イシュの肋骨 8


********




「やあ、ゾイ」


「ジェイド」


ジェイドが、沙耶夏に電話してきた。

私を貸してくれ って。


神父服スータンを着て、教会だ。


「ミサだったんだ。夕方から

泰河の知り合いのライヴに行くんだけど...

ほら、ショーパブの女の子で

シュリちゃんて子の。ゾイも 一緒にどう?」


リラの 名前は出ない。忘れてしまってる。


「ううん。榊にも誘われたけど

沙耶夏といる。占いのアルバイトもあるし」


「そうか。飲み物 買いに行こうか?」


ジェイドは神父服のまま、通路を歩いて

外に出た。私も出て、並んで歩く。


ジェイドは私より 10センチくらい背が高い。

私は、朋樹と同じくらい。

泰河やルカも少し見上げるけど、ジェイドは

ボティスたちと同じくらい見上げる。


「“ゾイ” って、呼んだら良かったのに」


「仕事じゃないから。

沙耶夏さんにも断った方がいいじゃないか」


「うん、まぁ そうだね」


ジェイドは、時間が空くと

ちょくちょく 私を喚ぶ。


『僕は神父で、君は御使みつかいだ。

悪魔とばかり 一緒にいるのは良くない』って

ハティやシェムハザの前で言って

ハティが 両手を軽く広げる。


シェムハザは『何を言ってるんだ? 俺はお前を息子のように思っているし、ゾイは ハティの娘だ』って、ふざけて私を抱き締めて、煙を上げた。


福音ふくいんについて話しをしよう』


ジェイドは『ここじゃ騒がしいね』って言って

ルカや泰河に 散々『うるせー!』

『おまえ、他人事みたいに言えねぇだろ』って

言われながら、私を教会に連れて来た。


朋樹は『福音もいいけど、ゾイおまえ

日本書紀くらい読んどけよ』って、本をくれた。


それで、朋樹には日本神のことを聞いたり

ジェイドとも福音や詩編を読んだりするのだけど

今日のジェイドは、私に気を使っているように思える。


「飲み物、何にする? 押して」と言われて

炭酸のジュースを選ぶ。

「同じのにしようかな」って、ジェイドも。


「教会もいいけど、天気がいい。少し歩く?」


隣を軽く見上げると、アッシュブロンドの髪が

日差しに眩しい。


「うん。あの、ジェイド。

何か気を使ったりしてる?」


「うん、バレてるみたいだね」


ジェイドは あっさりと答えた。


「昨夜のこと。君の顔を見て、話をしようと思ったんだ。

あれは君じゃないけど、ファシエルの顔だったから」


「うん... 」


教会とは、逆の方へ歩いて

小さな公園に入った。ベンチに並んで座る。


遊具とかは少ないんだけど、人が少しいる。

でも不思議に、無人の場所よりも

話しが しやすい気がした。


「僕が君の立場でも、妙な気分になったと思う。

自分の形の首を、憧れの人が斬首して

ぶら下げているなんて」


「えっ? う ん... 」


ジェイドは、私を見て笑った。


「だって、あれは ミカエルだ。

憧れない天使はいないだろう?

想像とは少し、差異はあったけどね」


「どんな風に、想像してた?」


「もう少しだけ クールだと思ってた。

皇帝ルシファーもだけど」


なんだか、笑ってしまう。

「ルシフェルは 私も」って 言うと

ジェイドも笑う。


「教会のことなんだけど」と、炭酸の缶を開けながら、ジェイドは少し話を変えた。


「聖書の内容を、簡単に説明するものを

作ろうと思ってるんだ。

最近、信徒じゃない人たちも教会を訪れるようになってきたんだけど、聖書の内容について

助祭の本山さんが、よく質問を受けるみたいで」


「ひとりひとりにだと大変かもしれないね」


「そう。それで、旧約新約両方の説明小冊子を

渡した上で、質問について話しをするようにしようと話してるんだけど、手伝ってくれないか?」


「私が?」


「もちろん。そんなに驚くようなこと?

だって、天使じゃないか」


そうだけど、私は聖子の生誕だって

本や話でしか知らない。まだ生まれてなかったから。父にも聖子にも、聖母にも会ったことがない。

つまり持っている知識は、ジェイドと同じくらい。


「ハティたちの方が詳しいんじゃないかな?」


「もう堕天してたよ。

ソロモンに使役されたじゃないか」


あ、そっか...

シェムハザも、ノアの時期には堕ちたんだった...


「正直に言えば、手伝ってくれると助かるけど

もっと話す機会を増やそうと思ってるんだ。

一緒に過ごす機会をね」


「私と?」


「ゾイ。いつも “私と?” と聞くけど、そうだよ。

僕は 君を誘ってる。

沙耶夏さんの守護もあるし、お店もある。

でも僕らとも、もっと話をしよう」


嬉しくて「うん」って 頷く。

ジェイドは私を見て、優しい顔で笑った。


「だけど、一生懸命に なり過ぎなくていいんだ」


その顔のままで、ジェイドが言う。

「頑張り過ぎなくていい」


「君が僕らと居てくれて、僕らは とても助かってる。最初から仕事仲間って訳じゃなかったし

朋樹と君には、主従契約が結ばれてる。

でももし、それがなくなっても

君が天使でなくなっても、もう僕らと ずっと

一緒にいるんだよ」


どうして? って、胸がいっぱいで聞けない。

私、ひとりだった。天でも ずっと。

それを知らなかった。


「もう、友だちだから。君を大切に想ってる。

“役に立とう” と思わないで。支え合うってこと。

それに、ハティやシェムハザ、ボティスにも

もっと甘えていい。面倒臭がるフリをするけど、

その方が喜ぶんだ。

朋樹は、君のことを“オレの式鬼” と よく言うけど

“だから手を出すな” って意味でもある。

最初は違ったけど、今は そうなんだ。

君を、兄弟のように思ってる」


「うん」


朋樹は 口が悪いけれど、いつも親切。

でもこうして、ちゃんとジェイドが

言葉で言ってくれたことが 嬉しかった。

確かなものとなる。


「君は、悪魔ゾイとは違うね。印象が」


また隣に座るジェイドを見上げると

ジェイドは 炭酸の缶の小さい文字を見てた。


「僕は 悪魔のゾイとも、少し話してるから」と

言って、缶の残りを飲む。

海で 尋問をした時のことだって思う。


「最近は、ずっと君らしくなった。表情もね。

ファシエルが表面にも出ているって感じがする。

女性らしくもなった。

ルカや泰河は、それで君に ますます戸惑ってる。

身体は男だからね。

でも、“男” として扱い切れないんだ。

けれど、僕が不思議に思うのは

海での君は、そんなに女性という気がしなかったし、“身体に準じてきた気がする” と

話していたにも 関わらず、変化したってこと」


ハティの 魔法を思い出した。


「僕には、双子の妹がいる。

朋樹がイタリアで紹介したようだね?

昨日の夜、君の表情かおを見て ヒスイと重なった。

まだ朋樹と、うまくいってなかった時の

物思いの顔をしていた あいつとね」


ジェイドは、ごく薄いブラウンの眼を

私に向けた。


「心を誤魔化したりしなくていいんだよ。

話なら、僕が聞くから。

君はヒスイと重なる。妹が増えたような気分だ」


心配 して くれてる


「でも 私、沙耶夏や榊を、ヒスイを... 」


何からどう話していいか、わからないけど

辿々しく話す。


護ることは、私のしあわせでもあること。

身体の力でも、それをしたいということ。

でも、ゾイの身体になってから

ファシエルを懐かしむことがあること。

ハティの魔法のこと。

昨日は、何か悲しかったこと。


「山神の朱緒は知ってる?

女性だけど、僕より絶対強い。六山 おさの柘榴も。

榊にだって、幻惑の上に黒炎まで吐かれたら

きっと勝てない。

出来れば 僕らとしては、腕力については

任せてほしいけどね。

そこでも君に護ってもらうなんて

僕らは中身も男なのに、カッコ悪いじゃないか。

浅黄も最近、活躍の場が乏しいと ぼやいていた。

悪魔と下級天使だけにしてもらえないか?

悪魔だって、本来は僕なのに」


ジェイドは真面目な顔で話していて

少し笑ってしまう。


「上級悪魔にも、私は大したことは出来ないよ」


「うん、そのままでいいよ。君は もう充分強い。

祓魔の僕の立場を考えてくれ。

で、ハティの魔法を 試してみないか?」


「試す、って?」


「気になるじゃないか」


ジェイドがベンチを立ち上がって振り向く。

私にも、同じようにしろと促すから

立ち上がって ベンチの向こうを見ると

地面には、天使召喚円があった。


「これ、いつ描いたの?」

「今。影で」


影で? そんなこと出来るんだ...


「でも、人がいるよ」

「普通の人に天使は見えないよ。

天使自身が、自分を見せようとしなければね。

もし見えたとしたって、白く光る靄だ」


ジェイドは、自分の肩に手を置いて

「ミカエル」と喚んだ。


『なんだ? 俺、今から会議だから

長く居られないぜ? 明日なら大丈夫』


すごい。すぐ降りてくれた。


「ゾイに加護が欲しいんだ。

上級悪魔とも会ったりするから」


『ああ、べリアルとか?』


「アザゼルや皇帝もね」


『じゃあ、ちょっと来いよ』


ジェイドが私を押して、私は召喚円に入った。

ミカエルが、すごくすごく近くにいる。


『手首にするか。肩や額は ちょっとな。イシャーだし』


私の右の手首を取るミカエルに、ジェイドが

「姿はイシュだけどね」と言うと

『そうだな。でも女なんだろ?』って

至近距離で 私の眼を見る。

息が止まりそうになりながら、なんとか頷くと

ますます見られた。


『昨日の首とは、別人だな』


「ミカエルって、ファシエルが見えるんだね」


『触れればな。

昨日の首は、メジエルが重なって見えてたぜ』


そっか、髪に触れてたから...


『でも、メジエルが見えてなくても

これの中身とは違う顔だったぜ?

お前、昨日もいただろ?』


「はい... 」


“これ”...


ジェイドが私を “うーん... ” って顔で

観察してるけど、私はゾイのままだった。


『とにかく俺、今から会議なんだよ。

第一天シャマインのことだから関係ないんだけど

いるだけいろ って言われてるし。

明日なら空いてるから、ケーキ用意しとけよ?

... ん? これ火傷か?』


ミカエルは、持ったままだった私の手の

親指の付け根を見て言った。


「はい。でももう... 」って答えてたら

『じゃあ、おまけ』と 私の額にキスして

『じゃあな』って消えた。


「ゾイ!」


ぼんやりしたまま、親指の付け根の火傷を見ていたら、指の形が変わったのに気付いた。

頬にかかる髪の色も...


だけど、それは 一瞬で、みるみると指の形も戻って、髪はまた 黒く染まる。


「ハティは あれで結構、ロマンチストのようだ。

本当に魔法なんだね。

君の深層が意識した時だけ、身体が準じるみたいだ」


ジェイドは 感心してるけど

私は、ただ恥ずかしくて 何も答えられなかった。


「ジェイド、このことは... 」


「うん、誰にも言わないよ。内緒にしよう」


召喚円を消すと、ジェイドと並んで 教会へ歩く。空き缶を持って。


ジェイドが、空き缶に息を吹き込むと

気息がからに響く音がした。


“主なる神は、アダマの塵でアダムを形づくり、

その鼻に命の息を吹き入れられた。

人は こうして生きる者となった”


創世記の2章7節が浮かぶ。

私は 地上の塵となって、生きている。


私が その箇所を読むと、ジェイドは

「いや、君はもう エデンを追放されるところだ。

ハティそそのかされて、実を食べた」と

創世記 3章7節を読んだ。


「... “二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人は いちじくの葉をつづり合わせ、

腰を覆うものとした”」


裸であることを知った と思うと、なんだか

福音についてなんて話せない気がした。


教会の扉の前に着いて

「ジェイド、私 どうしよう?」と 聞くと

ジェイドは 大笑いして「心のままに」と

私の頬に触れる。


「これから ちゃんと話は聞いていくよ。

でも 僕らの前では、やっぱりイシュだね。残念」


ニッ と、知らない顔で笑ったから

私は つい驚いて、その場から消えた。




********




エデンを 追放されてから

裸だと知るなんて...


お店に戻ると、占いのお客さんが帰ったところで

沙耶夏は、自分の分の珈琲を淹れてるところだった。


「ゾイ。早かったわね。

もう少し お話してくると思ってたのに。

ロールケーキ食べる?」


「うん」


テーブルの椅子に着く。いつもボティスが座る場所で、私もここで 最初に座った椅子に。


「あら、今日はテーブルなのね」


そういえば、沙耶夏と 二人の時は

カウンターに並んで座る。


「何かあった?」と、私の前に

ロールケーキと珈琲を置いた。


フォークでケーキを 一口大にして口に入れる。

しっとりとした生地の、甘過ぎないクリームと

シロップで煮た桃の味に 胸が詰まる。


「ううん、なんでもない。

地上で 一番賢いものに会っただけ」


“主なる神が造られた野の生き物のうちで、

最も賢いのは蛇であった”


創世記 3章1節を読むと、沙耶夏は笑って

私の首に両腕を回す。


「恋に気付いた ってこととかなの?

だって あなた、今日は とってもハンサムよ」


「沙耶夏!」


沙耶夏は また笑って

立ったまま珈琲カップを手に取った。


「さあ、飲んだらお店を開けなくちゃね。

でも、あなたが どうしてもっていうのなら

今日は お休みして、デートしたっていいわ」


隣に立つ沙耶夏に 眼を向けると

「実はね、観たい映画が 今日から上映されるの」って、可愛い顔をしてる。


「うん。じゃあデートする」って 答えると

眼を輝やかせた。


カップを洗うと 手を拭いて

右手首の白いクロスと

親指の付け根の火傷痕を見る。 消えてない...


“おまけ” って、本当に “おまけ” なだけだったの?

ブロンドの睫毛を思い出して、嬉しくなった。


お店を出て、沙耶夏と手を繋いで

夕星を見上げる。


「きれいね」


「うん」


世界は また拡がっていく。


急に消えたこと、後で ジェイドに謝って

火傷の痕のことを 話してみよう。

内緒話って、なかなかいいのかも。


「なぁに?」


「なんでもない」


沙耶夏は、少し拗ねる。


手を離して肩を抱く。髪にキスすると

「もう、困っただわ」って、見上げて笑った。




... “主なる神は そこで、人を深い眠りに落とされた。

人が眠り込むと、あばら骨の 一部を抜き取り、

その跡を肉でふさがれた。

そして人から抜き取った あばら骨で女を造り上げられた。

主なる神が彼女を人のところに連れて来られると、人は言った。

『ついに、これこそ、わたしの骨の骨、

わたしの肉の肉。

これこそ、イシャーと呼ぼう、

まさに、イシュから取られたものだから』”...

(創世記2章21節~23節)






********   「イシュの肋骨あばらぼね」 了



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