イシュの肋骨 4


「ソファーに」


テーブルを挟んで、向かいに座ったハーゲンティが、私にも ソファーに座るように勧める。


緊張に、喉が鳴る。ソファーに座ると

ハーゲンティは、赤ワインの瓶のコルクを指ではじいて開けて、二つのグラスに注ぐ。


一つを、深紅の色の手で 私に渡して

自分もグラスを持つと、それを口に運んだ。


ハーゲンティは、地界の賢者 って呼ばれてる。

彼の堕天の時は、父がなげかれていたって

未だに語られてる。


“教育をする” って、海から ここに連れて来られた。

ここは、黒髪の人... ルカの自宅らしい。


奥の方には、三台のベッドが窮屈に並んでて

普段は、ルカとボティス

時々 シェムハザが使ってるみたい。


書斎もあるようだけど、ハーゲンティの部屋で

本を読むのに使う って言う。


「このワインは、ルカの父の会社が製造しているものだ。この国らしく、繊細な味がする」


勧められているようだから、一口 飲む。

本当は 赤はニガテなのだけど、飲みやすかった。


「持ち場は、第三天シェハキムだったと見受けるが」


「はい、そうです... 」


自分の 声が、低い。

ゾイの身体なんだから、そうだよね。

手も膝も 細いけど、形が がっしりしてる。


「サリエルに?」


「はい。地上の仕事から、戻って来て... 」


わかるだけの経緯いきさつを 正直に話す。


私、どうなるのかな?

私の主は、朋樹 という名前だった。

それから、祓魔がジェイドで

ヒゲの人が 泰河。


人間になったボティスと、シェムハザ。

目の前に、ハーゲンティ。


「ゾイは、呪殺のめいが出た って言って」


漆黒の髪がかかる 同じ色の眼。

どうして さっき、私を殺さなかったんだろう?


「彼等を、殺そうと... 」


「何故、ゾイに憑依を?」


顔が熱くなった。


「取り込まれて しまって

出る方法も、わからなくって... 」


私、何も出来ない。

天使なのに、悪魔に好きにされたりして。


「ゾイを撃ったのは、死神だ。

その真意は、我々にも解からぬ。

だが、ファシエル。

お前はゾイとして生きることになった。

どう生きたい?」


どう って、どういう意味なんだろう?

私は、朋樹のめいを聞く。


そう答えると「それは仕事だ」って 言われる。


「私は、呪ったりだとか

誰かを 攻撃するんじゃなくて... 」


人を 護りたかった。


それは、理屈ではなく

天使として生まれた私の 深部にある。


「リグエルを... 」


「キュべレという名を、聞いたことが?」


ハーゲンティは、突然 話を変えた。

その話は、にわかには信じがたいことだった。


サリエルが、キュべレを目覚めさせようとしてる。一度 アリエルを堕天させた。

サンダルフォンは、ハーゲンティを使おうとしてる、と。


「すべては、泰河の血にある」


原初で終の獣 という、父の意図外に生まれたもの。その血を...  そうだ、ゾイが 言ってた。

サリエルが狙ってる、って。


「天の者から何かを護る というのは

おかしな話に聞こえるだろう。

だが キュべレが目覚めれば、地上は自然や生命だけでなく、人心が傷付き損なわれ、混乱に陥る。

お前に、手を貸して欲しい と思うのだが」


でも、私なんか 何も出来ない。

何も答えられずにいると

「我等は、天使に対し無力だ」って言う。


「ルカ等の守護を頼みたい。あれ等は我の友だ」


友? 悪魔が、人間と?

魔神のハーゲンティが?


「私からの仕事の依頼だということだ。

リグエルという天使を滅せたのは

お前が ゾイの血肉と結び付き、特殊な力を得たことによる。普通の天使が出来ることではない」


それは、そう。

あんなことが出来るなんて。


だけど、リグエルに触れた時にわかった。

彼を 生まれた炎に 戻せる、って。


「朋樹は、お前を 半ば道具として使う。

ゆっくり話はしていくが、しばらくはまだ

“呪殺を仕掛けた者” として、お前を見るだろう」


「あなたは? 私は、あなたの友を... 」


「我には、天にあった時期がある。

ボティスやシェムハザにも。

使命は、自らの意思とは関係なく遵守するべきものだと、よく知っている」


「何故... 」


堕天に と 聞きたくて 聞けなかった。

だけど、ハーゲンティは 私に答えた。


「皇帝に乗った。

“愛されたい” などと、望んだからだ」


言葉に 胸を掴まれた気がした。

ルシフェルの反逆の理由は、知っていたのに。


グラスのワインを干して、また注ぐ。


「天にある本は、すべて読んだ。

地上の本は、まだ読んでいなかった。

生きるということも、考えるということも

それは愚かなものだ。

反逆は初めての経験であり、当然 敗を喫したが

愚かにも生死を楽しんだ。

天にあっては味わえなかった」


グラスに口を付け

「仕事仲間であり、友に、という 提案を

受ける気は?」なんて言った。

あの ハーゲンティが、私に。


「守護の仕事は、出来うる限り やります。

だけど、あなたが、友 だなんて... 」


気を 使われてる。


「皇帝の反逆の理由を、どう感じる?」


「... 素敵、だと」


黒い睫毛の眼をグラスに向けたハーゲンティの

口元が 少し緩む。

私は、愚かに生きることにした。




********




“常に感じ、考える事。思い悩む事こそが肝要”


ハーゲンティ... いえ、ハティと呼ぶんだった。

ハティは、私にそう言い聞かせる。

それが 愚かに生きるコツだ って。

そうして、物語の本を渡して読ませ、映像の物語を観させ、いちいち感想を聞く。

けれど それは、私を深めた。



突然、朋樹の声に呼ばれて、海へ戻ると

サリエルがいた。


光の球となって顕れる 天使たちの名を呼び

滅する。

相手は、地上に降りることのある部隊で

マリエルはいなくて ホッとしたけれど

罪を感じることは、止めることが出来ない。


だけど、護るって そういうこと。

私が望んでいたこと。

誰かを滅して、そう実感するなんて

なんということだろう。


それでも、護るということは

私の生きる実感だった。そう 思い知る。


サリエルが、ファシエルの姿に成り代わった。

人間を殺して、魂で自身の修復をするために。

彼が哀れで、情けなくも感じる。

あなたがうとまれるのは、役割のせいじゃない。


ファシエルとして堕天させられ

すべては、あと少しだった時に

サンダルフォンが降りて、ボティスが消えた。




********




捜さなくては。


朋樹に命じられなくたって 捜す。

地上の隅々まで全部。


ゾイが悪魔で良かった。

ボティスが腹部を貫かれた時、血の匂いを覚えた。


榊。あの狐の子を想う。

月夜に歩く姿を。


天では味わったことのない

吹き付ける強風と豪雨。地上の嵐の中で願う。

父よ。そこに彼がいるならば、どうか 彼を呪って 地上に堕として と。



地上に 彼は見当たらす

地界にも 痕跡はないという。


「沙耶ちゃん。こいつ、護衛に置いてくから」


朋樹が私を置いていったのは、ゾイが何度か 人間に憑依して入った あのカフェだった。


この女性は、沙耶夏という名前。

はじめまして と言うのは、妙な気がする。


「あなた、女性ね?!」


沙耶夏は、私を見上げて言った。


「彼女に失礼な態度を取ることは、私が許さないわ。もしそんなことがあれば、二度とハンバーグは作らないから、その おつもりでいてね」


「嘘だろ、沙耶ちゃん!」

「んっ? マジで言ってる?!」

「バカ!おまえら、沙耶ちゃんを刺激するな... 」

「そうだ、海に行った経緯の 二の舞になる」


沙耶夏は、手際良く 食事と珈琲を出すと

「さあ、頑張って来て。

そのテーブルは、彼に空けとくわ」と

“Reserve” と書いた紙を、テーブルの端に貼る。


さっさと四人を追い出すと「座って」と

予約席のはずのテーブルを指して、フルーツのタルトを 私の前に置いた。


「でも このテーブルは、ボティスに... 」


「ええ、あなたたちのテーブルよ。

私も最初に、そこに座ったの」


「特別な席よ」と、ニッコリ笑って

肩までの緩いウェーブの髪の毛先を揺らし

私の向かいに座った。

大きな可愛らしい眼で 私を見る。可憐な人。


「ブロンドの髪なのね。柔らかそうだわ。

眼は、今と同じグレー。

グレーの眼って素敵ね。初めて会ったわ」


「見えるの?」


「ええ。どうして彼らと知り合ったのかも。

だけど視ないわ。話をしましょう。聞きたいの」


沙耶夏は、“Close” の札をドアにかけて

珈琲をカップに淹れて戻って来た。


一頻ひとしきり話し終わると

「つらかったわね」と、呪殺を謀った私に

労りの眼差しを向ける。


「だって、あなたは天使だもの」


言葉は、簡単に私をほどく。


けがれてなんてない」


涙のこぼれ方を はじめて知った。















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