エデン

泰河


ベッドの枕元で、スマホが鳴る。

眠てぇ。何時だ? 今...


朝 9時24分。着信の表示は ボティスだ。


「うい... 」


『言え』


「“ライラック”」


『フランス語』と、聞かれると

オレの腕には、白い焔の模様が浮かぶ。

今ここに 鏡がないから確認は出来ないが

たぶん、右眼の周りにも。


「“リラ”」


『良し。後で教会だ』


これで通話は終わって、スマホ持ったまま あくびする。もう起きるか...

電話の短い この確認の会話は、毎朝の日課だ。


リラ。預言者の名前。

ルカと恋した。


預言者は、預言を遺して灰になる。

自殺を選んだ人が “天に昇らせてやる” と

天のヤツに使われている。


そうして、預言者の記憶は

オレらから削除される。預言の言葉すらも。


これは、表層の記憶から 消えるということだ。

深層... 意識しないような深いところには残る。


だから以前、ボティスがまだ悪魔で

思考や三世が視れた時は

オレら自身が忘れてしまっていたことでも

過去の記憶として視えた。


預言の内容は、すべきこと。

預言者を使ってるヤツが、オレらにさせようと

計画していること。

預言者を使って、オレらを洗脳している。


これをやっているのは、サンダルフォンと

あと別の誰か。

本人が預言者を仕立ててるんじゃなく

めいを出して、他の天使にやらせてるんだろうけどさ。


オレには、よくわからん獣の血が混ざっていて

ボティスが言うには “原初で終の獣”。

今のところ、神の創った全てから 自然発生したと考えられている。


神の意図外のもの。偶発的にだろうけど

間違えて生まれたようなものだ。


ガキの頃に、そいつに会ったオレは

何を思ったか、そいつを食ったらしく

それで 血が混ざったようだ。


オレ自身は そのことを忘れていた。

今も、獣に会ったことは思い出せない。


けど、サンダルフォンは

この獣の血を利用しようとしている。

獣には何も通用しないのに、獣からは何にでも作用 出来るらしい。

そのために、預言者を送り込んで

オレらを自分の駒にしようと 仕度をさせた。


大母神キュベレ。

神が 自分から抜いた悪の部分。神の肋骨。


今までオレらは、サンダルフォンは

こいつを起こさないようにしようとしてるんだと思ってた。


だが、真逆で

天に眠らされている こいつを起こすために、

そして 起こした後にも

オレらを、何かの駒に利用しようとしている

... というのが、最近 オレらが辿り着いた予想だ。


サンダルフォンの思惑を “看破せよ” と

送られた預言者が、“リラ”。

誰が送ってきたのかは、まだ わからない。


預言者が灰になるところを 初めて見た。


預言者は、見た目は 普通の生身の人間だ。

身体の奥から 光を発して、灰になって落ちる。


信じられなかった。

何より、ルカの目の前だった。

こんなことするヤツらに 使われるのは真っ平だ。

サンダルフォンにも、他の誰かにも。


キュべレとか 天とか、地上掌握だとか知らねぇし

オレらには、どうでもいい話だ。

ただ、大切なものだけは 必ず護る。


オレが、今のところ リラを忘れてないのは

たぶん 獣の血のせいだろうと思う。


血が混ざったのはガキの頃だが

それの力を使えるようになったのは

ごく最近のことだ。

ルカが天の筆で、オレの右眼の周りと右腕に

白い焔のような模様を出してから。


オレは、所謂いわゆる 霊感のような感が ほぼなかったが

模様が出てからは、右眼だけで霊やら何やらも見えるし、右手で触れるだけで、霊や呪詛の浄化が出来るようになった。


ボティスは オレを、“獣人” と言う。

まあ 血が混じってるんだし、否定はしねぇけど。


ボティスも まだ忘れていない。


オレが会った時

ボティスは、堕天使系の悪魔だった。

“ボティス” というのも、悪魔の時の名前だ。


呪力を失い、人間になった後

サンダルフォンに、天に上げられた。

元の天使 “バラキエル” として。


でも 天使バラキエルは、二度目の堕天をした。

バラキエル... ボティスは、また人間になった。


今は、魔人まびとと言えばいいのか

天人てんびとと言えばいいのか、よくわからないが

とにかく、普通に人から出生した 普通の人間ではない、ってことだ。

だから 忘れないのかもしれない。


... ルカ本人は、忘れてしまった。


ジェイドも。

朋樹も、自分の記憶としては 持ってない。

ルカが見た、ルカの記憶として

朋樹の中に残ってるけど。


でも、あったことだ。リラはいた。本当に。

嘘にはしない。


毎朝、ボティスと確認する。

ライラック、リラ と。


よし。大丈夫だ。まだ顔も浮かぶ。

ルカのことを、照れながら見上げる顔が。


軽くシャワー浴びて、着替えて

スマホと財布、鍵持って 部屋を出る。


車乗って、朋樹に電話すると

『もう教会に向かってる』って言うし

ルカは、ボティスとバイクだ。

ジェイドにかけて、何か要るか聞くと

『飲み物だけ頼む』ってことで

コンビニに寄って、教会へ向かうことにした。




********




教会の裏に車を回す。

最近、教会墓地近くが整備されて

来客用駐車場とは別に

オレら用にも三台分の駐車場が用意された。


一台分は、ジェイドのワーゲンバス。

六人乗りだし、まとまって仕事行く時は

このバスで行く。

あと 二台分は、オレと朋樹の車用だけど

朋樹の車はまだ停まってない。


ルカのバイクは、教会の敷地。

教会の裏のジェイドの家の隣には

家庭菜園スペースがあるけど

『何かを育てる暇がない』って言うので

半分は、ルカのバイクスペースになった。


半分には、ルカがミントの種を ばら蒔いたので

来年は大変なことになるらしい。


車を降りると、墓地に寄って

木の下の 平らな白い墓石に手を組んで祈る。

胡蝶と、冨士夫の。

墓石を二つ並べるかどうか考えて、一つにした。


ここでも、預言者の 一人が

灰になったって聞いた。

会ったことは忘れちまったけど、オレや朋樹にも

預言を残している。


緑茶とか炭酸とか入ったビニール持って

教会の門の鉄柵を開けて、敷地に入る。


秋になっても昼間は まだ暑いが

神父服スータンを着たジェイドが、ちょうど教会の扉を開けた。ジェイドは見た目は麗しい。


一緒に出た信徒らしき人が、ジェイドに頭を下げて、今オレが入った門の方へ石畳を歩く。


すれ違う時に会釈して

「おはよう、泰河」と言うジェイドに

「よう」と答えて、一緒に教会に入る。


教会には、パラパラと信徒の人たちと

助祭の本山神父がいて

ジェイドは、朝の祈りと話の後に

さっきの人の悩みを聞いて、個別に祈っていたようだ。


信徒の人たちが、教会の掃除をしてくれてる。

オレらは、ジェイドのツレだと知られているので

「おはようございます」と、にこやかに挨拶されて、オレも挨拶を返した。


「では、本山さん。

お昼は お部屋にお持ちしますね。後は... 」


ジェイドが助祭の子に言うと

「はい、ヴィタリーニ司祭。お疲れさまです」と

すっかり慣れている調子でジェイドに会釈している。


教会に隣接して、この助祭の本山くんにも

休憩する部屋が用意されている。

教会は夜まで解放されてるけど

午後は、告解や相談がない限り

夕方までは無人ってことも結構あるようだ。


夕方からは、学校帰りの子とか

仕事帰りに祈りたい人が来たりして

オレらも知り合いのヒロヤって子が

子供たちに勉強を教えに来るけど

ジェイドが、午後 教会に出ることは そんなになく

本山くんが教会をみている。えらいよなぁ。


「じゃあ、行こうか」って言うジェイドと

教会の裏口から出て、家の方に回る。


ルカのバイクも停まってるし

ルカもボティスも、もう来てるみたいだ。


玄関のドア開けながら

「今から昼を作るけど、着替えてくるよ」と

ジェイドが言う。


リビングのソファーには、片膝立てたボティスが

本 読んでて

オレに「よう」と、ゴールドの眼だけ上げた。


キッチンからルカが 顔 出して

「おう泰河、手伝えよー」だと。

着いたばっかなのにさ。

今日は水曜で、沙耶ちゃんの店が休みだから

昼か夜、一食は こうなる。

ボティスが『外食は飽きた』って言うから。


で、ボティスは 一切、こういうことはしない。

洗濯とかも、泊まった家に脱ぎ散らかして行くし

オレらの仕事になる。


まあ、ボティスは こう見えて

地界に 城と60の軍を持ち

今は地上にも 守護天使の軍を持つ。

そりゃ、家事とか 一切しないよな...


しかも気付くと、オレらは いつの間にか

『ボティス ボティス』って言って

まるで彼女かのように、ボティスの言うことを

聞きたいようになっていた。恐ろしいぜ。


実際のボティスの女は、あの榊なんだけどさ。


榊は、ボティスと まとまって

何か落ち着いた。

いや別に、榊は榊なんだよな。よく食うし。

尾が三つに増えて、狐火も すげぇ黒炎 吐くようになったけど、やっぱり落ち着いたようにみえる。


『散歩』って、二人で会ったりもしてるようだが

みんなでいたりする時は、前までと大差ない。

オレらも 二人に対して、たいした気も使わない。

普通にいる感じだ。


キッチンで手を洗って、香草を詰めたチキンを

オーブンに入れてるルカに

「オレ、何すりゃいいんだよ?」って聞くと

「サラダー」って答えて

ルカも 一回 手ぇ洗って、グラス用意し出した。


「朋樹が、後で “ゾイ呼ぶ” ってさ。

沙耶さんが作ったソース持って来てくれるから

後は、ジェイドが野菜かなんか炒めるだろ。

飲み物 注いでおくぜー」


サラダか、と 冷蔵庫 開けて

レタスちぎって、トマトとアボカドとキュウリ切る。ドレッシングとレモンかけりゃいいな。

沙耶ちゃんの手伝いするから、多少 包丁が使えるようになった。


ボウルに突っ込んで、ラップしてたら

着替えたジェイドが来た。


「朋樹が着いたんだけど

式鬼飯シキメシする” って言うんだ」


知ってる? って風に、オレを見る。

うん。式鬼飯か...

朋樹は 自分の式鬼に、時々 飯を食わせる。


ジェイドと一緒にリビングに戻ると

朋樹が、リビングのテーブルに皿並べて

生肉やら刺身やら、花やら蜂蜜やら

置いたり入れたりしてるとこだった。


ルカとボティスが並んで座ってるし

「ゾイの分 空けといてくれ」って言うから

やっぱり オレは床。


テーブルの支度が済むと、朋樹は 呪を唱えながら

指で、左腕の内側の手首から肘の裏まで文字を書いて、指で書いた見えない文字から血が滲むと

滴る それを、皿の肉やら花やらに落とした。


「えっ、血も?」と ルカが眼を丸くして

「魔術っぽいな」と、本を閉じたボティスが

ピアスを弾きながら言う。


「そう。普段は、月一 くらいで飯だけだけど

たまにオレの血をやる必要がある」


ふうん、って顔で

ジェイドもグラスの緑茶 飲んでるけど

少し前なら、これをここでやるのは許さなかったんじゃないかと思う。固い神父だったしさ。


今では、ここや教会に悪魔は立ち入るし

ジェイド自身も魔術を使う。

最近も皇帝の血にけがれた。


朋樹が、ふうっと 長く自分の腕に息を吹くと

血が滲む文字が薄れて消える。


「ただ、問題は ゾイだ」


「ゾイ」と、朋樹が呼ぶと

手に小鍋を持ったゾイが顕れた。


ゾイは、朋樹の式鬼だ。

身体は悪魔のゾイで男だが、中身はファシエルという天使。女の。厄介だよな...


「こんにちは。これ、沙耶夏のソース。

野菜にも肉にも合うけど、魚なら白身だって」


ゾイは、沙耶ちゃんの店で働いてて

沙耶ちゃんの家で寝起きもしている。


悪魔は もちろん、下級天使も滅するくらいのヤツだから、これ以上の警護はいない。

けど、見た目は男だ。

細身。鎖骨までの黒髪。グレーの眼。

だから ちょっと、沙耶ちゃんの家にいると思うと

妙な気分になる。


ジェイドが「ありがとう」って鍋 受け取って

朋樹に「座れよ」って言われて

ゾイがソファーに座る。


「今日、式鬼飯なんだけどさ」って

朋樹が説明すると

「冒涜的だね」と、ゾイは眉をしかめた。


「朋樹の血を飲まなくたって、私は命令に背かない。どうしても必要なら仕方ないけど」


そうだよなぁ。元天使だし、イヤだよな。


「報酬は貰え」と ボティスが言い

朋樹が「じゃあ、何か欲しいもん買ってやるよ。

ここで飯 食ってくか?」と 聞く。


ゾイは、朋樹の言葉に嬉しそうに頷いた。

しぐさが女の子っぽいよな...

まあ、気にしないでおくか。

いい関係には なってきた気がするしさ。


朋樹が式鬼札を何枚か出して、それぞれをテーブルの肉やら花やらの上に置いて

「よし、おまえら 喰え」と言うと

札の下でガツガツと肉や刺身が減っていき

花がしおれ、蜂蜜も減っていく。


しおれてカラカラに乾いた花以外が無くなると

式鬼札も消える。

テーブルに忽然と、炎の鳥や蝶、白い鳥や青い蝶

幾匹かの小鬼が出現して

朋樹の背後に、飛び入って消えた。


















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