犬神 8


獣のようなそれは、全体に白く

虎と猫、また犬を混ぜたような顔をしており

長きたてがみ山羊やぎの如きひげを有しておった。


頭部には、牡鹿の如きいかずちの形の角を

四本 屹立きつりつさせており

身体は、白く輝く鱗身うろこみであった。

四足の先には虎の如き爪を有し

尾の先には獅子の如き 白い房毛を有しておる。


シェムハザが「... あの獣か?」と聞くが

「いや」と、ボティスは首を横に振り

何だこれは といったように、鱗身の獣を見つめる。


犬神に憑依された者達は、畏れを為したように

唸りながらも戦意は削がれ、地面に身を低くした。


『犬の神の頭部を持て』


獣は、人語を話した。

眼は ボティスに向いておる。


シェムハザが「シアン、首輪の犬の頭部を」と

命じると、シアンが顕れ

口に咥えた頭部を地面に置いた。


掴んでいた男の両手を離したシェムハザが

半分溶けた犬の頭部を手に取り

ボティスに渡すと

『首輪に重ねよ』と 言われ

シェムハザが地面に置いた、茶の首輪の上に

ボティスが犬の頭部を重ねる。


たまを呼べ』


シェムハザが、犬の首の額に指を置き

異国の呪を唱えると

首輪の上で カタカタと頭部が鳴り

首輪の下に、噛られ 土にまみれた身が顕現した。


首輪の下の首に肉はなく

頭部の耳も、片方は溶かされており

その下の片眼も失われておった。


溶けておらぬ片眼を開くと

そこにはくらい闇が見えた。


『けがれなきものは、えんもまた純粋である』


「何? 何を言っている?」


ボティスが 白き鱗身の獣に聞くが

『解消せよ。人間ひとにしか出来ぬ』と言うて

獣は跳び去った。


「... “人間ひとにしか” ?

ボティスにしか、と いうことか?」


獣が去った後も、憑かれた者等は

死して立つ犬を見ており

犬の動向を伺うておるように動かぬであった。


死した犬は、冥き眼をボティスに向け

溶け残った鼻の上に 険しき皺を寄せた。


裏切った人間を、純粋に怨んでおる と

いうことであろうか? 純粋に 愛した故


ボティスが「シェムハザ」と

儂を渡し、犬と視線の高さを合わせるためか

地に胡座をかいた。


鳴らぬ喉で唸る犬を じっと見つめる。


「どうしたい?」


犬は唸りながら、じりじりと近付く。

湿気のある土の匂い。


みすぼらしき汚れた姿は

恐ろしくあり、哀しくある


犬は牙を剥き、ボティスに飛び掛かると

首に喰らい付く。

シェムハザが、反射的に身を動かした儂を止めようと、回しておる腕に ぐっと力を込め

「動くな」と命じる。


サン


ボティスは、首に喰らい付かれ

顔を上に向けたまま、犬の背に片手を添えた。


「許すな。うらめ。人間おれは裏切った。

お前は、愛したというのに」


犬の顎に力が籠る。

ヒュウ と、ボティスの口から息が漏れた。

シェムハザの腕に掴まれたまま

脳が融け出すかのように、ぐらりとする。


「だが、また愛する。お前の兄弟を 友を」


ボティスが、もう片方の腕を上げ

犬を そっと抱く。


添えておった手で、半分 溶けた頭を撫で

「もう 一度、信じるか?」と聞くと

犬は、首から顎を外した。


ボティスの手の下で、溶けた耳が顕れた。

首輪の下には肉が付き、身に付いた土が消える。


ボティスが視線を合わせ、もう 一度

「三」と 名を呼ぶと

三は、くぅと甘えるように喉を鳴らし

黒く輝く眼にボティスを映し、腕の中で消えた。




********




「何故 お前もいる?」

「俺は功労者だ」


『貸し切りで取れ』と、無理を押し切り

小さき温泉宿を 一夜 貸し切り

三台のタクシーにて、相談所の者等と

ぬらりまで来たものであるが

まだ夕の露天の湯には、長き小麦色の髪を括った

シェムハザも浸かっておる。


儂等は元の姿、狐や狸で にごり湯に浸かり

盆に置いた酒を注ぎ合い、御猪口おちょこを交わしておるのだが、葉桜は 儂の影に隠れるように

こそこそとしておった。


「大変に眩しい方ですね... 」と

影より こそりとシェムハザを覗き

「日本には、猿が浸かる湯もあるというが

これも なかなか良い」と

シェムハザが儂等を見渡すと、また影に隠れる。


「しかし、あれは何だったんだ?」


シェムハザが聞くと、浅黄が

白澤はくたく 様ではなかろうか?」と言うた。


「白澤様は、額にも眼があり

身にも両脇腹に 三つずつ、六つの眼があろう?

背にもつのが生えており、牛のような御姿ではなかろうか?」


儂が反論すると

「それは、絵師の石燕殿が描かれた御姿じゃ」と

浅黄が言い返した。


白澤様は、中国は東望山... 現在の江西省におるといわれ、人語を発し、有徳である王者の前に

御姿を現されるという、中国の瑞獣じゃ。


紀元前二千五百年という遠き昔の

伝説上の黄帝こうていの前に 御姿を現され

『中国には 一万一千五百二十種の妖しがいる』と教え、その対処法なども伝えられた。


黄帝は、それを絵師に命じて描かせ

人々に示し、妖しによる害を未然に防ごうとしておったようであるが

その “白澤図” は、現在に伝わっておらぬ。

残念なことよのう。


「白澤様の御姿は、邪気や悪病を払うといわれ

護符や像などとして御守りとされておったのだ。

だが、日本では “バク” と混合された。

更に 江戸の時代に、絵師の鳥山石燕とりやませきえん殿が

今昔百鬼拾遺こんじゃくひゃっきしゅうい” の “雨” の巻に

白澤様を九つ眼の牛のような御姿で描かれた。

石燕殿は、大変 人気のある絵師であった故

画図百鬼夜行、今昔百鬼拾遺、百器徒然袋と

版本は 皆 読んでおった。

しかし石燕殿は、遊び心のある方であり

描かれたものの 三分の 一程は

石燕殿の創作で描かれたもののようだ」


「むう、そうであったか... 」


石燕殿の影響力は、大きくあるからのう。

今世にも影響しておる程じゃ。

浅黄は儂より、二百程 齢が上であるので

こういったことにも ちぃと詳しくある。


「その本は?」と シェムハザが聞くと

「里にある。現在でも画集として出ておるが」と

答える。ふむ。儂もよう眺めたものよ。


儂等のことは、画図百鬼夜行の “陰” に

“狐火” として描かれておるが、同じ陰には

狸、猫またや、犬神と白児しらちごというものも

描かれておる。

ちなみに、ぬらりは “風” に描かれておったが。


「だが、よう解決されたのう」


桃太が御猪口を傾けながら

まだ感心気味に ボティスに言う。


ボティスは「いや俺じゃない。ハクタクだ」と

普段は なかなかせぬ謙遜などをした。


あの後、ボティスの腕で さんが消えると

憑かれた者等の耳から、白黒斑の犬神等も出て

空に昇り、溶けるように消えた。


憑かれた者等は、一時 気を失うたが

すぐに気が付いたので、病院へ向かわせた。


依頼をされておった家の御主人からも

桃太に連絡が入り、奥方も正気に戻られたということであった。


「そろそろ上がるか。次は 活け作りだ」


「ふむ」と、長き鼻先の口元を開くと

「先に上がったらどうだ?」と

シェムハザに勧められた。


「何故?」


「お前たちは、後で入ったから知らんだろうが

タオルを巻いていない。

マナーとしては、剥き出す訳にも... 」


「榊さん! お先に失礼しましょう!」


葉桜が焦って儂を引っ張る。

ふむ。儂の幼少の折りは、湯屋は混浴であったが

時代は移り変わった故。

一端いっぱしの文化狐の儂としては、時代に合わせるべきであろう。


儂等は、露天の岩風呂から上がると

ちぃと離れて、ぶるぶると毛の湯を切り

脱衣所にてタオルで背を拭き合うと

浴衣の人化けをし、楚々として廊下に出る。


「喉が渇きましたね」と

自動販売機などで炭酸の缶を買い

開けて飲みながら、食事の部屋へ向こうておると

何やら、部屋からは 聞きなれた騒がしき声がする。


「よう、榊ぃ」

「おっ、誰? その子。紹介しろよ」

「先に始めてるぜ」

「後で温泉にも入るけどね」


「むっ... ふむ... 」


「座れよ」と、朋樹に言われて座り

「こんばんは、はじめまして」と挨拶する

ジェイドに、葉桜がビクリとする。


「だいじょーぶだよ、そいつ。

悪い伴天連じゃないんだぜ」

「そう。刺身 食いなよ。

お代わりも頼んでおいたしさ」


ルカと泰河は「白飯 欲しくね?」

「おう、欲しいな。後で雑炊も食うけど」と

内線であるという電話で頼んでおる。


「何故 居る?」


襖を開けたボティスが、憮然とした顔で言うた。

もうすでに、顔には半分 諦めが見えたが。


「なんだよ、おまえ。言って行けよ。

沙耶ちゃんに聞いたんだ。

露も見つけて連れて来たけど、散歩に出てるぜ」

「意外と浴衣が似合うじゃないか」

「シェムハザ、似合わねぇなぁ。ひどいぜ。

完璧に、観光で無理してる外国人 って感じだな」

「おう、浅黄、桃太... と、おじいちゃん?」


「まあいい。食え」と 儂の隣に座り

「おまえ、犬神 解決したって?」と言う朋樹に

麦酒ビイルを注がせる。

葉桜が、泰河等に「狸の子?」

「えっ、真白爺の末孫なのかよ?」などと

勢いに押される様子を見ながら

儂も活け作りを食した。


散々に騒いで、泰河等が「風呂に行こうぜ」と

またボティス等まで連れて行き

儂と葉桜が、テレビなどを観て寛いでおると

ルカと桃太が 先に戻って参り

麦酒を持ってきてもろうておる。


「ボティス等は?」と聞くと

「ボティスと泰河と浅黄は、コンビニ行って来るって。シェムハザと朋樹とジェイドと、あの おじいちゃんは、マッサージの椅子に座ってみてる」と 答えた。


「お前が どちらかに付き合わぬのは

珍しくあるのう」と、ルカに言うと

「えー、いいじゃん別にぃ」と言うが

どうやら、桃太と飲もうと思うたものらしい。

儂等から ちぃと離れて、二人で麦酒を注ぎ合うておる。ふむ。


ぱちり、と 突然に

テレビと部屋の灯りが消えた。


「むっ?」「あら? 停電でしょうか?」

「ブレーカーじゃなかろうか?」


話しておると、ルカが襖を開け

「でも、廊下とか灯り点いてるぜ」と

こちらを振り向く。


「あっ... 」


部屋に出来た ルカの影に、白い煙の様なものが

凝りはじめ、人のかたちになっていく。


女じゃ。

年老いておるが、ニコニコと優しい笑みで

桃太を見ておった。


「これは... 」と、桃太が

銀縁眼鏡の奥の 細き眼を見開く。


『桃太さん』


女が口を開いた。


『しあわせでした、ずっと』


桃太が何も言えぬうちに

『ありがとう』と 女は消え、灯りが点いた。




********




何も話せず、眼鏡を外し

タオルで眼を覆う桃太に、泰河等は何も聞かず

「飲もうぜ!」「日本酒にしよう」と

再び料理まで持ってきてもらい、騒ぎ出した。


知っておられたのだ と

同じに 泣いてしもうた儂は

ボティスに散歩に連れ出されておる。


歩くうちに気分は落ち着いたものであるが

「俺は まだ戻らん」と言うておるので

手を繋ぎ歩く。


「水族館には、お前のみと行く」と

耳輪を弾き、軽い ため息などを吐いた。


「だいたい俺は、一人でいることもない。

地界であってもそうだった。必ず誰かいた。

本を読む時であってもだ。慣れてはいる。

だが あいつ等は、騒がんといられんのだ」


「ふむ。しかし、ジェイドも言うておったが

意外に浴衣が似合うておるのう」


「ユカタが似合う? だから何だ?

お前は、他に言うことはないのか?」


「む... 何故、突然に機嫌が悪くあろう?」


「いいや、何も無い!

見ろ。スカスカする。スカートと変わらん。

ユカタなどで飛べると思うか?

俺は飛ばん。見てくれが おかしいからな」


むう... 何であろうのう。カリカリとしておる。


ちら と、見上げると

眉をしかめたまま、儂を見下ろし

「... 悪い」と謝った。


「軽いストレスだ。当たった」


「ふむ」


サンのことだ。許されるということは

時々 痛みにもなる。俺は クソ野郎も殺した」


また見上げると、くうを見つめておった。


「傷くらい残れば まだ良かったが

首には、跡も何も残らなかった」


茶の首輪も、三と共に消えてしもうたからのう。


「くちづけたくあるが、良かろうか?」


儂が言うと、ボティスは

不思議そうな眼を 儂に向けた。


「むっ... ならぬであろうか?」


こちらに顔を向かせたくあったのだが。

なにか、はかなくあった故。


「ならん訳ないだろ」と

儂を両腕に抱き上げて くちづけた。


暫し見つめられ、儂が顔に熱を持ち出すと

「お前は背丈がないからな」と 降ろしたが

自らが腰を折るなどは せぬようじゃ。


手を繋ぎ「戻るか」と 歩く。

今さらに 大変 恥ずかしゅうなったが

もうカリカリしてはおらぬであった。ふむ。


「使わせておいて言う言葉じゃあないが

俺に気を使う、などということは するなよ」


「むっ。しておらぬ」


「お前は、お前のままがいい」


「... ふむ」


ボティスは 前を向いたまま

「今日は 皆で来た。

呼んでもいないのに、何故か あいつ等もだ。

お前の寝室は、葉桜と 二人だが

お前が望むのであれば... 」などと言う。


「ぬっ、いや...  落ち着かぬ故... 」


「にゃー」


むっ? 露さん?


儂等の ちぃと前には

露さんが、しゃちほこの如きに 二つ尾を上げ

前足を伸ばし、伸びをしておった。


あくびをすると、ちまりとした足で歩み寄り

ボティスの膝に前足を伸ばす。


ボティスは露さんを抱き上げると、ニヤッと笑い

「“露も同室に” と、言おうとしていたが

お前は何を考えた?」などと言い

儂は大変に、顔を燃やした。





********       「犬神」 了

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