鴉天狗 3


「なんと... 」


「きれいだな」


里の空は もう、薄明かりに近づいておったが

人里は 夕暮れ時であった。


儂等は、その境の空におり

夕焼けに赤く染まり

また、朝焼けの水や黄の色に染まる。

夜の訪れと 朝の訪れが、ひとつにある空。


だが儂からは、半分程は 残念ではあるが

羽ばたく翼しか見えなんだ。


ちょいと首を伸ばすと、ボティスが気づき

「背に乗るか?」と聞いてくるが

一度 地に降りておれば、空の色の変わりゆく様を

見逃すに違いない。


「最初から背に乗れば良かったのう」


「背だと、俺は お前を支えられんがな」


むっ! そうであろうのう...

翼を羽ばたかせねばならぬのであるから。

儂は、浅黄ほどバランス感覚に優れておらぬ。

角に掴まるだけで、これほどの高さは

いさかか不安ではある。


「前を向けんのか?」


「鼻が邪魔する故...

むっ! 人化けしても良いであろうか?

今より重みは増すが... 」


「... 俺は 悪魔にしては、そう体力はないが

お前を落とす程ではない。人よりはある」


つまり、良いということであろうか?

長き言葉で答えた割に、わかりづらいのう...

重うなる故、迷うておるものか?


だが、普段より よう喋る者ではあるが

低く静かな声質であるため

騒がしくは感じぬのであろう。


儂も迷うておると「化けろ」と言うた。


そこで、人化けしてみると

人の赤子のように

抱かれることになってしもうた。


ぬ...  迷うたような答えの理由は

これであったか...

これは何か、顔などは見づらくある。


だが「見ろ」と言われ

「む?」と 反射的に顔を見上げると

「空だ」と 笑われた。

ちぃと恥ずかしくなったが

何やら空気は和んだ。


そう、空の天地を望むため

人化けしたというのに、今 顔を見てものう...

儂は また 少し笑うた。


空は、大変に素晴らしくあった。


身は、燃えるような 夕焼けにある。

見上げると あの心地好い静かな夜の色が増し

眼下には、清き水の色や黄の色が入り交じり

朝の薄明かりが 次第に白き色を増してゆく。


なんと


なんというさまであろう


「世界の色だ」


静けき声が、添うておる ボティスの胸からも

小さく 身に響いて届く。


「ふむ」


「お前等がおらねば、こうにはならん」


「里の境であるからのう」


ボティスは黙り、空から儂に ちらと眼を向けると

小さく笑い、また空に視線を戻すと

「まあいい」などと言う。


そのうちに、燃えた空は夜の色に染まり

眼下には、白く清き朝が訪れた。


儂は、境にあり

素晴らしき世界の色を見た。


里の空を結界で閉じれば、もう見れぬであろうが

今みた すべての色は、忘れぬであろう。


「素晴らしきものを見た。礼を言う」


見上げて言うと、赤き眼で儂を見返し

「俺も言う」と答えた。


はて?


考えると、また笑うておる。

むう。何なのじゃ...


「狐に戻るかのう」


「戻るか?」


すると、抱き方を変えようとする。

むっ、化け解く前に

手で肩に掴まることになるのでは?

ならぬ気がする。


「どうであろう?」と、焦って問うと

「なんだ?」と笑う。


むう、と 黙ると

「どっちへ行く?」と 聞いてきた。


「夜へ」と 答えると

ボティスは「良し」と笑い

背の翼を大きく羽ばたかせた。




********




儂等は、空の散歩を満喫した。


一度など、人里の真ん中で

ボティスが ふざけて低く降り

どっ と 騒ぐ声などが、下から押し寄せた。


『テング?』『モスマンでは?』と 騒ぎ

『女が拐われている!』と 言うておった。

泰河等は、依頼が入らねば 特に動かぬが

しばらくは 噂などに上るやも知れぬのう。


星を見て、月を見て

眼下の人里の灯りなどを見て。


儂の腹が空腹に鳴ったので

暫し地に降りることとなったが

ボティスは姿を消すことになり

店などに入っても、話は出来ぬ。


持ち帰りの物を注文するなどは敷居が高くあったが、姿を消したボティスに メニュウを指差してもらい、なんとか持ち帰りの珈琲とバーガーなどを買うた。


公園の 一角に 神隠しを掛け

ベンチで バーガーなどを食す。


「一度 店の中で、食事をしたいがな」と

ボティスは 残念そうではあるが

「泰河等が仕事を請ける店には行くのであろう?」と聞くと

「それとは また違う」と 言う。

ふむ。何とはなしに、わかる気はする。


「だが今も楽しい」


「ふむ」


食す間、儂等は そう話さなんだ。

しかし特に気も使わぬ。何やら楽であるのう。


一度ゴミを捨てると、まだ残っておる珈琲を

並んで飲む。熱過ぎて なかなか飲めなんだ。

そろそろ冷たい飲料の時期じゃのう。


「浅黄と、大変に懇意であるな」


何気もなく 儂が言うと

ボティスは「そうだな」と答える。


「俺は 悪魔で、“ボティス” という名で

それなりに知られる、軍の指揮官だ。

浅黄は霊獣で、武の者で 他の山にも知られ

里トップの玄翁の警護を務めている。

だが俺も浅黄も、互いに会って酒を飲む時は

ただの悪魔と狐だ。外側が外れる。名すらも」


そして それは、ボティスにとって

特別な存在であると言う。


「天にいる頃から共にあった者も

もちろん大切な友であり、代わりは利かんが

浅黄とは違うのだ。

俺は 浅黄相手であれば、弱音なども吐く。

何故かなどは わからん。理由を考えもしない。

そういう者に出会った ということだ」


むう...  意外に深きものであったか...

儂がそう言うと


「深い... ?」と 考え

「“深い” より、“自然” が近い。

深さであれば、ハティ達だ」と 言うた。


ふむ。良い。


「泰河等は?」

「あいつらは おもしろい。気に入っている。

まあ、あいつらとは ゆっくりでいい」


浅黄とは違うようであるのう。


「儂は どうであろう?」と 聞くと、ボティスは

珈琲のカップを口に運ぶのを止めた。


「お前は それを、俺に聞いているのか?」


頷く。当然であろう。

今 他に、この場に誰がおるというのじゃ。


「お前も特別だ」


「納得がいかぬ。儂の前では弱音など吐かぬではないか。適当に言うておるな?」


「お前は 女だ」


「むっ。何の関係があろうか?

儂は術であれば、玄翁に次ぐ程は... 」


「わかった。俺の言い方が悪い」


ボティスは ため息をつき

「特別だという証拠は、翼の秘密の共有だ」と

言うた。


「お前と浅黄しか知らんのだ。

ハティ達にも、必要がないから言ってない。

翼は、お前や浅黄と出会い

話すようになってから再生された。

それからだ。今日見た空。

お前達に出会っていなければ、俺は

“夜があり、同時に朝もある” としか思わなかっただろう。これは、大切なことだ」


ふむ...


話の先を待ったが、先はないようじゃ。


「ならば、儂は 二番目に特別ということか?」


「いや... 」


ボティスは、額などを 片手で抱えた。


「お前は 何故そう、何にでも対抗心を燃やすのか...  それなら聞くが

榊。お前は、俺の 一番 特別になりたいのか?」


「二番よりは 一番が良いが... 」


「俺は、“俺の” と 聞いている」


「む? ... どうであろう?」


そう問われると、どうであろう?


ボティスは また ため息などをつき

「それなら、別にいいだろう。もう考えるな。

どこかで何か話もズレている。

俺が お前に弱音を吐かんのは、お前が女だからだ。だが俺にとって、お前は特別だ。

俺は、今日 二度 全部言った。

しかし、お前の鈍さというものは

俺の予測より かなり上だ。どう言っても届かん気がする。侮れんどころか、恐ろしい」と

珈琲を飲んでおる。


むう。鈍いなどは まだ置いておけるとしても

また “女だから” じゃ。


「儂は、“女であるから” というのが

気に入らぬのだ。

今 話を聞いておって、一番二番の問題ではないのであろうと思うた。

だが女であるから、儂は 何かと省かれる。

今日も、儂のことは広場に呼ばなんだ」


ボティスは、空になったカップに

ふっと息をかけ、塵箱まで飛ばして捨てると

「寂しかったのか?」などと聞く。


「むっ...  ふむ... 」


「それなら そう言え。

お前が女だから省いたんじゃない。

これは、男や女やというのは関係なく

約束の問題だ。

俺は浅黄と “二人で飲もう” と約束した。

お前とは “浅黄と飲んだら飛ぶ” と、約束した。

どちらも守った。今度は 玄翁達だ。

だが寂しかったのであれば、そう言えばいい。

悪かった」


「いや、お前が悪い訳ではないやも知れぬ」


「いいや。俺の説明不足だ。今 説明しておく。

俺は、浅黄と二人で飲みたい と思う時がある。

友だからだ。

そして、まだ あまり誘ったことはないが

俺は、お前とも こうして

二人だけで話したい と思っている。

皆で話すのもいい。楽しいからな。

だが、知り合うために会話を重ねるには

一人ずつと話すのがいいから、時々 二人で話す。

ここまでは いいか?」


「ふむ」


「良し。また俺と浅黄が 二人で飲んで

寂しくなったら、そう言え。

言いづらければ 他の言葉でもいい。

俺にでもいい。浅黄にでもいい。

お前が寂しくなくなるまで話をする」


そして

「俺は お前から浅黄を取らんから、安心しろ」

などと言う。


「そうではない。何か違う」


違う気がするのだが、何が違うかは

ようわからなんだ。


「榊」


「む?」と、ボティスを見上げると

「お前は、恋というものをしたことがあるのか?」と 聞かれ、儂は また答えられなんだ。


「まあ、お前に合わせ ゆっくりいく」と

ボティスが ベンチを立った時

ただならぬ気配が、周囲を圧した。

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