桜月 沙耶夏

桜月 1


『よう、沙耶ちゃん。

実家の方の仕事は済んだからさ

明日からでも、また 仕事 入れてくれ』


「ええ、わかったわ。お疲れさま」


朋樹くんからの電話。

“明日からでも” なんて、大丈夫なのかしら?

私としては、少し休ませたいのだけど。



今日は、キッチンの方から出ようかな。


閉店の札をドアに掛けると、鍵も掛けて

カウンターの上に自分のバッグを置く。


帰る前に、置いたバッグの前に座って

仕入れや 占いの予約のチェックをしていると

隣に誰かが座った。


「珈琲」


「... ええ」


長い角と牙を持つ、ボティスと言う人。

この冬から、時々こうして コーヒーを飲みに来る。


朋樹くんと泰河くんに加えて

ルカくんと、神父さんのジェイドくんが

私が受ける お祓いの仕事をするために居てくれるのだけど、こういうお客さんも増えつつあるのよね...


カウンターでサイフォンをセットしていると

「春だな」って、小さな瓶をカウンターに置いてる。


「ええ、そうね。お酒なの?」


「狐の桜酒だ。里でもらった」


狐って、朋樹くんと泰河くんが

お付き合いがある狐さん達ね。


今 座ってる、このボティスさんには

私と同じような能力があるのだけど

私には、彼を視ることが出来ない。


私も、彼に視られないよう

思考を閉じているけど、それが通用しているかは

定かじゃない。


この人は、朋樹くんたちの前では

よく喋るのだけど、私だけだと あまり喋らない。

でも不思議と気は使わない。


「ハティは?」


「昨日の夕方にいらしたわ」


赤い肌の本好きな人は、だいたい夕方に来る。


占いのお客さんと、夕方の仕込みの時間で

占いのお客さんが来ると 姿を見えなくして

夜の営業開始の時間までの間まで

カウンター近くのテーブル席で本を読んでる。


「一人で大変だろう?」


彼は 何度となく、自分の配下の人を置こうかと

提案してくる。


「ええ、そうね。

だけど慣れてるし、大学生の子が

朝の掃除に通ってくれてるから、大丈夫よ」


私は いつも、こう言って断るのだけど。


本当は、この人や ハーゲンティさんが

私を心配してくれてる ってことはわかる。


それは、朋樹くんたちが

フランスから帰って来てから特に。

ルカくんからは、一度

見たことのない白い動物の神様のようなものが

見えた。きっと、それが関係してる。


こぽこぽと音を立てるサイフォンから

アルコールランプを引いて

こうやって気を使わせるくらいなら

その配下の方に来てもらう方がいいのかしら?

... とも、少し思う。


でも、一日中 その人と仕事をすることを考えると

やっぱり ちょっと、気を使ってしまう。

“報酬は必要ない” なんて言うから、余計に。


カップにコーヒーを注いで、カウンターに出すと

「付き合え」って言うから

自分の分も注いで カウンターに回る。


「仕入れか」と、仕入れの伝票を指で摘まんで

「何故 ワインは取らん?」と

つり上がった眉をしかめたりして。


「お酒は置かない お店なの」


彼は ふん、て 鼻を鳴らした後

カップを長い牙の口に運んで

「好きな女がいる」って、唐突に言った。


「... まあ、そうなの」


「いい女だ」


どうしたのかしら?

私もカップを手に取って、長い角の下の

耳にピアスが並んだ横顔に眼をやると

彼は 向こう側に肘をついて、頬杖をつく。

赤い眼で私を見た。


「拾った」と、ジーンズのポケットから

何か出して、私の前に置いた。


これ...


「この店の鍵だろ?」


どこで、と 聞きたいけど

うまくいかない。


「山だ。奴等が言うには “一の山”。

この街と、朋樹や泰河の実家がある街の間だ」


口を付けないままカップを置いて

鍵を手に取る。


「道が通っていない沢の近くだ。声が聞こえた。

男の声が “ごめん、沙耶” と」


どうして、今日なの?


彼は答えずに、私を見つめ返した。




********




私は幼い頃、ひどく泣き叫んでばかりいた。

それは 今も残る、この能力のせいだった。


目の前で話している母に重なり

母が見たものが見えてしまう。

聞いたことが聞こえて、何を言ったかも聞こえる。


母に覆い被さる父は怖かったし

父からは いつも、母ではない女の人が

裸でうっとりと見上げているのが見えたり

甘えた声で 父の名を呼ぶのが聞こえて

混乱し、泣き叫んでた。


私が そんな風だったから

父は きっと、逃げ場を求めていたのだけど。


見えるのは、それだけではなくて

顔がない人や、足だけの人

本当なら家にいないはずの人。

そうしたものも、いつも当たり前にいた。


私は 病院に通わされていたけど

お医者さんの前では、一言も話さなかった。


お医者さんが話してきた、他の人たちが見える。


“切ると安心するんです” と言う

腕が でこぼこになるくらい、傷がある人。


“どうしても考えてしまう” と

本当は、動物だけでなく 人も殺している人。


“次に飲んだら死にたい” と

お酒から離れられなくて、家族に暴力を振るう人。


お医者さんだって

病院の受付の女の人の、裸を知ってた。


『お話が難しかったら、絵を描いてみましょう』


私が描いた絵を見せると

『これは誰?』『何をしているの?』と聞く。


何も答えられなかったけど

私は、病気ではない と診断されて

何件も病院が変わった。


病気であってほしかったのだと思う。

それなら、治るから。


私には、足下あしもとに世界はなかった。

眠っている間だけが幸せだったし

父や母にとってもそうだった。


“どうして... ”


父も母も、私に そう思ってた。いつも。


私がいない場所で、そう話して

ケンカしたり、泣いたりしていたから。



私が5つの時、弟が生まれた。


私は、そのくらいの時から

実際に見ているものと、見えてしまうものの

区別がつけられるようになってきてた。


見えてしまうものは、その人の “夢”。

だって、私も寝ている間に見たものを

覚えているもの。


霊に関しては、よっぽどでない限り “嘘の人”。

そう思い込むと、泣き叫ぶことはなくなった。



弟の名前は “朔也さくや”。


朔、という文字は

はじまりだとか、そういう意味。家族の...


そういう意味で付けたことを

ちゃんと知ってた。


だけど、弟はかわいかった。

見ているだけで、涙が出るくらいに。



小学生になると、私も学校へ通わなければ

ならなくなった。


でも、誰から何が見えたって

それは その人の夢。

だから、大丈夫。

そうじゃないと、父も母も

また私に “どうして” って思ってしまう。

笑ってもらえなくなってしまう。


夏休み前に、私は 泡を吹いて倒れて

最初の夏休みは、入院して過ごした。



中学二年生の時に、父と母は離婚した。


私は、うまくやってきたのに と

悲しくて泣いた。

もしかしたら、くやしかったのかもしれないけど。


私のことがなくても、すれ違うなんて...

朔也が生まれてからは

家族で笑って過ごせてこれたのに。


でも、父は ずっと

あの女の人の夢を見てた。

朔也が生まれた時も、私が入院した時も。

その後も変わらず。


最近、あの女の人は

お腹に赤ちゃんが出来てた。


ずっとずっと、私が泣き叫んでいた頃から

続いていたのだから

やっぱり私のせいなのかもしれない。


父は、私と弟が成人するまで

家にお金を入れる と言ったけど

私は、何か資格が取れる高校に進むことにした。

早く働いて、パートを始めた母の負担を

減らしたかったから。


交通費がかからないように、近くの高校を選ぶ。

資格は何でもいい。

卒業と同時に、調理師免許が取得出来るところがあったから、そこを選んだ。



高校でも、私は うまくやれていたと思う。

人が見た夢を利用出来るようになってたから。


あの人は あの人が好き、だとか

あの人は、こういうのが好きだから

お誕生日には、これをプレゼントしたら

喜んでくれる... とか。


夢を利用するには、絶対に

自分が目立つようなことはしないこと。

小さなことだけ、さりげなく利用する。


わかってることに、知らないフリをするのは

相変わらず大切なことだった。


だけど、誰とも 深くなれない。

相手にとっては親友であっても

私には、ひとりも そういう人はいなかった。


恋すら しないまま、高校を卒業した。

お付き合いをした人は、二人いたのだけど。



この頃、弟の朔也は まだ小学生だったけど

ずいぶん生意気な感じになってた。


それなのに、夜を怖がる。

私とは逆で、眠るのを怖がった。


私は、朔也が見ていた “嘘の人” について

『もうとっくに、いない人なのよ』

『御守りを持っていれば平気よ』と

毎晩 言って聞かせた。


『どうして、姉ちゃんは平気なの?』


隣に敷いた布団で、朔也が言うけど

“生きてる人の方が怖いから” なんて

ありきたりだけど本当のこと は 言えないし

『朔也がいるから』って言って

明るいままの部屋で眠る。


それでも朔也には、他の人の夢が見えないことを

何かに感謝しながら。



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