ナポリを見てから死ね! 4


何かの気配で 目を醒ます。


半端に開いたカーテンの向こうには

まだ街灯が点いているけど、多分 もうすぐ朝だ。


「う... 」


隣にいるヒスイが小さく唸るような声を出した。

壁とオレの間で 暑かったのかもと、身を起こす。


「んん... 」


なんか変だ。怖い夢か?


「ヒスイ?」


シャツの肩に手を置くが

ヒスイは目を醒まさない。


ぎし と、ベッドが軋んだ。

オレもヒスイも、動いてないのに。


ふと、影に気付いて 横を向く。


「... あ?」


黒いベルベッドの三角帽に ブラウンの巻き毛。

公園で見た男が、ベッドに乗ってきていた。


「おまえ、何... ?」


腕で振り飛ばされて、ベッドから落ちる。

クソ、なんだ こいつ!


手を付いた床から赤蔓を伸ばして拘束する。

尾長の火鳥ひとりの式鬼を追突させて、ベッドの足元の方に突き落とさせた。


男は、逆関節の脚で立ち上がり

またイラついた顔をオレに向けた。

もう 一度 火鳥ひとりを追突させて、壁に激突させる。


「ふざけんなよ、おまえ。

オモ・ネロか? インクブスか何かか?」


腕組みして見下ろしてやったけど

オレ、下パンツだ。いまいち決まらねぇぜ。

ちなみに 普通の黒ボクサー。


男は、式鬼が当たった胸に手を宛てて

まだオレを睨んでいる。


「ヒスイをやろうとしたのか?

させると思うか?

言っとくけどな、こいつは さっき

“やっぱり素敵” って、オレに言った。

済んでからな。お前の出る幕はねぇぜ」


どうだ って顔して、指差してやったら

無視してまたベッドに乗りやがった! こいつ...


赤蔓で引っ張り落としたが、気分悪ぃ。

治まりつかん。直接 胸 蹴ってやったけど

裸足だと足 痛ぇぜ。


「諦めろ って言ってんだよ、オレは。

聞かなきゃ 元天使 喚ぶぜ。

オレがパンツだからって なめんなよ」


だんだん泰河とかルカみてきたことに気付いて

ハッとする。

いかん。オレは こうじゃない。

しゅっとしてるよね。と 言われるのがオレだ。

“やっぱり素敵” に、相当 浮かれちまっているようだ。


あれは お世辞じゃなかった。

視なくても それくらいはわかる。眼で。

ちょっとでも余裕が見えれば、残念だがお世辞だ。でも落ちるな。次に活かせ。

大切なのは あ...  クッソ!

またベッドに上ろうとしてやがる! 許せねぇ!


「諦めろっつってんだろ!!」


白鳥しろとりの式鬼 翔ばして、頬ちょっと切ってやる。


ベッドに乗ると、そいつの帽子 引っ掴んで

蹴り落としてながら「ゾイ!」と喚ぶ。


「まだ起きてたの?」と、ゾイが顕れた。


「今 ちょうど、沙耶夏が占いの時間だから

いいんだけど... 」


ゾイが、巻き毛の男に眼を止めると

男は ゾイとオレを睨んで消えた。




********




「やあ、朋樹。まだ眠たいんじゃないのか?」


ジェイドが老けたような顔した 二人の親父さんが

ニヤッとして、オレの肩を叩いた。


「はい... いや、いえ。大丈夫です」


「そうか? 派手だった気がするが

夢だったかもしれない」


巻き毛男をベッドから叩き落としたり、壁に激突させたりしたことか...

どういうことしたら、そういう音が出るんだよ。

オレが親父なら、青い顔で部屋まで行くぜ。


「何 言ってるの? 夢よ」


ヒスイが あくびしながら 顔 洗いに行った。

何も気付いてないんだよな...


「そうだよなぁ。巻き毛の男の夢を見たんだ」


二人の親父さん... とりあえず 今のところ

おじさんと呼ぶ、は

二人の母さん、おばさんからコーヒー受け取って

「オモ・ネロ? 子供みたいね、あなた」と笑われ

おばさんは オレにもコーヒーを渡した。


考えれば、昨夜は

あの男の幻惑か何かが 効いていたはずだ。

ヒスイは 全く起きなかった。


おじさんは、そういう感がある人なんだろうと思う。ジェイドも感は強いしな。

ヒスイよりあるのか、ヒスイには強く幻惑が掛けられていたか...


ヒスイの部屋には 今、式鬼の小鬼を置いた。

『なんか来たら、もう喰え』って言って。


ドアと窓の上にも護符 貼ったから、そうそう変なものも入れない。

部屋で襲われることは もうないけど

問題は、外だ。


ヒスイは、革製品のデザイン会社で働いているが

通常なら 週5のところ、週6で入って

土曜日は製作の講師をしている。

で、オレが会いに来ると 休みをもらう。


だから、オレが こっちにいる間に

あの巻き毛を何とかすることになる。

いや何とかするまで、オレは帰らねぇけど

会社 休ませたり、部屋に ずっと閉じ込める訳にもいかねぇしな。


さっきの あの様子じゃ

あの巻き毛は、どこにでも入り込んで来る。

ベルベッドのベストとボトムとか

メルヘンな格好しやがって。

しかも、無駄に美形なのが腹立つポイントだ。


そういや、三角帽子は置いて消えやがったんだよな...  引っ掴んでやったからだけど。


サラダとオムレツの朝食もらって

なんか朝から、ビスコッティも すげぇ食って

モカコーヒーっていうけどモカ豆は使ってないっていう、直火で淹れたコーヒーも 三杯 飲んで

化粧するから って言うヒスイと部屋に戻る。


化粧してない方が好きなんだけどな。

しても綺麗だけど。


「出掛けないで過ごさないか?」って聞いたら

「それも素敵ね。でも、天気がいいわ。

ヴェスヴィオ山を見る約束をしたじゃない。

次回は、シェムハザの お城でしょう?

お正月は 私が日本に行きたいから、また なかなか行けなくなっちゃうわ」と言う。


「帰れる距離だけど、ナポリで 一泊しない?

きっと今夜も、あなたは素敵だと思うわ」


「よし、行こうぜ。早く化粧 済ませろよ」


コツさえ掴めば、オレは簡単だ。

ヒスイは だいぶ解ってる。笑ってるし。

実際にはベッドは、あってもなくてもいいけど

上手く誘われるのが好きだ。


スーツケース空にして、一泊分のシャツと下着だけ入れると、ヒスイにも仕度させる。

ロザリオ掛けさせて、桃の木護りも持たせて。

式鬼の小鬼も 一緒に行けば 大丈夫だろ。




********




「“Vedi Napoli, e poi muori”!」


「どういう意味?」


「“ナポリを見てから死ね”」


その言葉に頷く。


ヴェスヴィオ山の 東の山麓近くにあるホテルに

スーツケースを置いて、バルコニーに出た。


ヴェスヴィオ山は ナポリのどこからも見えるが

石色、ベージュや黄、赤茶の外壁の 統一感のある ナポリの町並みと、ナポリ湾が 一望 出来る。


この風景を 実際に眼で見ただけでも

オレは かなり満足した。

ナポリを見てから死ね とは、よく言ったものだ。


「ありがとうな。来て良かった」


ヒスイが 隣で、嬉しそうに笑う。

オレが ヒスイに

こういう顔をさせたいんだけどな。


「写真とか、撮る?」


「いや、撮ってやるよ」


なるべく自分の眼で見る。

眼を閉じなくても、脳裏に浮かぶくらいに。

霊視で人から見る景色じゃなくて

オレの眼が見た景色だ。

こうして ここに、ヒスイがいることも。


バルコニーに立つヒスイの写真を スマホで撮ると、護符を 部屋のドアとバルコニーに貼って

遺跡を見に行くことにした。


「ポンペイとエルコラーノ?」


「そう。でも、今日と明日に分けてもいいかもしれないわ」


「そうだな。どうせなら ゆっくり見たい」


ホテルから遺跡までは、バスで行く。


“ポンペイ、ヘルクラネウム及び

トッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域”


ヘラクラネウムというのは、ラテン語みたいだが

エルコラーノの正式名称らしい。

ヘラクラネウム... ギリシャ神話の英雄

ヘラクレスが築いた という伝説がある町で

当時の人口は 4000人程。


人口 12000人だった ポンペイよりは、ずっと小さかった といわれているが、農業や商業が中心だった ポンペイに比べ、上流階級の人たちが暮らしていた といわれる エルコラーノは、文化的には優れていたらしい。


どちらの町も、79年に起こった ヴェスヴィオ山の大噴火で埋まった町で、世界遺産にも登録されている 有名な遺跡だ。


「どっちに行く?」


「エルコラーノからにするか?

今日 日曜だから、ポンペイ観光する人

多そうだしな」


エルコラーノ自体は、コムーネ... 自治体として

機能しているが、町を歩いていると

遺跡の入り口となる門が現れる。


「えっ、これ、本当に埋った町なのか?」


そこには、古代の町が広がっていた。


床のタイルやモザイク、壁の装飾まで

綺麗に残っている。空気までが変わる。

現実世界の時間をさかのぼる。


アーチのトンネルを進む。


「よくこんなに綺麗に残ってるよな」

「ポンペイは火山灰や火山礫も流れてきたけど

こっちは土石流とか泥流だったみたいなの」


トンネルの壁は硬く、しっかりとしていた。

トンネルを抜けると、港に面したアーチの入り口が並ぶ。倉庫だったようだが、それさえ素晴らしく見える。ただ、中には人骨が残っていた。

三百人余りの遺体が見つかった場所みたいだ。


倉庫のアーチの入り口群の前を通り

階段を昇ると、広場みたいなところへ出た。

公衆浴場前広場らしい。

誰かの像と四角い立派な箱のような石台があるけど、その像の人... マルクスってヤツの火葬台らしい。


そこから町に入ると、石畳の道は 段差で

馬車の通る車道と歩道に分かれていた。

鹿の家、黒いサロンの家... と、残っている家には

それぞれ呼び名が付いているが

しっかりした四本脚の石のテーブルがあったり

芸術的なレリーフが残っていたり

本当に、一世紀に こんな暮らしをしていたのか と

驚く限りだ。文化レベルが違う。


歩いていて、人が全然いないことに気付いた。


「二人占めね」と 隣でヒスイが笑う。

「遺跡に あなたと来たかったの。

たった二人きりで歩けるなんて」


かわいくて仕方ない。

オレは なんで何も言えねぇんだ?

女の子が喜びそうなことなんて、幾らでも言ってきたのに。ただ 何かで胸がいっぱいになる。


「あなたの そういう顔が見れて嬉しい」


考える前にキスしたのも初めてのことだ。

昼間だ、とか 誰もいないから、とか


「グロスがついたわ」

「うん」


笑って、白く細い指で オレのくちびるを拭う。


「触れられる夢じゃないわよね?」

「違うよ」


なんだよ、この どうしようもない返事は。

「よかったわ」って笑ってるのが 眩しくて

余計に頭が回らなくなる。


息ついて、手を繋いで歩く。

二千年近くも過去の町を、ヒスイと。

まるで奇跡みたいなことだ。


他の家とは、少し別格に見える家の中を

「見て」と グロスを拭いた指で差す。


中にある、青いモザイクの壁画に圧倒された。


「ネプチューンとアンフィトリテの家よ」


ネプチューン... 海神ポセイドンと

その妻の アンフィトリテの壁画だ。

花や蔦も模様もあるのに、ガラスや貝で造られた海の宮殿に、二人がいるように見える。


「私、あなたが とても好きよ。黒い髪も睫毛も。

視線の向け方も、短気なとこも。

口下手だけど、ケンカしても怒りながら電話してくれるところも。それから... 」


「もういいよ、わかった」って

肩に腕 回して、頭をオレの頬に付けて固定する。

今 こっち見るなよ。絶対。


オレの背中に 片腕を回してきて

笑ってるけど、笑わせておく。

そのまま青い壁画を見てた。長い時間。


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