25


「バスに乗れ!」


ボティスが言うと、榊は幽世の扉を開き

狐に戻って バスに乗り込んだ。


オレらが立ち上がり、ボティスが「助力」と

砂に助力円を敷く間に、また雷光が落ちる。

教会の夜みたいだ。思わず身が竦む。


白い薄絹を重ねたような、天衣を着た男が

白い泡沫うたかたの波の上に降りた。


人形のような顔の、ごく薄い水色の眼。

背に届く長い黒髪。

首の塞がらない傷から、細い血が流れている。


サリエルだ。


「小僧... 」


水色の眼は、オレを見ている。


「私にくだり、忠誠を誓え」


幽世の扉から、月詠と須佐之男が降りた。


「下がれ」と 振り向かずに言い

真横に伸ばした月詠の手には、弓が握られる。


「アマテラス、見えるな? つるぎを寄越せ!」


須佐之男の手に、波の諸刃の剣が降り

叢雲むらくもが空を覆い出す。


同時に五つの雷が、砂浜に落ちた。

直後に、月詠が矢を射ると

須佐之男が助走を付けて跳び、サリエルに斬りかかる。


須佐之男の剣を上腕で受けたサリエルは

波の剣ごと須佐之男を振り飛ばし

肩を貫いた矢を引き抜いた。


「... ハティやシェムハザは、まだ呼ぶな。

サリエルは堕天し切っていない」と

ボティスがサリエルを見据えて言う。


「捕らえていた時とは、幾分 違うようだが」


月詠が口を開くが、サリエルは オレに眼を向けたままだ。


「それが お前だけと思うな」


再び弓を引く月詠に、サリエルが

けがれろ」と、言葉だけを返し

月詠の前に人が投げ落とされた。

... 男の遺体だ。まだ新しい。病衣を着ている。


「ジマエル」と、サリエルが天使の名を呼び

光を凝縮したような球が顕れた。

場を 見えない圧力が支配し始める。


光の球は、遺体の頭から入った。

病衣の男が立ち上がり、月詠の御神衣かんみそ

手を伸ばす。


「ツキ!」


須佐之男が病衣の男の背を突いた時に

男は、弾け飛んで散らばった。


男を向いていた 月詠と須佐之男の前面は

髪も顔も御神衣も、血肉と砕けた骨にまみれ

月詠の手から 弓が消える。


サリエルは、堕天していないかもしれないが

こんなヤツはもう 天使じゃない。


だが どうする... ?


紅く染まった砂浜の月詠と須佐之男の間には

白い光の球が、煌々と血染めの 二人を照らす。


身に掛かる圧力に抗うジェイドの隣で

ジーパンのケツポケットのピストルに手をかける。... 死神は、まだ来ない。


「派手にやるじゃないか、サリエル」


ボティスが 口を開くが

サリエルは、オレから視線を動かさない。


「得意の邪視か? こいつには効かねぇよ。

知ってるだろ? もう忘れちまったのか?

禁を犯して 魂 飲んだって聞いたぜ。

もっと新しいことして見せてみろよ」


何 挑発してんだよ? サリエルは上級天使だ。

死神が来なければ、オレらには 何の手もない。


「... そうか、こいつに付けられた呪い傷の修復で

やっとだったんだな?」


サリエルの眼が ボティスに動く。


「見たとこじゃ 傷に蝕まれ続けているようだ。

魂を飲み続けなけりゃあ、お前は どうなる?

地に墜ちるか? じわじわ消滅するのか?」


「お前は... 」


「そうだ、サリエル。愛しい お前の眼が

やっと俺に向いた。

教会では、随分 俺に冷たかったな。

俺は お前の身体中に巻き付いて抱いたが

お前は俺を見もしなかった。焦れたぜ 俺は。

お前は “汚れた者” と、俺等を呼んだが

見ろ、最近 俺は人間に昇格した。

お前が守護すべき対象だ... 」


尾の長い炎の鳥が、月詠と須佐之男の間の

白い光の球に追突し

身体が圧力から解放される。朋樹だ


「ゾイ! 球を滅しろ!」


歩み寄りながら、手の式鬼札に息を吹く。

無数の炎の蝶がサリエルを包むと

ルカが風を呼び、炎を巻く。


白い光の球の前に降りたゾイが

「ジマエル... 」と、球に手を触れると

光が明滅して弾け、天地に伸びる白い柱になって消えた。


「高天の原に 神留まります

皇が睦 神漏岐、神漏美の命以ちて

八百万の神等を 神集へに集へに給ひ... 」


月詠と須佐之男を 朋樹が大祓で禊ぎながら

手の式鬼札を飛ばすと、尾の長い炎の鳥が

サリエルを巻く炎の渦に 急降下して飛び込み、

ゴウ と、地を揺らして火柱を立てた。


「何故すぐに呼ばん?」と、ハティが

ボティスの隣に降りる。

朋樹に呼ばれて消えたゾイを 追って来たらしい。


「悪い。あいつを独り占めしたかった」


ハティは口元を緩ませると、青い粉を吹き

オレの下に魔法円を敷いた。

二重円の中の文字が周囲に浮く。


「さて。そう簡単にも いかぬようだ」


雷鳴を響かせ、すぐ前の砂地を

雷光が地中まで焼き裂く。

また身が竦むが、ボティスは

「俺の近くに居れば射たれん」と言う。


朋樹の禊で、月詠と須佐之男から

穢れは消失したが

ジ ジ と、炎が消えた場所に立つサリエルには

炎に巻かれる前と、何の違いも見られなかった。


無傷かよ...


あるのは、須佐之男から受けた上腕の傷と

肩の矢の傷、首の呪い傷だけだ。

「クソ... 」と、朋樹が奥歯を軋らせる。


「さすがだ。魂を飲むと違うな、サリエル。

月詠クソガキ共を突破して、是非 俺の前まで来て

そのクールな眼で 俺を見つめてくれ」


ボティスが オレの前に出る。


「アマテラス、月を照らせ!」


月詠が言うと、空の叢雲が割れ

強い月光が砂浜を照らし

伸ばした右手に 三ツ又の矛が握られた。


サリエルの上腕と肩の傷が塞がれていく。


「そう。月は お前の支配も受けている」


月詠が 両手で矛を地に突くと

高い位置にまとめた 髪が揺れた。


「だが、俺は “月夜見ツキヨミ” だ。よるごと支配する」


矛の下から、墨色の闇が沁み出し

砂の上を這い進む。


「... 月詠命は、元々は荒魂あらみたまが際立った神だ」

朋樹が「あれは常夜とこよるの靄だ」と言う。


「いつも オレらが祓い、禊いでいるものだ。

一度 榊が開けた 扉の向こう

冥府や黄泉ではない常夜にる」


“けがれぬものとは” と

子供の声で問いかけてきた 小さな影を思い出す。

荒涼とした、障気が充満する闇。


墨色のもや。柚葉ちゃんの身を染め

オレの手からも立ち昇った。

ルカが筆でなぞれば、苦 という文字になる。

知らぬ間に 簡単に身に染み入る。


「サタン」と、ジェイドが呟く。


砂を這う靄は、サリエルの足に届き

墨色に染みていく。


「月の下で 狂い死ね」


月明かりが光を増すと、闇も深く色を増す。


サリエルが月詠に眼を向けた時

須佐之男が、首の呪い傷に 剣を突き入れた。


突き抜けた 蛇行する蛇のような波形の刃先から

鮮やかな血がしたたる。

血は、砂に落ちると黒く変色した。


天衣までも 膝まで墨色が染み

呪い傷からは、黒くひび割れた模様が首に走る。

だが まだ倒れない。


青白い稲妻が 二本同時に走り

新たに 二体の天使、白い球体が顕現した。


羽々斬はばきり


須佐之男が、サリエルの首の 叢雲剣を抜かず

手のひらを開くと、切っ先の欠けた剣が握られる。


羽々斬... 天羽々斬剣あめのはばきりのつるぎなら

ヤマタノオロチを退治した剣だ。


両手で逆手につかを握ると、白い球体に突き刺し

明滅する球体を 剣ごと砂地に突き付ける。

地を這う墨色の靄が 球体に染み入っていく。


ゾイが「ニミエル」と

球体の 一体に触れて 弾けさせ、白い柱にすると

サリエルの眼が ゾイに向いた。


「ゾイを下げろ」と ハティが朋樹に言う。


ファシエル と、サリエルの くちびるを動く。

喉を突き抜かれて、もう声は出ない。

腿までが墨色に染まっている。

羽々斬の先で、靄に染まり切った球体が

砂に解けて消滅した。


「ゾイ、戻れ!」


朋樹が命じると、ゾイは サリエルの胸に手を当て

「もうファシエルじゃない。さよなら」と言って

姿を消し、朋樹の隣に立った。


従順 だとは思う。

でも今、すぐに戻らなかったよな... ?


ハティがオレを見て

「ゾイは成長を遂げている」と言う。

人として、と。


「サリエル。不当に隠した魂を返せ」


月詠... いや、今はもう 月夜見が

腰までを闇に染めたサリエルに言うが

サリエルは また、視線をオレに向け

首の叢雲剣の柄に触れながら、足を踏み出す。


「... 聞けぬか」


月夜見が、地を突いた矛に手をかけ

須佐之男が羽々斬を構えると

「まぁ待てよ」と、ボティスが止めた。


「そいつには 俺等も聞くことがある。

大母神キュべレの件だ。今回は こちらが引き受ける。

その後 また引き渡そう。タマるだろうが

この続きは それからにしてくれ」


「何を言っている?」


須佐之男が 半分 呆れて、羽々斬を振り上げるが

月夜見が ボティスを見つめ

須佐之男を手で制した。


「スサ。これは 下級の者ではない。

直接の手を下せば、天とやらの異国神と揉める。

父神まで累が及べば、俺等は神力を剥奪される」


サリエルは、胸の下までを黒く染めながら

一歩一歩 歩み寄り

叢雲の柄を握ると、力を込めて ゆっくりと

自分の首から引き抜いていく。


「... 泰河の前に、人間の魂狙いだ」と

サリエルを見ながら ハティが言う。

誰かを殺って、傷を修復しようってことか。


「ボティス、下がれよ」


オレは、獣の血を狙われているから

たぶん ここで殺られることはない。

盾にはなれる。ボティスは もう人間だ。


オレの前に立った ボティスに言ったが

ボティスは ただ、もうすぐそこに迫った

サリエルを見つめている。


「おい... 」


ボティスの肩に手をかけようと、足を踏み出すと

「泰河、円から出るな」と

ハティがオレを止めた。


「会いたかったぜ、サリエル」


ボティスが両腕を広げる。


「そうだ、来い。抱き締めさせてくれ」


首から抜き切った サリエルの手の叢雲剣を見ながら、朋樹が式鬼札を出す。

ボティスが 一歩出ると、サリエルは立ち止まった。近付き過ぎるのは警戒している。


「... 助力円だ」


ジェイドが小声で言う。

そうか、ボティスには 何か策があるんだ。


さっき、ボティスが敷いた助力円までは

サリエルから 後二歩。

だが 二歩近付けば、叢雲は ボティスに届く。


サリエルの くちびるが、短く動くと

サリエルとボティスの間に、白い球体が浮いた。


「ゾイ」と、朋樹が式鬼札を飛ばしながら

命を出すと、間に入ったゾイが球体に触れる。


球体が破裂し、白い柱になる。

サリエルは 尾の長い炎の鳥になった式鬼を

叢雲で受け、逆の手でゾイに触れた。


すぐにハティが、ゾイを引いて引き離したが

首の下まで墨色に染まったサリエルは、微かに笑う。


サリエルの黒い髪が、ブロンドに染まっていく。人形のような顔は

輪郭のラインや くちびるの形が、女の物となり

眼は グレーになった。

雰囲気までが、サリエルとは全く違う。


“貰うぞ、ファシエル”


顎までを黒く染めながら、そのくちびるが動く。


いや 成り代わり か?

サリエルが変貌した これは

ゾイ... ファシエルの 天使の時の姿のようだ。


なんで? 何の意味がある?


「ボティス!」と、ハティがオレの隣から

ボティスのシャツの背に手を伸ばす。


ファシエルになった サリエルは

ボティスとの間を詰めている。


オレの眼の前、ボティスの背には もう

波を描く 叢雲の切っ先が出ていた。






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