うたかた 榊

うたかた 1



誰もおらぬ 浜を歩く。狐の身にて。


とぼとぼと歩く傍から、点のような足跡は

ざぁ と寄せる 白い泡沫うたかたの波に 洗われ消える。

砂の粒と 共に。


夏夜なつよ。煌々と輝く月と星。

さわさわと ささやかな椰子やしの葉音。


丑三うしみつの刻を越え

皆が眠ると、そろりと部屋を抜け出す。

明けまでの短き時に、独り 浜を歩くために。



ボティスが、きえた。



あの夜。花火などをしようと

砂の上で、ジェイドの話を聞いておった。

静かな 波音なみねと共に。


伴天連バテレンである ジェイドは

自らが仕える 天の聖父や聖子なるものの話や

その書物にある 世界の創造や逸話等を

毎夜、儂に話して聞かせた。


『なるべく自然がいい』と

元の狐の姿にて、たっぷりと湯を浴び

ソファーに飛び乗り ゆったりと座ると

ジェイドは、隣に座って微笑む。


『昨日は、アダムとエバの話だったね。

しゅは、楽園に置いたアダムとエバを

天使たちに 大切に護るように言った。

彼らが楽園を追放させても、彼らを含む

地上の人間たちを。

今夜は、それを命じられた天使たちの話にしよう... 』


儂に話を聞かせる際、いつも

ジェイドの異国色の薄茶の眼は 穏やかであり

儂に解らぬような言葉は 使わなんだ。


『天使たちは、人間たちを見守った。

だけど、その幾らかの天使たちは

人間に恋をした。これは シェムハザたち。

仕方のないことだった。

そして、人間に嫉妬した天使たちもいた。

どうして父は自分たちより、人間を大切にするのだろう?... ってね。やきもちを妬いてしまった。

それから、もしかしたら父と同じくらい強くって、父になれるんじゃないか?... って

考えてしまった天使もいたんだ... 』


だが、わらしに話すような調子といった訳でもなく

優しくあった。あたたかに。


『天使たちは、反逆を起こした。

天の天使の3分の1もの 上級天使たちだった。

考える ということをしてしまった結果だった。

悪いことじゃない。だけど、禁じられていた。

秩序が乱れてしまうからね。

天の時間で 三日、争いは続いた。

そうして反逆した天使たちは、天から堕ちてしまったんだ... 』


儂は、毎夜の その短き時間が楽しみであった。

話も知らぬものであり、興味深くあったが

書物などを 手に取り読むよりも

そのような時間を共にすることで

知らぬ世界やジェイドが 身近に感じられた。


そして それは、ボティス等が属する世界であり

ジェイドは、穏やかな声や優しき言葉を以て

儂に それを触れさせた。ごく自然に。

幾ばくかではあるが、その世界と共に

ボティスにも近づいたような心地にあった。



その夜。


砂の上に座り、儂の向かいにジェイドと泰河。

隣には ボティスがおり

儂は 満ち足り、また同時に浮き立つような心持ちであり、胸は そわそわと温くあった。


『今夜は、この夜に相応しく

愛についての話をしよう』


言葉は 光 と

麦酒ビイルの缶を持った儂の眼を、ジェイドが見る。

薄茶の 穏やかな色で。


『彼の愛は いつも、独りよがりではなかった』


儂の胸にあるものは、罪ではない と。

それすらも 包まれておると。


そう 儂は知っておったのじゃ。

どこかで きっと。


このまま 身の丈のままで良いのだ。

あるがままで。


『君は 愛されている』


そのことばは、これ程に

自然に伝わるものであったか。


それは、儂が愛されておったからであると

砂の上で気付いた 夜の中で


言葉は、光であるべき と


発する者にとっても、受け取る者にとっても。

形なきもの。だが かたちとなるもの。



サリエルが、泡沫うたかたに立った。


あの 白き色で寄せ 生まれては消える

小さく美しき泡たちの上に。


幽世かくりよの扉を開け、車に乗り込む。

邪魔になってはならぬ。儂は強うない。

また護らせるなど あっては...


空に拡がる叢雲むらくも。地を射つ雷光。常夜の靄。


ボティスが挑発する声。泰河の背。

ハーゲンティが近くに立った。


紅き鳥と風の 焔が巻く。


波の形を描く刃の叢雲の剣を、首から抜き

サリエルが歩を進める。


どうか どうか と、何かに祈る。

どうか、何事も 誰も...


どうか、愛しき者たちを...


胸が 痛いほどに鳴る。


『泰河』と、泰河を牽制する ボティスの声。


何が... ? 背の影で 見えぬ。

だが、泰河やジェイドの背が緊張しておった。


姿を変えたサリエルの 背の白き翼が

捻り上げられ、夜空へ解け消えた。


蹴り跳ばされたサリエルの手には

血染めの叢雲つるぎ。サリエルの血だけではない。

今 濡れたと いった感じの


宝珠が燃える


吐いた黒炎は、唸りを上げ 空を駆ける。

足りぬ。これだけでは。


『榊、お前は どこに行こうとしている?』


笑うておる。血にまみれて。

指先が震える。止まらぬほどに。

このようなこと...


恐ろしくあった 何より


シェムハザが 青き炎を飲ませると

血が止まり、傷が失せた。

身体中から力という力が抜ける。

だが 青き炎は、シェムハザの魂であるという。


ボティスは、儂を 青白き防護の円に押し込み

サリエルの元へ向かった。


血染めのシャツのままの背を見ておると

『心配するな』と、シェムハザが笑う。


『己の魂などを... 』と 口に出すと

『月夜見に戻された。有り余っている』と

また笑うた。


逆の側に立っておったハーゲンティが

突然に、儂をシェムハザに押し付け

自らが かばうように前に立つ。


『天使だ』


白く眩き球体が、近くに浮くと

背に闇を伴った泰河が 銃で撃ち、それを滅した。


『動かぬことだ』


シェムハザが言うた時に

すべてが 白い光に包まれた。


光が晴れると、闇に落ちたようになり

ボティスが消えておった。



『サンダルフォンか?!』

『ふざけんな! 何のつもりだよ!』

『すぐに戻ってくるんじゃ... ?』

『冗談じゃねぇ! 何とかしろよ ハティ!』


月夜見尊が『異界の神に問わせる』と

自ら、高天原に上がられた。


ハーゲンティが、マルコシアスとアコを呼び

自軍を地界へ、双方の軍を地上へ出し

『ボティスを探せ』と命じる。


朋樹が 式鬼を仕掛けて探させ

ジェイドがサンダルフォンを召喚するが

一向に降りぬ。『何が御使いだ!』と

あろうことか、召喚円に唾を吐いた。


儂は、何も出来ぬであった。

何を考えて良いかも、何を どう捉えて良いかも

何も わからぬ。 何も。


いつの間であったか、人化けを解き

狐の身にて、浜を歩く。


はて 波の向こうに 隠れておるのでは などと

おかしなことを 考えたりなどもして


夜が明けようかという頃、ジェイドが

『ホテルの部屋へ戻ろう』と 儂を抱き上げ

朋樹が『榊、神隠しを』と 言う。


そうじゃ。このままでは部屋に戻れぬ。


部屋に戻ると、ベッドのシーツなどは変えられ

整然としてあった。


昨夜...  もう 一夜 越えたが

あのように 抱かれたのは、事実であったのか


『待とうぜ』

『そうだな。沙耶ちゃんに連絡しとく』


朝日が差す部屋の ソファーに丸まる。


皆、少し休むとなったが

ボティスのベッドは、整えられたままであった。

白く眩しいシーツが 滲んで見えた。



昼は『もう 一度、召喚だ』『式占で占う』と

慌ただしくあり

夜も、ハーゲンティやシェムハザが参り

相談し合う。


ルカが『役に立たねぇな!』と

魔の者等に 八つ当たりをし

泰河は黙って、床を見つめておった。


『少しでも、食べなければ』と、シェムハザが

魚のスープの皿を 儂の前に置く。

ふむ、と 食すが、味がわからぬ。

時間が経つと ますますに、砂を噛む心地に。



そうして、深夜

神隠しに隠れ、部屋を抜け出す。


うとうとと眼を瞑り 開けた時

白きシーツの 空のベッドを見るのが

つらくあった。


夜は、眼に肌に心地好くあり

味方であると 思うておった。


波の音。小さき泡の 生まれ 弾ける様。

白くなどないが、眼に白く映る。


月に吠える というのは

このような気分であろうか?


煌々した それを見ると、吠えそうになる。

身の内のものを すべて吐き出せまいか と。


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