ナポリを見てから死ね! 5


「ずいぶん長く居ちゃったわね。

だけど 楽しいわ」


「おう」って 腰に手を回したまま歩く。

まだ顔は見れてない。


人もいないし、家の前に座って休憩する。

本当に古代のイタリアにいる気分だ。

いっそ ここで暮らしたい。


疲れたら旅を、みたいなことを聞いたことあって

疲れてるのに何で出なきゃいけねぇんだよ って

思ってたけど、思い切って出るべきだ。

知らない空気の場所に。

きっと人生観も、本当に変わる。


実際に、イタリアから戻ると

それまではなかった 新しい何かが

増えた気分になる。世界は思うより ずっと広い。

そして思うままに広がっていく。


「そろそろ歩くか」って、また歩く。

もし二千年前なら、何してるか とか

子供みたいな想像を話しながら。


「見て。バールか何かだったみたい」

「バール? そんなのまであったのか?」

「だって、ワインのメニューがあるわ」


本当だ。4つの赤や青、黄色や白の水差しみたいなやつの下に、値段らしきものまで書いてある。

人の暮らしって、基礎は そんなに変わらないもんだよな。


二千年前も、ハティや、ボティスやシェムハザも

ワイン飲んでたんだろうし、どんな風だったのか

今度 聞いてみよう。


一際 立派な家の前に着いて、また入り口から

中を覗く。入れたらいいのにな。

美術館とかに言っても、つい触りたくなる。

でもそうすると、磨耗や破損も多くなるよな。


「アウグストゥス帝の神殿ね。

ローマ帝国では皇帝は神格化されたのよ。

だから皇帝崇拝の場は、あちこちで築かれたの」


この頃の、ローマ帝国の皇帝のための場所か。


壁は立派な壁画になっている。

下の方は花や蔦に見えるが、上部は紺色の中に

鳥や鹿、狐や蛇がいて、森の中みたいだ。

その中央に、上がアーチになった大きな窪み。

窪みの中には、座るための四角い石がある。

ここに皇帝が座って、この町の人々と謁見したんだろう。


頭の中では、あの石に座ってるのは

何故か 皇帝ルシファーだけど。

足 組んで 頬杖ついて『ハゲニト』とか

『シェミー』とか言って、誰かを じっと見て。

ヒスイは 絶対に見せんけどな。


「これで、このヘラクラネウムは

全部 見たと思うわ。

明日行くポンペイの方が、ずっと大きいの」


「そうか。明日も楽しみだけど

オレは いつか、また ここに来たい」


「私と?」


「他に誰と来るんだよ?

あいつらとかは ごめんだぜ。ジェイドも含む... 」


答えながら気付いたけど

“おまえと来たい” って言うべきだったよな。


「ごめん」


「また急ね。何がなの?」


「なんでもない」


だいたい笑われるんだよな。今みたいに。


「戻る?」

「そうだな。名残惜しいけど、喉 乾いたし」


子供の時の遠足とかもだけど

帰り道って早いよな。

もう場所の情報が入ってるからなんだろうけど。


でもオレは、名残惜しく思いながら

こうして帰るのも嫌いじゃない。

程好い疲れと、まだ残る微かな高揚を 持って帰る。

帰りきる前に「また来ようぜ」って言って。


遺跡の入り口を出ると、土産売り場があって

もちろん 人もいて、半分は帰った気分だ。


ネプチューンとアンフィトリテの壁画と

皇帝の神殿と、ワインのメニューのポストカードを買う。ヒスイの分と 一緒に 二枚ずつ。

壁画と神殿は、沙耶ちゃんとゾイに土産。

ワインのは自分の。


少し先のバールで、オレンジフレーバーの水を飲む。コーヒーも取って、本格的な休憩だ。


「飯は、ホテルの近くに帰って食う?」

「そうね。それがいいかもしれないわ。

ホテルのリストランテでもいいし」


化粧直しとトイレに行く って言うから

オレも済ませとく。


ヒスイが出て来るの待ちながら

こういう、デートらしいデートもいいよな って

思う。ただフラフラしても楽しいけど

行き先を決めて 一緒に行く。


普通のことかもしれないけど、オレは今まで

それを楽しんだことがなかった。

相手に付き合って行ってた。

旅行は断ってたしな。面倒臭かったから。


まあでも、もう過去のことだ。

これからは ずっと違う。


ヒスイが日本に来たら、どこに連れて行こう?

日本らしいとこの方が喜ぶから

うち以外の神社とか 仏閣巡りかな?

近場じゃなくて、有名なとこ。

で、コーヒーゼリーを食う。

今度は あの時とは違う。ちゃんと笑顔にする。


考えてる内に ヒスイが戻って来たから

バールを出て、バス乗り場へ向かう。

来る時は 車体が真っ青なバスだった。

こういう、いちいち日本と違う 何かがいい。


「あそこに何か落ちてるわ」


ヒスイが見ている先は、さっきポストカードを

買った、土産売り場近くだ。


「本当だ。他の観光客の落とし物かもな」


黒いバッグか何かだ。ぺたんと落ちている。


店に預かってもらって行くか、と

話しながら近付いて

とっさに「触るな」と ヒスイに言った。


三角帽子だ。黒いベルベッドの。

なんで こんなとこにあるんだ?


「これ、オモ・ネロの... ?」


ヒスイも気付いたみたいだ。


帽子は、ヒスイの部屋にあるはずだ。

巻き毛から引っ掴んだあと、一度は床に投げ捨ててやったが、ヒスイの眼に止まると怖がるだろうから、オレのトランクに仕舞った。


今日、トランクから 中身と 一緒に出したが

眼に止まらないように、部屋に置いてきた 他の着替えに挟んである。


その辺は話さずに

「あの巻き毛のに見えるな」と 答えると

「でも、このままにしておくの?

他の誰かが拾ったりしたら... 」と 心配している。


それも、まぁ そうだ。帽子を拾った誰かに

巻き毛が付き纏う恐れもある。

オレやヒスイは、もう巻き毛に目を付けられている。その場凌ぎじゃなく、本格的に対処するか...


仕方なく腕を伸ばし、指が帽子に触れた時に

耳元で『帽子を返せ』という声がして

帽子は消失した。


「どうして? どういうことなの?」


身体を起こしたオレに ヒスイが聞く。


「さぁな... 今の声、聞こえた?」


「声?」


ヒスイには聞こえなかったようだ。


「いや 何でもない。聞き違えだと思う」


帽子は消えた。ここに こうしていても

たぶん解決はしない。

だが 解決するにしても、情報が少なすぎる。


オモ・ネロではないかと思われる ということ。

膝が逆関節で、黒いベルベッドの服。

多少メルヘンでも、このくらいは別にいい。


問題は、寝ている女を狙ってくることと

無駄に美形だってことだ。


... 巻き毛は最初にナンパしやがったんだよな。

ヒスイは断ったけど。そう、ちゃんと断った。

美形でもだ。大切なポイントは ここ。

インクブスやスクブスなら、寝ているヤツを襲うか、夢の中で襲う。

逆関節だとも聞いたことがない。美形とは聞く。

だって美形じゃなかったら、夢見心地に出来ないもんな。“まぁいいかな、夢なんだし” ってならない。本気で泣き叫ばれてしまう。... まただ。

最近 オレの思考にも、無駄が多い気がする。


「朋樹... 」


ハッとする。


「ああ、ごめん。ちょっと考えてた。

巻き毛の正体を」


「考えてわかるの?」


「わからんよな」


ちょっと見つめ合う。きれいだ。

グロス塗り直して来たのか。いいのに。


「違うの」


オレ、何も言ってないぜ?

でも惚けた顔はしていたかもしれない。

キスしたいってよぎって、違うのって言われた。

これも女の勘ってやつなのか?


「あれ見て」


ヒスイが指差したのは、さっきの遺跡の入り口だ。入り口の中に帽子が落ちている。


なめてるよな。行く訳ないだろ?

稚拙な誘い方だ。あれを拾おうとしたら

また奥に行くんだろ?

どっちにしろ、もうすぐ遺跡の門は閉まる。


「私、拾ってくるわ」


「いや せよ。奥に誘われるだけだぜ。

子供騙しな誘い方だ。

ここで無視しても、解決するまでは

たぶん別の場所に またこうして出る」


「ええ、だからよ。帽子が 他の場所に出て

他の人が拾おうとしたらどうするの?

それがもし、小さい子だったら?

遺跡なら人がいないわ。

ここで何とかした方がいいと思うの」


忘れてた。こいつは ジェイドの妹だった。

巻き毛の不思議な帽子に 興味 湧いてやがる。

オレは仕事でゲンナリするくらいやってるし

先に解決策 模索して当たる方がいいんだけどな。


「それに、あなたの手に取れなくても

私には取れるかもしれない。

彼が誘ったのは、あなたじゃなくて 私だもの」


「オレが行く」


「えっ? あなたじゃ、また手に取れないかも... 」


「うるせぇな。おまえは帽子には触るなよ!」


“彼が誘ったのは” とか言うんじゃねぇぜ。


 


********




思った通りの展開だ。

触ろうとすると『帽子を返せ』って 消えて

どんどん奥に行く。呪の赤蔓でも同じ。


「どこまで行くのかしら?」

「さぁな」


これがもし、狐や狸なら

ぐるぐる回らされて終わり ってパターンもあるが

巻き毛は ヒスイ狙いだ。

これで終わりってことはないだろう。


「遺跡は もうすぐ閉まる時間ね」

「おまえが、帽子拾う って言い出したんだろ?」

「だから私が拾うわ。そうしたら終わるかも... 」

「ダメだ! もう黙ってろ!」


ヒスイもムッとするが、オレもムッとする。


どんどん奥まで行って、帽子はもう

皇帝ルシファー... いや、アウグストゥス帝の神殿の前だ。


あれを拾おうとしたら、また入り口前まで

戻るんだろうか?


神殿の前で 帽子に腕を伸ばすと

やっぱり帽子は消える。


「ねえ」


あっ、普通に喋った。オレ怒ったのに。

さっきオレが悪かったよな って思ったが

ヒスイは、神殿の中を見ていた。


「あいつ!」


式鬼札をジーパンから出す。

巻き毛野郎は、アーチの窪みの皇帝の石に

澄まして座ってやがった! 脚 組んで!


「てめぇ、そこは ルシファーの席なんだよ!」


「“ルシファー”?」と、ヒスイが オレを見るが

構わす火鳥式鬼を翔ばす。


尾長の火鳥が巻き毛の胸に追突すると

「朋樹! 今の、あなたがやったの?!」と

ヒスイが焦った声を出した。


「ああ、仕事だからな」と答えて、巻き毛に

「そこ退けって言ってんだよ!何のつもりだ!

澄ましてんじゃねぇぜ!」って 怒鳴って

また式鬼札 出すと

「やめて!」とか、ヒスイがオレを止める。


「おまえ、何 言ってるんだ? 邪魔するなよ」


「あなたこそ何してるの?

まず、話を聞いてみたらいいじゃない。

彼は話せるのよ。

昨日だって、話し掛けて来ただけよ」


「ああ、そうだな!

“遊びに行かないか?” って 誘ったあげく

夜這... 」


いや、ヒスイは夜這いのことは知らないんだ。

言わない方がいい。怖がらせる。

なかった方向にしたい。


オレが黙ると、ヒスイは怪訝な顔をしたが

巻き毛の方を向いて、イタリア語で話し始めた。

クソ。オレは わからんぜ。


「Che cosa vuoi da me?」


“ケ コーザ ヴォイ ダ メ?”

今のヒスイの問い掛けだ。

後で 何 言ったのか聞いてやるぜ。


「Sposiamoci」


... あ?


これはわかる。

今は まだでも、一応 調べたことがある。


スポジアーモチ... 『結婚しよう』だ!










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