桜月 3


ひとしきり、私が話し終わると

彼は、何度も言ってくれたように

「うん」って 頷く。

それは 相槌とは少し違って

私の話しや、私の心を受け入れてくれたような

眼と 頷き方だった。


どうしよう...


もうハンドタオルは ぐずぐずになってしまっているし、でも 涙も鼻水も、まだ止まらない。


誰かに、自分の話をするのなんて

初めてのことだったし

きっと上手に出来てない。


話をするというより、吐き出したんだわ。

胸の中のものを、何でも。


今になって恥ずかしくなってきたけど

空いた胸に、すう っと きれいな空気が

入ってきたような 不思議な感じがして

心地よくて、軽い高揚感すらあった。


今まで感じたことのないもので

これを どう形容していいのかはわからない。


そうだわ 彼は、きっと困ってる。

知らない人に、こんな話をされたりして。

でも、やっぱり彼のことは何も見えなくて

そのことに どうしてか安心を覚える。


落ち着かなくちゃ。気持ちが慌ただしい。

ちゃんと うまくしなくちゃいけない。

なるべく、ゆっくり息をする。


... そういえば、お店は いいのかしら?

まだ外は明るいけれど

“準備中” ってボードをドアにかけてから

もう 一時間くらい経ってる。


しゃくりあげてしまっていたのだけど

ゆっくり呼吸をしていると、少し落ち着いて

「... あの、お店は?」って 聞いてみた。


「うん、大丈夫。気にしないで。

よくこうやって...

いや、もっと何時間も休憩したりするし」


平気平気、って 彼は笑う。


それから「えーっと、なんだ」って

迷うような顔で

「聞いたのは僕なのに、何も言えないんだ。

ごめん。でも、聞いてよかったって思う。

とても頑張ってるね」と、ゆっくり言った。


そんなことなくて、首を横に振ると

「いや。よく頑張ったよ、本当に。

僕は 自分が恥ずかしくなったし。

是非さ、ここで占い師さんして

良かったら、お店も手伝ってくれないかな?

そうしてくれると助かる」と

気を使って、私が頷きやすくなるような

聞き方をしてくれる。


「はい」って 頷くと

“お願いします” って 私が言う前に

「本当? 良かった。

じゃあ、自己紹介からにしよう。

実は 名刺なんかあるんだ。生意気に。

持ってくるよ」って

カウンターの奥の棚から、それを取って

私の方に向けて、テーブルに置いた。


「“如月 陽真はるま” っていうんだ。今年 32歳。

よろしくね」




********




翌週から 私は、陽真さんの お店に

お手伝いと、霊視のアルバイトへ出掛けた。


占い、と 言ったけれど

私は『どうしたらいいでしょう?』と

聞かれた場合、アドバイスすることが出来ない。


ただ、占いのことも調べていると

カードなどの媒介するものがあれば

見えている夢の情報が、先の何かを示してくれることがわかった。


お客さんの相談の ほとんどは、お仕事のことと

恋愛のこと。時々 身近な人のこと。


二ヶ月目くらいで、霊視とカードを組み合わせて

ようやく “占い” と呼べるようになった。


見料は 30分 三千円、ドリンク付き。

私は有名な占い師さんじゃないんだし、少し高いかな... って思ったけど

思いきって この値段設定にした。


『お客さん 一人につき、場所代に半分払います』って言ったのだけど

『絶対 そんなにいらない』って譲ってくれないから、後でドリンク代だけ まとめて、陽真さんに精算する。

なのに、月に 一度

『今月の お手伝いのお給料。来月もよろしく』って、別に お給料までくれた。


カウンターの棚の真ん中に

『占い、霊視相談等 承ります。今週は 水曜日』

っていう、手書きのホワイトボードを

陽真さんが置いてくれて

お店の雰囲気にそぐわない それは

お店に入ると、必ず目に止まる。


最初は、お店の手伝いの方がメインだった。

調理は、一度 陽真さんのやり方を見るために

夢の解放をしてもらうと

難なく手伝うことが出来たし、とても喜ばれた。


陽真さんが、拝み屋さん関係のことで

知り合ったお客さんに、占いの宣伝をしてくれて

他にも、冷やかしで『みてよ』って言ってきた人や、陽真さんの お友だちを占うと

あっという間に 占いの お客さんが増えて

アルバイトを始めて、半年で

私は ホテルのキッチンの お仕事を退職して

陽真さんのお店だけで働くようになった。


ホワイトボードに “霊視” って言葉を入れてるから

霊関係の相談に来る人も多い。

そういう お客さんの場合は、私が相談を受けて

陽真さんが除霊をするのだけど

陽真さんだけで難しい場合は、実家のお寺に

連れて行くみたいだった。



弟の朔也が、受験を無事に終えると

『連れておいでよ』って 言われて

朔也を お店に連れていく。


「木島 朔也です」って、緊張する朔也に

なんだか隣で くすぐったくなる。


陽真さんも自己紹介をして

朔也にも、前に私にくれた名刺を渡す。


「お姉さんのおかげで、店が繁盛してます。

店も僕も、お世話になってます」って

私と 一緒に テーブル席に座るように勧めて

「受験、お疲れさま」って

ドアに “閉店” のボードを出すと

コースで食事を出してくれた。


「朔也くん。これから 学校の帰りは

ここに帰っておいで。

食事は ここで済ませるといいよ。

帰りは、君が友達と用事がなければ

お姉さんと 一緒に、家まで送るよ」


この申し出は、私にとっても朔也にとっても

とても有りがたいものだった。

朝は ゆっくりだから、お弁当は作れるのだけど

夜も いつも、冷蔵庫に作り置きしてるのは

お弁当と同じメニューだったし

朔也は 一人で それを食べていたから。


朔也は すぐに陽真さんになついて

お店で夕食を取りながら

陽真さんに学校での話をしたり

時々は、私にも話さない 女の子の話を

私が占いをしている間に話してるみたいだった。


この頃、私は ありきたりに

陽真さんに恋をしてた。

でも、それを知られてしまったら

お店で働けなくなってしまうかもしれない。

それは どうしてもイヤで

ばれないように、細心の注意を払ってた。



朔也が、夏休みに入ると

「僕は実家に帰省しようと思うんだけど

二人とも 一緒に来ないか?」って

誘ってくれて

なんだか悪い気がして、遠慮しようと思ったのに

朔也が「えっ! オレ 絶対 行きたい!

姉ちゃん、連れて行ってもらおうぜ!」って

すごく はしゃぐ。


「でも寺だぞ。楽しいことは何もないけど」


「いいよ! 寺なんか 普段 行かねぇもん!」


中学の時には もう、私の背を越していたけど

最近、すっかり声も低くなって

シャープになってきた朔也の頬を見ながら

まだ迷ってると


「陽真さん、姉ちゃんを

父ちゃんとか母ちゃんに紹介すんの?

“ケッコンを前提に” とかってやつ?」なんて

茶化し出して

「朔也!」って、つい大きい声を出してしまう。


顔が どうしようもなく熱くなって

ああ どうしよう って思っていたら

「朔也。まだ告白はしてないんだぞ」って

陽真さんが言う。


「とりあえず、なんだろう?

二人を連れて帰りたい と思ったんだ。

店を手伝ってもらってることも話してるし

連れて来い連れて来い って言うし」


「だから、行くよー!

姉ちゃんだって どうせ行くよ。早く頷けよ。

なあ、姉ちゃん。顔 真っ赤だぜ」


同じクラスの女の子でも からかう調子で

朔也が 私を見て、ヘラヘラ笑う。


やめてよ やめて

でも、声には出ない。


「沙耶ちゃん」って 陽真さんが、私を呼ぶ。


「朔也がバラしちゃったけど、好きなんだ」


... 私は、この時の気持ちを

いつになっても、どう説明していいのか

わからない。


ふわっと 少し浮いてしまったような

鳥肌が立つような、頭の中に 何か膜がかかるような、それなのに目覚めたような感覚が

一度に起こって

胸に広がって いっぱいになった何かの正体も わからないし、心地よくて、甘く痛かった


どうしよう どうしよう そればかり。


「困るよな。俺... 僕は すでにおっさんだし

沙耶ちゃんが 30になれば 40になる。

40になれば 50になるんだからさ。

だから付き合うとか、そういうことじゃなくて

ただ好きだってことで... うん。忘れてくれ」


「何 言ってるんだよ、陽真さん!

“俺は ビシって言う” って 言ってたのに

何も参考にならねぇよ!

姉ちゃん、泣いてないで 私も好き って言えよ!

この人、勝手に諦め出してるぜ!

オレ、キッチンにいるから」


「なっ、言えよ」って

私の背中をパンって叩いて

朔也は バタバタキッチンへ入る。


その時に

『なあ、陽真さんて、姉ちゃんが好きなんだろ?

オレ 見てたらわかるもん。

なあ、好きだよな? なっ?』って

一生懸命 言わせようとしてる朔也がみえた。

私、最近 朔也からも夢が見えてなかったわ...


今 考えなくてもいいことを、今 考える。

頭が この状況から、逃げようとしてるみたいに。


「... えーっと、ごめん。

気持ち悪いよな。一緒に働いてる おっさんに

そんなこと言われちゃさ。忘れて。

でも、出来たら お店は続けて欲しいんだ。

僕は、二人のアニキとして

こうして 一緒に居たいと思うからさ」


「... きです、私も」


胸の中から 私を圧す鼓動に 息を切らせながら

なんとか、最大の勇気を振り絞って

心を告げる。


「本当に?」


陽真さんは、信じられない っていうような

愕然とした声で聞いた。


もう 一度は 言えなくて、頷いて

「朔也が、ばらしちゃったけど」って

熱くなった頬に、熱くなった手を当てると


「ちょっと、そのまま座ってて!」って

私を置いて「朔也!! やったぞ!!」って

キッチンに走って行ってしまった。

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