使より美しく

これは、受肉してこそなのでは と思いもした。


完璧でなくなったからこその 完璧な美。

完璧だというものは、すべてが揃っている ということではないのかもしれない。


とにかく 私にとって、性別の別というものは

他人事のようなものだった。

リグエルが、私に触れたことは

私の中から削除していた。


けれどあれは、私の知らない 抑え切れない何かだったのかもしれない と、今は思う。

そう思うのも、リグエルが もう存在しないから

思うことなのだろうけれど。


妻の、人間のアリエルのことを話してくれるシェムハザや、誰にも向けないような眼差しを、榊に向ける ボティス。


ヒスイといる時の朋樹は、いつもと違って緩いのに、いつもより男性だと感じる。


リラを想う ルカの横顔。

私は初めて、天にいきどおりを感じた。


人間は、生殖のために 身体も成熟し始めると

性別の別を意識する。自分との違いを。


だけど、それは 一過性のものなのではないかと思う。

その後は、誰かを好ましい と意識しなければ

そう自分の性別を意識しないのでは と...


男性の身体を持ったから、この肉体を意識する。

骨も、血肉も。今までとは違う ということを。


天使だった私が、悪魔の肉体を持った。

それより 性別が変わったことの方が、私には大きいことだという気がする。

きっと、一過性のものだろうけれど。


時々だけ、ファシエルだった髪や頬を 懐かしむ。

わからないことばかり。時々だけ くるしい。



「ファシエル」


天使の名で、ハティが私を呼ぶ。


窓ガラスに映る私の背後に、ハティが立っていた。


いつもと同じ、品のある黒いスーツに

漆黒の眼と髪。深紅の肌。


「ハティ、あの、今日は ポトフを... 」


気恥ずかしくなって、キッチンに向かい

ポトフの鍋を火にかけて

ワインとグラスの仕度をする。


ハティは、何も言わない。

グラスを渡して、ワインを注ぐと

軽く眼を臥せて それを受け取った。


温めたポトフを、皿に移してテーブルに出すと

フォークで 一口大にしたキャベツを口にして

「腕を上げた」って笑った。


「うん、嬉しい。沙耶夏にも誉められたんだ。

“お店に出せる” って」


ハティに誉められると、自分が少しだけ

誇らしいような気分になる。

もし父に誉められたら、これに近い気分になったのかもしれない。


ハティは、たくさんのことを知っているけど

それだけじゃない。感性が深い人。

本で知った知識だけじゃなく、血肉で生きてる。

頭だけでなく、心で、身体で。


「さて。今日は

何かについて話し合うのではなく

お前の話を聞こうと思うが」


「私の?」


私が普段、何をしてるかってことを

ハティは知ってる。


沙耶夏の店で、守護を兼ねたアルバイトをして

悪魔召喚の受付。

喚ばれたら、祓い仕事の手伝い。


「ゾイの身体には?」


「ああ、うん。慣れてきてる。

軽いし、女性より力もある。使い勝手もいい」


「天に、望郷を?」


それについては、まったくという程なかった。

マリエルは気に掛かるけれど

天自体には、戻りたいと思わない。


寂れた持ち場だったということもあるだろうし

上官であるサリエルを 哀れんだことも理由にあるのだろうけど、私は 今ほど生きていなかった。


「ううん。地上ここにいたい」


望んで堕天をするというのが、何故なのか わかる気がする。

限りの中にあるから、生きていると実感する。


それを考えると、思い悩むことも

くるしいと感じることも

私個人のものなら すべて、喜びに分類された。


「恋は?」


「... ハティ。今、恋って聞いた?」


ハティは、フォークでポテトを口に運びながら

「そう。好ましく想う者がいるか を聞いている」って、眉間に軽くシワを寄せた。


「“友” だろう? 気になった」って

空いた手に ワインのグラスを取るけど

人間の父親って、こんな表情かおをするのかもしれないと思った。


「いないよ。私、恋なんてするのかな?」


「する恐れは高いだろう。

だが、今 聞いたのは間違いではあった。

お前の周囲にいる者共が 誰かを考えれば

そういった要素は、限りなく薄い」


「そうだね。朋樹たちだからね」


「沙耶夏は?」


「可愛いと思う。最初と同じ印象だけど」


「榊や浅黄は?」


「面白くて可愛い。浅黄は強いようだね。

棒術を習いたい。うん、誰にも ドキドキしない。

でも、恋って 異性とするんじゃないの?

そういう映画を観たし、父も 支え合うために

アダムに女性を与えた。リリトやエバを」


「自然と異性である場合が大半ではある。

“増えよ”。生殖のためにも。

だが お前は、どちらに惹かれてもおかしくない」


「どちらでもないから?」


「どちらでもあるからだ」


「ハティは? 男性型だけど

不思議と両性って感じがするよ」


ハティは、少し怪訝そうな顔をした。


「何故そう感じる?

女性的な面は持ち合わせていないと自負するが。

男性型だ。外見通りに」


「恋は?」


「幾度も。女性と」


ハティが、女性と恋...

多分 嘘じゃない。でも、なんとなくだけど

今は 特別な人はいないと思う。


「でもね、私が もし恋をしたとしても

相手に望まれないことも考えられるよね?

私自身として望まれないことも あるだろうけど

性別について 望まれないこともあるかも」


ハティの空いたグラスにワインを注ぐ。

自分のグラスにも注ぎ足した。


「手を」


ハティは、テーブル越しに

私に手を差し出してた。自分の手を乗せる。


すると、私の手を握って呪文を唱えた。

天のことだと思うけど、知らない言葉だった。

言い終えると、手を離す。


「何の術?」


「術ではない。“魔法” だ」


「魔法?」


「いつか お前が恋をすれば

身体の方が 心に準じる」


「嘘」って笑う私に、ハティも笑った。

























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