39


「クソッ! 召喚が成ったのか?!」


玄翁たちがイナゴを焼き払うが

なかなか追い付かない。

徐々に 森の天が、イナゴに埋め尽くされていく。


「起きろ、クソ蟲!」


アバドンって、そんなにヤバイのか?

確か、ヨハネの黙示録に名前が...

ボティスの焦りようは、今まで見たことのないものだ。


「朋樹!」


泰河が呼ぶと、亀裂から

尾の長い炎の鳥が舞い込んで来て

「塞ぐぞ、離れろ!」という朋樹の声がする。


炎の鳥が イナゴが噴き出す魔法円に垂直に飛び込むと、ゴッと 火柱が上がり、魔法円は消失した。


だが「... 終わりだ」と、蔵石が眼を開け

「お前たちも、何もかも」

くっくっ と 喉を鳴らして笑っている。


蔵石が立ち上がると、オレらは

何かに圧されて吹き飛んだ。


地面の下で、蠢くものの気配がして

地割れが起きる。中は静かな闇。奈落 か... ?


泰河の襟首を掴み、引き摺りながら

蔵石は「狐」と 玄翁の方へ歩いていく。

地の拘束も圧されて解かれ

ボティスが突いた脚の痛みも 感じてないようだ。


「お前ら、外から入ってきたな。

この結界から俺を出せ」


「さて、亥神の勾玉と 人神様の御力が

要ります故... 」


ほっほ と、玄翁が笑う。


「勾玉は ここに御座いますが、人神様の御力は

とても貴方には扱えますまい」と

三ツ又の矛に視線を送る。


蔵石が 玄翁の勾玉に手を伸ばすと

勾玉は消えた。


「獣の勾玉でありますからのう。

手に触れられるのは、我等 獣のみ」


「貴様... 」と 蔵石が、泰河の襟首を持つ 逆の手で

玄翁を掴もうとすると、玄翁の体高が沈んでいく。

幻惑なのか、足から地面に溶け込んでいくように見える。


「亥神をほふられた折りは、身の内より蟲に喰わせたと... 」


蔵石の背後に また玄翁が立った。

蔵石が振り返ると、前にも玄翁が立つ。


「果たして 如何程の苦しみであったか... 」


蔵石が口を開けて、黒いイナゴを噴出すると

二人の玄翁は体高を沈め

跳び込んだ何かが、蔵石の背後から その背を突く。 ... 浅黄だ。


薙刀で突き飛ばした時に

泰河の襟首から 蔵石の手が外れた。


オレは 倒れた蔵石に走ると、馬乗りになり

蔵石の喉に 上腕を宛てて圧迫する。

浅黄が薙刀の刃で、蔵石の右手を貫いて

地面に固定した。


「祓え、ジェイド!」


ボティスが防護円を敷き

別に天使召喚円を描く。

円に露子が入ると、アリエルの召喚を始めた。


蔵石が、オレの下から逃れようと

左手でオレの顔を掴む。すげぇ握力だ。

頭蓋骨が砕かれるんじゃないかと思った時

「だめ!」と 子供の叫ぶ声がした。


パキ という音がすると、オレの こめかみにある

蔵石の人差し指から力が抜けた。

硬い枝が砕かれるような音が 連続で鳴ると

顔を掴んだ蔵石の手が外れる。

指は、おかしな方向に捻られて 曲がっていた。


葵だ。防護円の中で、榊の隣に立ち

泣きながら オレの方を見ている。


「聖父と 聖子と 聖霊の名のもと

汝、蔵石に命じる」


ジェイドが、蔵石の額に手を置き

口の中に聖水を流し入れた。


「おまえに相応しき場所へ立ち去れ」


馬乗りになったオレの下で、蔵石の身体が痙攣し

眉のない顔の眼が 白眼を剥く。


露子にアリエルが降りた。


鈍い音の地響きが、音と振動で身体に響く。

下にいる蔵石の 頭上の先にある地割れの闇が

また少し開いている。


「... Pater noster, qui es in caelis

sanctifietur Noman Tuum; ... 」


ジェイドが 主の祈りを始めると、蔵石は 身体をよじる。

喉を押さえつけて しばらくになる。

ずっと呼吸出来ていないはずなのに、まだ気も失わない。


地割れの闇から、イナゴが這い出してきた。


「... adveniat Regnum Tuum;

fiat voluntas Tua, sicut in caelo, et in terra. ... 」


「さて、自己の技量以上のものは

なかなか扱い切れぬもの」


玄翁が また口を開いた。


奈落から這い出てくる無数のイナゴが

じわじわと オレらを囲む。


「... Panem nostrum quotidianum da nobis hodie;

et dimitte nobis debita nostra, ... 」


「亥神からも術力を奪おうとしたが

先に飲んだ霊視力が 邪魔をしたようじゃのう」


沙耶さんの霊視力か...


「しかし、それも扱い切れなんだ」と

玄翁が笑う。


「... sicut et nos dimittimus debitoribus nostris;

et ne nos inducas in tentationem; ... 」


「眼に映るもの全ての情報が 一度に流れ込むなど、並みの精神力では持たぬ。

その上また、強大なものを飲もうとするとは。

ルカよ。もう その者を離すが良い」


背後に、ひかりを感じた。

それは確かにあって、蔵石の上に

オレの影を落とす。


「... sed libera nos a Malo. Amen.」


蔵石の喉から前腕を外し、立ち上がった時に

ジェイドの祈りが終わった。


ジェイドが、蔵石の額から手を離すと

蔵石の額の中心から、虹色の何かが

空気に融け出してきた。

「沙耶さんの... 」と、ジェイドも立ち上がる。


虹色の 液体のような気体が

上へ上へと 舞い上がっていくと

背後の ひかりが強くなった。


オレは まだ、蔵石を跨いで立っていたが

蔵石の手に突き立ったままの、浅黄の薙刀の方へ退くと、オレの背後のひかりが蔵石に注ぐ。


朝日だ。


閉ざされた森の天の 亀裂から十字に降り注ぎ

両手を開いて倒れている 蔵石に重なる。


「あぐっ...  ああ... 」


呻き声を上げた蔵石に、猟犬が飛び掛かった。


まだ生きていた蔵石の脇腹を噛み千切ると

周囲を囲んだイナゴたちが、血に誘われるように

ざわざわと傷に群がりだす。


累が及ばないよう、浅黄の薙刀を抜くと

朋樹が閉じた 魔法円の跡に立ったボティスが

「残念だが、お前が天に召されることはない」と

魔人と蔵石の脚を突いたナイフを落とした。


「アバドン、契約だ。

お前を呼んだ奴をくれてやる。大人しく帰れ」


イナゴが這い出す地割れの闇が

また音を立て、揺れながら開いていく。


「ぁあ... っ アアアアーッ!!」

  

蔵石が渾身の叫びを上げながら 起き上がり

道連れにしようと、穴の空いた手をオレに伸ばした。


とっさに持っていた浅黄の薙刀を構えたが

蔵石の手は、オレの鼻先で空を掻き

その向こうで 腕を組んだジェイドが笑う。


「修行が成ったようだ」


十字の朝日を浴びて出来た ジェイドの影は

蔵石の影の首を掴んでいた。


影の手が、蔵石の影を地割れの闇に引き摺ると

身を覆うイナゴと共に、蔵石も闇のきわへと

後退する。


「さあ、奈落へ墜ちろ」


ジェイドの影の手が離れた瞬間に

薙刀で蔵石を押す。


奈落の闇が蔵石を飲み込むと

「閉じよ」という 榊の声。


泰河が 三ツ又の矛で 奈落を突いた。




********




矛の下に奈落が閉じると、森の天が消滅し

上にいたはずの朋樹、ハティやシェムハザたちが

同じ森に立っていた。


亥神の結界は消え、森の斜面の下には

木々の間に山の道路が見える。

朝の日差しの中で、野鳥の声を聞く。


全員無事であることに「上々だ」と

ハティが頷き

地面から矛を抜いた月詠が

「亥神も報われよう」と、山神たちを褒めた。



「おお、これは愛らしい... 」


柘榴が、葵と菜々に眼を止め

「魔人の子か。お前もじゃな?」と 葉月に聞く。

葉月が頷くと

「どうじゃ、我が山で暮らしては... 」と微笑んだ。子供好きらしい。


「柘榴様。子等は、学校などへ通いたい とのこと。ならば 里の方が、人里に造りも似て... 」


焦ったように榊が言う。

なんかもう、姉気分になってたみたいだ。


「ディル、子供部屋の支度を。3つだ」


シェムハザが 葵と菜々を抱き上げ

「妻のアリエルが、姉妹を欲しがっていた」と

葉月に微笑む。


「城で育てる。待望の子が出来た」


葵と菜々の頬にキスしたシェムハザが

「何も心配するな。何からも護る」と言うと

二人は 嬉しそうな顔をする。


柘榴と榊が、“何?!” って顔をしてるけど

「ああ、学校とかのこと考えたらなぁ」とか

「城なら他に子供も来るしね。きっと楽しい」と泰河とジェイドが言うと

二人共、特に反論はしなかった。


シェムハザの腕にいる葵の頭を

「助けてくれたよね? ありがとうな」って撫でる。

オレが顔を掴まれた時の、蔵石の指のこと。

それを考えると、余計に

シェムハザの城で暮らすのがいい気がした。


「でも... 」と、葵は俯く。

誰かを傷つけるのは 悪いことだ って解ってるんだな。いい子だ。


「もう、あんなことはないよ。大丈夫」


もう 一度 頭を撫でると

葵は「会いに来る?」って、小さい声で聞く。


「行くよ。シェムハザの城には 冬に行ったし。

いいところだよ。みんな優しかったぜ」


「お兄ちゃんも?」と、葵は オレの後ろに言った。

どうやらボティスに言ったらしい。


ボティスが頷くと、葵は満面の笑顔になった。



月詠が 泰河から、白い円になった勾玉を受け取ると、また 二つの勾玉に分けて

半分は朋樹に渡し

半分は「露」と、露子の首に掛ける。


「もう、お前が持っておけ」


露子は「にゃー」って 返事してるけど

日本の神だけじゃなく、天使まで降ろせるとか

考えたら すげぇよな。凄腕の巫女だ。


「では戻るとするか。榊、扉を開け」


榊が幽世の扉を開くと、山神たちに深々と礼されながら、あくびするスサノオと 一緒に

月詠が扉に入る。


「月詠。まずまずだ。また降りろ」と言う

シェムハザに、月詠は 後ろを向いたまま

片手を挙げて応え、扉が閉じて消えた。



「食事など取って、眠らねば」


眼を擦る菜々を見て、榊が言う。

「異国へ参る前に、三人共

幾日か程 里で過ごしては どうかのう... 」

まだ諦めきれてはねーし。


亥神の葬儀とか、一の山を誰が管理するか、とか

いろいろ話し合うことはあるみたいだけど

とりあえず今日は解散になった。

もう、みんな クタクタだしな。


ハティとマルコシアスが「後ほど」って消えて

車とバイク置いた駐車場まで、森を下りる途中

オレの前にいる泰河が 史月に捕まって

「今からゲーム取りに行く!」ってなってて

後ろにいるジェイドとボティスが、朋樹に

蔵石の詳しい話をしてる。


オレは、浅黄と玄翁に

結界の中に戻って来た話を聞いてみてた。


「取り戻した宝珠を持って戻れ と申された際に

月詠尊が、一の山の 勾玉のことを言われたであろう?」


それは、まず宝珠を持ち帰った後に

一の山の勾玉を探し、辺りを調べよ という

ことらしい。

あれだけの言葉と視線で、それだけ汲め っていうのかよ...


「我等 山神の勾玉には、それぞれ対になる勾玉がある。一の山の勾玉であれば、六の山。

真白の勾玉よ」


円になった勾玉は、同じく円になった月詠の

白い勾玉と、また他の山神の勾玉とも呼応する。


結界の内と外で呼応し合うと

外の矛が反応し、崖に新しく入り口が開いた。


そこから潜入した玄翁たちが、魔人に成り代わると、すぐにオレらが落ちてきたようだ。


葵と菜々、葉月。子供もいたことや

葵に蟲が仕込まれていたことに驚いた玄翁たちは

“子を使って、相手を動揺させては?” と進言し

オレらの元へ送らせたらしい。


「子等を早う、安全な場へ送りとうてのう。

怪我などせぬよう、落ちる時に空気の圧を敷いたが...

また蔵石は、葵と菜々は 送り込むことに了承したが、葉月は すぐには送れなんだ。

怖い思いをさせたのう」


「だが、ボティスが すぐに救った」


玄翁の すぐ後ろにいる浅黄が

ボティスを振り返って「のう」と ニコニコ笑い

ボティスは「ふん」とか笑い返している。


「浅黄は 魔人に化けてなかったよな」って

オレが言うと

「耳が出る故、狐の身にて潜んでおった」と

頭の上の黒い狐耳を指差した。


「ルカ。修行の成果があったな。

蔵石を前に、冷静に動けておった」


言われてみると、以前まえよりは

私情に流されなくなった気がする。


「後は慶空に任せるとしよう」


「えっ! あ、うん... 」


史月の腕を肩に回された泰河が

「浅黄、オレは?」と、振り向いて聞くと

「泰河は、まだ俺だ」と 浅黄が笑った。



自販が並んだ駐車場に出た時

後ろから「嘘だろ?!」っていう

朋樹の焦った声がした。


「本当だ。こいつの影は、クソ蟲の影を掴んだ」


ああ、影のことか。掴んでたよなー。


「今は出来るか わからないが... 」


ジェイドは影で、近くにいた露子の影の頭を撫でた。露子は「にゃっ!」って 驚いてる。

へぇ、露子って驚いたりするんだ。


「マジかよ...  玄翁!

沙耶ちゃんとこ行ったら、里に行くから

修行つけてくれ!」


朋樹、焦ってるよなー。


「オレ、蔵石も見てねぇし

今回 人蟲駆除で終わって、やり足りねぇぜ。

シェムハザ、チビたちも全員

ルカん家に送るから、車に乗ってくれ」って

自分の車に さっさと乗り込むし


オレは とりあえず、シェムハザに家の鍵 渡して

ジェイドと教会に戻ることにした。

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