桜月 2


私が最初に就職したのは、ホテルのレストランのキッチンだった。


もちろん、お給料は少なかったし

オムレツばかり焼いてた気がする。


だけど、調理の腕は 格段に上がった。

先輩たちの調理の夢を見ていたから。

直接 教えてもらえることは 少なくても

料理長も先輩たちも 全員が、私の先生だった。


二年半 勤めた時、朔也は中学生で

進学する高校を決める時期。


なんとか 大学まで進ませてあげたかったし

父も ちゃんと、お金は入れてくれてる。


母が蒸発したのは、そういう時期だった。



理由は わからない。


だって、母は変わらずパートに出掛けて

家事もこなしてくれていて

なにか変わった夢は、見ていない。


誰か お付き合いしてる人がいる訳じゃなかったし

家を出るような理由も見当たらなかった。


『さあちゃん、ごめんね。

でも、さあちゃんが お金を入れてくれて

とっても 助かってる』

『朔が大人になったら、近くでも

三人で旅行に行ってみたいね。

ママも もっと頑張るね』


家から無くなった物も、特にないと思うし

事故だとか、なにか怖いことに巻き込まれたんじゃないか... って、警察に行方不明届けを出した。


母に該当するような事故もなくて

母の実家や、兄弟にも連絡を取ったけど

誰も 何もわからない。


警察は、“自発的な家出の恐れが高い” って言う。

成人の場合、持病なんかがなかったら

優先的な捜索はされない、とも。


家出なんて... と

私が探してみても、何の痕跡も見えない。


高校には進学しない、と言った朔也を

なんとか説得して

父に相談すると、生活費を余分に出してくれることになった。


でも、今のままの私の お給料じゃ...


私は、ホテルのキッチンで働きながら

他に就職先を探すことにした。


シフト制で、お休みは平日だから

お仕事は探しやすい。

だけど、少し昇給した今のお給料よりも いいところは、なかなか見つからなかった。


私に出来るのは、中途半端な お料理だけ。

他には何も...


そうだわ

夢は、何かに役立てられないかしら?


占い師さんの学校に通った訳じゃないけど

うまく利用出来れば...


私は、目先を変えて

今の お仕事を続けながら

お休みの日だけアルバイトが出来ないか と

占い師さんの募集を探した。


そうしてみると、結構 募集はあるのだけど

何件かに問い合わせたり、話を聞きに行ってみて

難しいのは、私の お休みの曜日が

固定じゃないこと。

お店が、お客さんの予約を取りづらいみたい。


占いのお店に雇ってもらうんじゃなくて

個人でやってみようかしら... ?


その場合だと、予約制にすれば

決まった曜日じゃなくてもいいけど

今度は、場所が必要になる。

個人の占い師さんには、自宅で開業してる人も

いるみたいだけど、それは不安だった。


朔也もいるし、きっと何か気にする。

知らない人が家に来るのも、なんだか怖い。


自転車で移動していたけれど

疲れてしまって、公園で休憩しようかと考える。


おいしいコーヒーが飲みたいな...

喫茶店に入るのは贅沢かしら?


どうしてだか、わからないけど

どうしても、淹れてもらったコーヒーが飲みたくて、公園を通り過ぎて

すぐ近くにある喫茶店に入ってみた。


カラコロ と、優しい音のドアベルが鳴る。


白い煉瓦を基調とした お店の中は

とても ゆったりしていて、のんびり出来そうだった。まだ新しいお店みたい。でも どこかレトロ。

中途半端な時間だから、他にお客さんはいない。


喫茶店に入ったのなんて、いつぶりかな?


お金のこともあるけど

お仕事では ありがたいことに まかない付きだし、

なかなか外で お店に入ろうと思えなかった。


「あっ、いらっしゃいませ!」


カウンターの奥、たぶんキッチンから

私より 10個くらい年上の男の人が

慌てて出て来て

「お好きな席にどうぞ」って

お水とメニューの本の支度をしてる。


なんだか、“遊んでそう” って 雰囲気の人。

それが第一印象だった。


他にお客さんがいないと、逆に 座るとこって

どうしよう。

私は 一人だけど、カウンターは何だか... って、

少し迷ってたら

「こちらはどうですか?」って

カウンターの前のテーブルに案内された。


「いや、すみません。今 キッチンにいるので

ここなら呼んでいただいても、聞こえますので...

こちらでいいですか?」


この時は、親切そうな感じがして

ちょっと ほっとした。


「はい」って頷くと

その人も、ほっとしたように笑って

「まだ始めたばっかりで、なんだか慣れなくて

すみません。

ご注文が お決まりになったら、呼んで下さい」と

キッチンに戻って行った。


メニューを 一応 開いてみるけど

結局、ブレンドコーヒーだけ お願いする。


サイフォンで淹れるみたいで

少し あたふたしながら、準備してて

笑っちゃったら悪いし

私は バッグから求人誌を出して

もう何度か見たページを開いた。


コーヒーの香りが立つ中

こぽこぽと、サイフォンの音を聞きながら

あら? と 思う。


... この人

夢が見えないし、何も聞こえない。


カウンターの中の その人は

カップの仕度をしてる。


背が高いなぁ。

顎だけ整えたヒゲを伸ばしてる。

でも清潔感があって、好感が持てる。


サイフォンに向かって頷いて

出来上がったコーヒーをカップに注いで

「お待たせしました」って 持ってきてくれたけど

人差し指に、最近 出来たような

軽い火傷の跡があった。


「これ、鍋でやっちゃって」


恥ずかしそうにしてる。


「ちょっと、待っててくださいね!」


はっとした顔で キッチンに入って行って

お皿を持って、すぐに戻ってきた。


「どうぞ。試作なんですけど... 」って

カスタードのパイを出してくれて

「いいんですか?」って聞くと

「サービスです」と カウンターに回って

サイフォンを洗い始める。


おいしそう。

でも、手掴みで食べるのかな?

途中で カスタード 落としちゃったら

かっこ悪いし

大きな口を開けるのって、少し恥ずかしい。

彼がキッチンに行くのを待って 食べようかしら...


そんなことを考えてたら

「あっ、すみません!」って

フォークを持ってきてくれた。

忘れちゃってたんだ。ちょっと おかしくなる。


カスタードパイは、おいしい。

甘すぎなくて、ほっとする味がした。


「... アルバイト、探してるんですか?」


まだ恥ずかしそうに、テーブルの雑誌を見て

彼が言う。


「ええ。お休みの日だけ」


「じゃあ、日曜日ですか?

部活なんかが終わってから かな?」


部活、って...


「私、学生じゃないですよ。お仕事してます」


まだ間違えられるのね...

よくあることだから、慣れてるけど。


「えっ? 失礼、お若いけど

お若く見えたから。お仕事されてるんですね。

それでアルバイトも探すなんて

働き者ですね。えらいです」


焦ってるみたい。


「私も、お料理のお仕事してます。

ホテルのキッチンで。でも、アルバイトは... 」


「え! じゃあ、うちで どうですか?」


「いえ、あの、アルバイトは

占い師さんをしようかと... 」


「占い師さん?」


私、どうして こんなこと

この人に話してるのかしら?


「はい。昔から、いろいろと見えたりするので...

でも、あなたからは... 」


「ちょっと、向かいに座っていいですか?」と

返事を待たずに その人が座る。


「みてもらえます?」


見えない、って 言おうとしたのに。


ちゃんと言おうとして、彼の眼を見ると

急に 彼の夢が見え出した。


「... ご実家、お寺ですね。

お兄さんが 二人、妹さんが 一人。

小さな頃から 亡くなった人が見えるけど、

その方たちのために祈って、ここではない場所に見送る お手伝いが出来る。

お店をしながら、今も そういったこともしてる。

... お寺は お兄さんが継ぐから、高校を卒業して、調理の専門学校に入ったけど

そこを出てからは しばらく遊んでた。

勘当されかけたから、仕方なくフランス料理の お店で修行して、お仕事は楽しくなってきたけど

先輩と うまくいかなくて

拝み屋さんの副業で、お金を貯めて

お家からも お金を借りて、お店を開業した。

一昨年、六年お付き合いした人と お別れして... 」


「あっ! うん、そうなんだ!

好きにばっかりしてるから、フラレちゃって...

ごめん、よくわかったよ。ありがとう」


彼は、ふう って息を吐くと

「すごく正確なんだね。驚いたよ」って

ドアに “準備中” のボードをかけた。


「えっと、なんだ。あのさ

その占いのアルバイト、ここでしない?

奥のテーブルを使って」


「いいんですか?!」


驚いて、立ち上がりかけたけど

急にまた 彼から、何も見えなくなったのが不思議で、それは私の表情に出ていたのだと思う。


「ああ、僕は思考が漏れないように修行したんだ。僕自身は、生きてる人からは何も視えないんだけど、母が 君みたいに、視える人だからね。

いろいろと不都合だったから。

なんでも分かられると、息子としては」


彼は ちょっと得意気な顔で笑って

「じゃ、今度は君の話を聞かせてもらおうかな。

何か悩んでるよね?

それは なんとなくわかるんだけど

それしかわからないし。

あっ、無理にとは言わないけど

うーん...  なんか 多分だけど

話したほうがいいような気がするから」と

一度 カウンターへ入って

コーヒーを入れ換えた保温サーバーから

自分の分をカップに注いで、また私の前に座った。


それから、どうぞ って風に

話を促す顔で、私に笑いかける。


「... 母が、行方不明になったんです。

あ、父は新しい家族がいて

それで、弟と 二人で暮らしていて... 」


どうして、初対面の人に

こんなに話してしまうのか わからなかったけど

私は、話を止めることが出来なかったし

もっと困ったことに、途中までは

自分が泣いていることにも、気づいてなかった。










  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る