26


カッと血が逆流するが

背を向けたままのボティスに「泰河」と

名を呼ばれ、手を伸ばすのを堪えた。


“キレ方” だ 今オレが 手を伸ばせば

ボティスの邪魔になる。... ダメだ 堪えろ

ゆっくりと 長く息を吐く。


... そうか


サリエルが ファシエルに成り代わったのは

人を殺すためだ。

アリエルを狙った天使も、ジェイドに憑依した。


ハティが、先が金に鈍く光る角を持つ 牡牛の顔に

漆黒の翼を持つ 魔神の姿に変異する。

 

「いや、ハティも まだ手を出すな。

思った通り、成り代わりやがった」


ボティスは、両手を前へ伸ばしている。


自分の身を貫かせたまま

ファシエルの姿をした サリエルの

叢雲の柄を握る手を固定しているようだ。


サリエルは、助力円の真上にいる。


「助力、サリエル」


頬まで墨色に染まったサリエルが

眼を見開いて、まだ押し込もうとしていた

叢雲の柄から顔を上げた。


「権限の行使。地界への堕天、ファシエル」


助力円が光を発すると

サリエルの背に、白い翼が 大きく開いた。


翼は 天に捻り上げられていく。堕天だ。


「まさに自慰ってやつだ、サリエル。

どうだ? 見られると興奮するだろ?」


額までが 闇に染まり

背の根元から捻り切られた 白い両翼は

空に昇ると、バラけて消えた。


「ボティス... 」


呟くように ルカが呼ぶ。

ボティスのシャツは赤く染まっている。


ボティスは、サリエルの手を離すと

そのまま蹴り跳ばした。

サリエルが柄を握ったままだった叢雲の刃が

ボティスの腹から ずるりと抜ける。


「仕事だ。祓え、ジェイド。

奴は もう悪魔だ。地界へ送れ」


「いや」と、ハティがジェイドを止めた。

「先にお前の治療だ、ボティス」


ゴウ と、音を立て

黒炎が空を走り、サリエルを取り巻く。


榊だ。


いつもの緋地の和装で バスを降り

サリエルの方へ向かおうとする。


「榊、ダメだ」


オレと朋樹が榊を止め

ルカとジェイドが、サリエルの元へ走る。


須佐之男が、手の羽々斬で

サリエルから燃え上がる黒炎を斬ると

黒炎は徐々に鎮火していく。


「榊、お前は どこに行こうとしている?」


ハティに座らされた ボティスが言う。


血が、シャツだけでなく ジーパンまで濡らし

咳き込んだ口からも溢れるのを見て

オレまで、ぎりぎりと 胸が軋む。血染めの歯。


「今、俺から離れて どうするんだ?

大怪我だ。手ぐらい握れ」


笑って榊に言う顔を見ていると

自分の指先が 冷たくなっていくのが感じる。


歩いて来た月夜見が

「戻れ。ただの狐に戻りたくなければ」と

榊に命を出し、朋樹が 榊を強引に

ボティスの傍に座らせる。


大丈夫だからな

榊に、そう言ってやりたかったのに

動悸が ひどくなってきて、口が動かない。


「死なん。そんな顔をするな」


ボティスが手を出すと

榊は、あの消え入りそうな顔をして

震える手で、手を握る。


榊に笑いかけると、ボティスは オレを見て

「お前もだ」と、“まったく” というような

呆れた顔をしてみせた。


「シェムハザ」と、ハティが呼ぶ。

すぐ近くに オーロラのような何かが揺らめき

シェムハザが顕れた。


「... どういうことだ? ボティス?」


グリーンの眼がかげって見えるほど

シェムハザは 怒りをあらわにしている。


「すぐに説明する」と

人型に戻ったハティが言い

「禊が必要だ。あれの血が入っている」と

月夜見が ボティスの刀傷に触れた。


サリエルの血は、身体に入ると

内側から身を燃やす。


「俺の配下が世話になったようじゃないか。

尾が割れたようだ」


「そうだ、キミサマ。九つまで割ってやるぜ。

もう何も いたすなよ」


月夜見は ボティスの眼を見ながら

ため息をついた。


「まあ良い。お前に預けよう」


ボティスの傷の上の、月夜見の手の甲から

黒い煙が立ち昇る。

「戻れ」と 月夜見が言うと

煙は液体になって落ち、砂を黒く染めた。


シェムハザが、口から青い炎を吐き

「やめろシェムハザ。俺をおかすな」と

血まみれで減らず口を叩く ボティスの顎を掴んで

「二秒くらい黙れ」と、炎を飲ませる。


傷から血が止まり、傷が塞がっていくと

榊が深い息を吐いて

砂の上で、少し身が縮まったように見えた。


よかった。助かった...

オレの肩からも力が抜け、指先に血が巡り出す。

隣で朋樹も、強張った表情を緩める。


でもまた、シェムハザが

自分の魂を分けることになったんだよな...


「シェムハザにしか出来んことだ」と

ハティが心苦しそうに言うと

「それより、どういうことだ!」と

シェムハザが キツイ眼を オレらに向けた。


立ち上がったボティスが

榊を シェムハザとハティの間に押し込み

「防護円の中で話せ」と

もう、サリエルの方へ向かう。


ブロンドだった毛先まで 墨色に染まり

全身から ぶすぶすと薄い煙を上げるサリエルは

ルカの地の精霊に拘束され

視線すら上げることもままならないようだった。


でも、笑っている


“月の下で 狂い死ね”

墨色の靄が、全身に染み入った結果だろうか?


「見掛けが悪い」


羽々斬の欠けた切っ先を、拘束されたサリエルの首に宛てている須佐之男が

「ツキ、どうにかしろ」と言うと

三ツ又の矛の方へ向かっていた月夜見は

「内に籠めるか」と

先に拾ってきた叢雲剣で、サリエルの背の

翼が付いていた根元を突いた。


サリエルは、拘束されたまま

顔をニヤつかせ、がくがくと痙攣する。


髪や肌から墨の色が、身の奥に沁みていき

元の色に戻った肌の上に

首の呪い傷の周囲と 同じような

ひび割れた黒い模様が、全身に浮き出すと

ひどい痙攣は 治まった。


ジェイドが聖水を振り、左手にロザリオを持つと

右手は サリエルの額に乗せる。


「聖父と 聖子と、聖霊の御名みなもと

汝、ファシエル 及びサリエルの魂に命じる。

新しく在るべき地、地の底へ入れ」


ロザリオの十字架を サリエルの頭の上にかざ

詩編を詠み、ラテン語の主の祈りが始まると

サリエルの表情から ニヤつきが消えた。

身に渾身の力を込めて

やめてくれ というように 首を小さく横に振る。


「Pater noster, qui es in caelis

sanctifietur Noman Tuum;

adveniat Regnum Tuum;

fiat voluntas Tua, sicut in caelo, et in terra. ... 」


「聞き分けが悪いな、サリエル。悪い子だ。

地界でハティが、さぞソフトにめてくれるだろう。足りなきゃ地上ここで俺を呼べ」


くちびるを微かに動かすと、また ニヤつき出した

サリエルを見下して ボティスが言う。

ルカが拘束を解いた。


「... Panem nostrum quotidianum da nobis hodie;

et dimitte nobis debita nostra,

sicut et nos dimittimus debitoribus nostris;

et ne nos inducas in tentationem; ... 」


もう、主の祈りも終わるという時に

目の前に強い光を感じ

朋樹が「ゾイ!」と叫ぶ。


白い光の球。天使だ。一体じゃない。

「コイツの小部隊だ」と ボティスが舌打ちする。


ゾイが 球の 一つに触れて破裂させた時

背に 死神が来た。


質量を伴う温度のない闇は

持ったままだったピストルの右手を上げさせ

白い模様が浮き出す腕は、ハティ達の方へ向く。


立て続けに 三発撃ち、ゾイがまた 一つを破裂させ

白い光の柱を立てるが

『 まだだ 』と、オレの背から死神が囁く。


朋樹の背後に浮いた白い球に

ゾイが手を伸ばした時、死神は ピストルを

サリエルに向けさせた。


サリエルの すぐ上に浮いた球を撃ち

ルカの背後の球を撃つ。


「ウリエル... 」というゾイの声。


ゾイが、その強く発光する球に手を伸ばして

弾き跳ばされ、オレがピストルを向けた時に

それはサリエルの中に消えた。


「地!」と、ルカが サリエルを拘束し

朋樹も呪の蔓を、砂地に付けた手の下から伸ばすが、ルカが目に見えない何かに弾かれ

サリエルが消失した。


... 嘘 だろ?


「クソ!」と、ボティスが砂を蹴った時に

『 御使いが来る 』と、言い残し

ふと 背から死神の気配が消える。


天から バカでかい光の柱が落ちて

すべてを包んだ。




********




... どうなった?


まばたきをして、なんとか早く

視覚を取り戻そうと努力をする。


真っ白で無音だった。

一瞬だったと思うが、それも定かではない。


何も見えず、聞こえなくなり

一度 強く眼を閉じると、今度は闇に落ちたのように、ガクンと暗くなった。

光の柱が消え、元の夜の暗さに戻っただけだったが。


「泰河!」と、すぐ隣からオレを呼ぶ朋樹の声に

「おう」と 答える。


「なんだよ、今の」という ルカの声。

ジェイドの声が「たぶん、サンダルフォンだ」と

答え、やっと動くものが 人には見えてきた。


目を擦り、バスの方に

「榊! ハティ、シェムハザ!」と 呼び掛けると

「無事だ!」と シェムハザから返事が戻り

一先ずは胸を撫で下ろす。


「ゾイ」と、朋樹が呼ぶと

「いる」と すぐ傍でゾイの声がした。


バスの方から、誰かが歩いて来る。

そっちを向いた須佐之男が「ツキ」と 言うので

月夜見だろう。気にするの忘れてたぜ。


「... サリエルは、ウリエルが

天に連れ帰ったってことなのかよ?

くっそ、まだ眼ぇ戻んねぇし!」


「いや、堕天したはずだ。翼が もぎ取られた。

天には戻れないんじゃないか?」


「だが、サリエルの中に

ウリエルが入ったように見えた。

元々の同体に戻ったなら、戻れるかもしれんぜ。

または、ウリエルとして戻るかだ」


サリエルは、ウリエルという天使と

元は 一人の天使だった といわれている。


ゾイは、サリエルに入った強い光を

ウリエルだと言った。

サリエルを救いに来たことは間違いない。

やっと捕らえたってのに...


「おい」と、須佐之男の声が

「あの品のない男はどこだ?」と聞く。

近くに着いた月夜見も「ボティスは?」と


ボティスが消えていた。




********




ボティスが消えて、一週間。

明日は 海から、それぞれの家へ帰る。


ハティやマルコシアスが、自軍とボティスの軍を使い、総力でボティスを捜したが

地上にも地界にも、ボティスはいない。

サリエルも。


サリエルに関しては、次に会ったら

オレらは もう情報は望まずに、なんとか殺るつもりだ。死神の召喚方法を探している。


隠されたという恐れも、だとか

別界では? だとか

無駄だと思うようなところも隈無く探し

月夜見は『姉神と父神に、異国の界へ問わせる』と、高天原へ昇り、まだ戻らない。


ボティスは たぶん、サンダルフォンが

天に昇らせたのだろうと、推測は立つが

そうなると、オレらからは何も出来ない。


サリエル捜索のために、天に潜っていた

マルコシアスとボティスの配下が

そのまま まだ天に潜伏し、捜しているが

ボティスもサリエルも、見かけていないようだ。



狐の姿で、波打ち際に立ち

海の彼方に沈む夕日を見ていた榊が

沈み切る前に、とぼとぼと歩き出す。


あれから、榊はずっと 狐の姿だ。


「もう少し、滞在を伸ばさないか?」


ジェイドが 榊を見ながら言う。


うん

榊は ここで、ボティスを待ちたいよな。


「そうだな」と 答えるオレの隣で

ルカは、座って伸ばした足の

自分の爪先を見ている。


“早く捜せよ!”

“何が魔神だ、揃って役に立たねぇな!” と

散々に荒れてはいたが

ルカすら、榊には 何も言えなかった。


「もし、何ヵ月も何年も戻らなかったら

どうするんだよ?」


朋樹が ちょっとイラついて答える。


「それこそキツいだろ。

サンダルフォンは、17年も前から ずっと

オレらを見てたんだぜ?

戻れば、山神たちにも協力を頼める。

降霊でも神降ろしでも なんでもして

何か、取っ掛かりを掴む」


それでもだ。たぶん望みは薄い。


オレらは、毎日

サンダルフォンを召喚していたが

サンダルフォンは召喚に応じなかった。

例え応じたとしても、天使のかたちでなく

光の柱の象で顕れるなら

こっちが 一方的に要求を出すだけになるが...


朋樹は、もうこの辺りの広域に

式鬼を仕掛けている。


「式鬼に、一日に何度か報告させる。

榊は 一度 里に戻さないと、たぶん潰れる。

それにだ、優秀な巫女を忘れてないか?」


露か...


「そうか、露は 天使も降ろせるんだ。

片っ端から呼んで話を聞けば、何か出てくる」


ジェイドが少し、明るい顔になった。


「よし」と、ルカが立って


「そうだよな、諦めねぇ!」と

榊がいる波打ち際へ向かう。


立ち止まった狐姿の榊が、ルカを見上げた。


もう沈み切る夕日と、オレンジの海の前で

二人は 影だけに見える。


「帰って捜そう。絶対 取り返してやるぜ!

ごめんな、榊。オレらが落ち込んだりして」


座った榊を、ルカが抱き締めた。


「今から帰るか。露を探そう」


「やっぱり沙耶さんに謝って、霊視してもらおう。どんな小さいことでも」


砂の上から立ち上がると

狐を抱いた ルカの影が近づき

二人が、元の色に色づく。


ボティスが留守の間は

オレらが、榊を 泣かさないようにしねぇと。


手を伸ばすと、榊は オレの腕に収まり

肩に前足を揃え、長い鼻の顎を乗せた。


クリームの毛の背に 片手を添えて

「大丈夫だからな」と言うと

小さく「... ふむ」と 答える音が、胸に響く。


「ホテルにある服とかは?」


「持って帰ろうぜ。あいつ、戻って来た時に

たぶん うるさいし。買った服 なかったらさぁ」


そうだな、と バスに乗り込む。

見つけて取り返す。必ずだ。


窓に長い鼻の先を付けて、海を見つめる榊に

「また みんなで来ようぜ」と言うと

榊は頷いて、泡沫うたかたの波の上の空に 眼を移す。


バスの広い窓の向こうには

まだ暗くなり切れない 夕闇の中に

星が ひとつ、輝いていた。







********      「うたかた」 了




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