イシュの肋骨 3


日本に着くと、ゾイは人間に憑依した。


呪殺対象の人間を観察するために

人間に入って近付くって言う。


私は、天から地上を見て

人間がどういうものかも、地上のことも

知っていたけれど

間近に見るのは初めてだった。


黒い髪の人が多い。眼も。

そして、ゾイのような格好をしていたり

もっと色鮮やかな 衣類を着ていたり。

こんなに たくさん、素材もあるんだ...


日本という国は、小さな島国。

天から見る小さな星の 小さな国にいる って思うと

とても不思議な気分。


地上は、とても鮮やかだと思う。

眩しくて強い 刺すような強い日差し。

大気には様々な匂いがあるし、生々しい感じ。

限りがある って、きっと こういうこと。


カラコロ と、控え目な音がするドアベルが鳴って

カフェのような お店の中に入る。


「いらっしゃ... 」


カウンターの中の小さな女性が言い掛けると

「はい、いらっしゃいませぃ!」

「今、メニューとお水 お持ちします!」

「お好きなお席に どうぞ」って

たくさんの男性の声がした。


憑依した人間が ギョッとしてるけど、私も驚く。

そんなに大きな お店じゃないのに、カウンターとテーブルに座ってた四人くらいが 一斉に立ったから。 全部、店員なのかな... ?


立った内の 一人は 神父。雰囲気でわかる。

腕のいい祓魔師っていうのは、この人だと思う。

髪の色や眼の色は、この国のものじゃない。

それに、神父ってことは

お店の店員ではない、ってことになる。


水を運んで来たのは、異教の神の徒。

私たちから見れば悪魔だけれど

邪教や悪い教えの神じゃないから、天も目に入れていない。


カウンターの中には、自然な髪色じゃない

顎に髭を生やした人がいて

テーブルには、毛先に癖がある黒髪の人と

こっちに背中を向けたライトブラウンの髪の...


あれは 人間じゃない。

でも、悪魔でも 天使でもない。


ふいに立ち上がって、雑誌をカウンターに置きながら「沙耶夏、炭酸水。ライム」と 言い

黒い眼で こっちを見た。


ゾイも私も、急に ゾッとして

憑依した人間にも伝わったのか

身体をビクっと震わせた。あの人は 怖い。


「おまえさぁ、沙耶さん忙しいんだから

オレに言えば いーじゃん」


黒髪が椅子を立って、カウンターに入り

キッチンに向かう。

狭いところに、これだけ男の人がいると

なんか 暑苦しい。


憑依した人間が、食事を済ませて外に出ると

ゾイは、その身体から出た。


姿を消して、どこかの森に入る。


「あれが、ボティスだ。人間になってる」


ボティス。聞いたことがある。

元の天使の名前が出てこないけど、有名な天使だった。堕天使の悪魔。


『あの人たちが、呪殺の対象?』


「女と顎ヒゲは違う。他の奴は全部だ。

祓魔やボティスがいると、俺だけじゃ無理だ。

ボティスは術にけてるし、頭もキレる。

この国の奴を、誰か雇うことにする。

術が独特だからな」


『どうして、森に?』


「呪詛の跡がある。過去に ここで呪詛掛けした奴がいるってことだ。この跡から 呪術師を探す」




********




ゾイが雇ったのは、この国の女性だった。

人と悪魔の混血。


「対象は五人だ。男四人と 女が一人。

女は人間じゃない。狐。霊獣とかいうものだ」


呪詛を掛けて成功させれば、地界の皇帝に推薦し、皇帝付きの魔女になれる、と 嘘をつく。


ゾイは、堕天使系の悪魔じゃない。

皇帝って、天使長だったルシフェルのことだし

知ってるはずがない。


でも、女性の呪術師は信じた。

ゾイが、異国の悪魔だったから。

この国に、聖子や父の教えを説く宣教師が来た頃から、地界の皇帝に憧れていたようだった。


藁の人形で呪詛を掛けると

ゾイは、呪術師の女性を殺してしまった。


『何故?!』


「うるさい。お前たちの守護対象は人間だろ?

こいつは人間じゃない」


あばらを折り外すと、心臓を取り出す。

まだ動いてる...


両方の眼球と肝臓を取り出して

一度、拍動する心臓に付けると

拡げた髪の上に眼球を置き、心臓があった位置に

肝臓を詰めた。


動いている心臓を持ったまま、長い呪文を唱えると、呪術師の身体は消えて、黒い箱が 二つ残った。

心臓を燃やして、灰を箱に塗り付けてる。

ゾイは、自分の指を切って 箱に血で署名をすると

「奴等を追う」と、森を後にした。




********




天にも海はあるけれど、地上の海は、夜でも 白い波が眩しい。強い潮の香り。


ずっと、離れて観察していたけど

呪殺対象の近くまで来た。

ゾイは砂浜に立って 月を見上げてる。

なかから 私も。


「眼球は奪えずに、タエコの魂を奪われて

呪詛も解除された。あれほど簡単に。

この国の神は、なんて奴なんだ」


覚悟する時が来た、って ことだと思う。


だって、こんなこと 上手くいくはずがない。

タエコ... 呪術師を犠牲にして

人間を呪い殺す、だなんて。


ゾイが滅された後、私も処刑される。

使命がまっとう出来なかったし

これは、極秘任務だった。

もし全うしていても、きっと滅されてた。

極秘任務の内容を知っているんだから。


なんだか、いっそ 清々すがすがしい気分になる。

こんなことをして、黙って見ていた私は

もう 天使じゃない。ちりになるのが相応ふさわしい。

任務が全うされなくて良かった。


あの人たちは、悪魔崇拝なんてしてない。

本当に、サリエルの個人的な私怨なのかもしれない。


そうして私は、禁も犯してる。

こうして、自分で考えて選んでるのだから。


「明日、肝臓の呪箱を開ける。

その時に、あの顎ヒゲの男を捕らえて渡せば

呪殺は失敗しても、首は繋がる」


『どうして?』


「それもサリエルの狙いの 一つだからだ。

あの男には、妙な血が入ってる」


ゾイは、本気で言っているし

上手くいくと思ってる。私は何も言わなかった。



離れた場所のホテルの部屋を取り

「眠らせてくれ」と、ゾイが言う。


「夢を見てみたい」


催眠の原理を知っていても

やってみたことがなかったけど

試してみると、ゾイは眠りに着いた。


私は、ゾイの身体のまま

ドアの近くにある 鏡の前に行って

自分を映してみる。


ゾイの姿に、私が重なる。


ブロンドの髪。グレーの眼。白い天衣

ミカエルの真似をした 革紐のサンダル。


どうして、こんなことに なってしまったんだろう?




********




結局のところ、ゾイは捕まった。


「よう、ゾイ。会いたかったぜ。

お前は俺をよく知ってるな?

何しろ長い間、俺を見つめていたくらいだ。

なかなかの女を贈って来たじゃないか... 」


ボティス。聖悪魔なんて呼ばれてた シェムハザ。

あの ハーゲンティまでいる。

悪魔だけど、間近に見ることが出来るなんて

思ってもみなかった。


近くには、祓魔師と、異教の神の徒も。

呪殺しようとしていた人たち。


私は すっかりと諦めてたけど

ゾイが滅された後は、どんな目に合うんだろうと

少し怖かった。

享受しなければならないことは、わかっているけど。


「Domine, obsero, ne nos

Praeditus sapientia et prudentia: ... 」


天使召喚。サンダルフォンを召喚するみたい。

ゾイは 一瞬で滅ぶ。


「わかった! 話す! 頼む... 」


パン と、乾いた音がして

身体中が弾け切れた気がした。




********




「中から見てたんだろ?

こいつに遊ばせたくない。めいだ。名を教えろ」


「ファシエル」


「自分の状況はわかるか?」


異教の徒が聞く。

この人が 私のあるじだと、身体中の細胞が訴える。


「お前が、私を支配している」


信じられない。ゾイはいない。

私は、私じゃなくなった。


何かの拘束が解けて、半身を起こすと

くちびるが動く。


「忠誠を誓う」


ハーゲンティが、私の額に指をつけた。


「使命を遵守する者だったようだな。

それ以外の生き方を知らん」


私は、血肉に結ばれた。悪魔の身体の。

悪魔になった ということ?


だけど と、気付く。


どっちにしたって 同じ。

今、塵にならなくても、サリエルに処刑される。


そう話すと「ゾイに成り代われ」って

私の主が言った。

もう、魂の匂いも変わったはずだ と。


元の天使、ファシエルだと気付かれるかどうか

確かめるから、嫌いな天使の名を言えと言う。


脳裏に浮かんだのは、シェハキムの北

五層に呼ばれた時のこと。

“悩みがあるから” って、リグエルに。


誰もいなかった。リグエル以外は。

ゾイがいた森に横たわっていたのは、私。


「Domine, obsero, ne nos

Praeditus sapientia et prudentia:

lta ut posset ducere populum

Sub nomine Domini Hic nunc usque get, ligel」


白い召喚円に、光を凝縮したような

白い球が浮いた。リグエル。

罪を犯した天使でも、地上では こんなに眩しい。


「リグエル、こいつは誰だ?」


ボティスが リグエルに聞くけど

私を悪魔と認識した リグエルは、強い光を発した。私を滅する気でいる。


「ゾイ。おまえの好きにしていいぜ」


主が言う。

召喚円に足を踏み入れ、リグエルに触れる。

途端に、激しく明滅し始めた。


「さよなら。リグエル」


パン と、リグエルの生命が弾ける。

強い光は 白い柱になって、まっすぐ天地に伸び

そのまま消えると、しばらく眼に残像を残した。










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