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「蟲か?!」


「出せ、早く!」


泰河が「にぃに、にぃに」と泣く菜々を 抱っこしたまま、模様が浮き出した右手を

男の子の額に当てると、男の子の左耳から

黒い複眼が覗き、トンボが出て来た。


飛んで行く先を ボティスが眼で追う。


眠った男の子に 琉地が入り、額と胸に浮いた模様を筆でなぞると、泰河が解錠する。

目を開けた男の子に、菜々が飛び付いた。


「... ボク、もう 悪い蟲がいなくなった」


わかるのか、自分で...


「誰かに、意地悪をされてたの?」と 聞くと

「バテレンを やっつけなかったから

パパとママが、頭の中で ボクを叩くんだ」とか

言う。血が昇り過ぎたのか 目眩がした。


「ボクが悪い子だから、パパとママは

死んでも ボクを怒るんだって... 」


... 親の姿で、子供を虐待してんのかよ?


怒りたいのか 泣きたいのか、もう自分でも

わからなくなりながら

「違う。いい子だから、蟲がいなくなったんだ。

それは、パパやママじゃない。

だって パパやママは、そんなことしないだろ?

嘘のパパとママだったんだよ」と、必死に言う。


「本当に違うんだ。な? 二人とも

ちゃんと 知ってるだろ?」


伝わってくれ 信じてくれ。頼む と

身勝手に 何かに祈りながら。


バチン と、左手の親指に

弾かれたような衝撃が走る。

五指の精霊の模様の、親指のヤツが強く浮いている。


『... あおい


男の声だ。

振り向くと、白い煙がかたちを成していく。


霊? いや、精霊なのか... ?


「パパ... 」


男の子が、煙の男を見つめる。

煙の男の隣には、もう 一人分の煙が立ち上がっていく。


『... 菜々 ... ごめんな

パパと ... ママが、一緒に ... いられなくて』


「ママ! ほんとうの パパとママだ!」


『よく... がんばったね。

これからは 見たものや 聞いたことから

自分で 正しい判断をするんだよ』


葵 菜々 あいしているよ と、白い煙が消えた。



「... パパは、いつもケガをしてた」


涙と鼻水で ぐずぐずになりながら

男の子... 葵が言う。


「蔵石様に、叩かれたり 蹴られたりして。

ボク、本当は、見たことがある」


怖かっただろうな。

でも、親がいなくなって

他に頼るところもなかっただろうし。

つらかったよな。


ジェイドに眼を向けて

「ごめんなさい」と、小さい声で謝ると

ジェイドが「いいよ」と 掠れた声で答えた。


「君は、妹を護って来たんだね。

よく頑張った。とても えらいよ。

だけどまだ、君も護られていいんだ。

その お兄さんと 一緒にいるといい。安全だ」


ジェイドは 泰河を指差し

泰河が「おう」と、二人共 膝に乗せる。


「わんわんは?」と 菜々が言うと

琉地が隣に座って、ピスピス鼻を鳴らした。

やっと 二人から笑顔が見えて

胸ん中から、暗い何かが落ちた気がした時に

「それは まやかしだ」と、無機質な声がした。


「ようやく 御出座おでましか」


ボティスとジェイドが立ち上がり

黒いトンボが消えた 木々の奥を注視する。

ジーパンのポケットの中で、ボティスのコインが反応した。


まず出て来たのは、女が二人と 男が三人。

この内のどれかが、オレと泰河の足を掴んで

ここに降ろしたヤツだろう。


「葵、菜々。伴天連から離れろ」


葵と菜々が 顔を青くして震え

泰河に しがみ付く。


先に出て来た魔人が 間を空けると、声の主

パーカーのフードを目深に被った男が

まだ中学生くらいの女の子の手を 引っ張って

出て来た。


自分の前に 女の子を立たせ

背後から、女の子の肩に 片腕を巻く。

盾にする気か...


「はあちゃん!」と、葵が泰河の膝を立つ。


「そうだ。お前たちは、こいつに なついていたな。葉月はづき、葵と菜々に 戻ってくるように言え」


男の背後にも、何人かの魔人が立つ。

全部 出揃ったらしいので、地で足を拘束すると

ジェイドが男に向かって歩いて行く。


「彼女を放せ」


「伴天連め... 」


無機質な声で 吐き捨てるように男が言う。


「こちらに着かなかったことを後悔するがいい。

妙な術を解け」


こいつら、やっぱり オレの精霊のことは

知らないんだ。

今も わかってないってことは

沙耶さんの霊視力も使ってないのか... ?


「主 ジェズの名のもとに、汝 蔵石に告ぐ... 」


「やめろ!」


黒蟲... 蔵石は、自分の前にいる女の首に

ナイフを宛がった。


「女を盾にするとは、情けない奴だ」


ボティスが せせら笑いながら続け

蔵石の方へ歩いて行く。


「魔人も 随分 少ない。上で散々殺られてたからな。ガキまで数に入れて使っても このザマか。

もう、獣の血どころじゃないんだろ?

どう逃げようか必死だな。

名だたる悪魔どころか、日本神まで出て来た。

混血だろうが、お前に勝ち目はない。

目の前にいるのは、腕のあるバテレンだ。

そいつは、天使も降ろせるのも知ってるな?」


「黙れ! まだ... 」


「お前、蔵石じゃないな」


虚をついて、ボティスがナイフの手を握ると

ジェイドが男のフードを上げた。


「何を... 」


「得意の蟲は どうした? 何故 出さん?

奴は 自分は安全な場所にいて、お前等に

俺等の始末をさせるつもりなんだろ?」


ジェイドが男の額を掴み、主の祈りを始めると

ボティスは「要らん」と言って

男の持つナイフの手を掴んだまま、ぐっと押し

男の顎の下を突いた。


葉月という子に巻いた男の手を外して

後ろへ男を倒すと

ガタガタと震えて、黙って涙を流す葉月に

「どちらに行くか選べ」と言う。


葉月が、オレらの方へ走ると

「はあちゃん!」と、葵と菜々が喜んだ。


ボティスのコインが強く反応する。

この葉月という子が持っていたらしい。


「お前等は どうする?

クソ蟲に忠誠を誓って死ぬか?

まあ、ガキが泣いているのを

黙って見ていた奴等など、死んで構わんが」


ボティスが、倒れた男の手から

血に濡れたナイフを拾うと、魔人の 一人が

「どちらにしろ... 」と 呟いた。


「それもそうだ。従っても こうして使い捨てられ、裏切っても殺される。

だが、死に方を選べ。尊重してやる。

奴に殺されるか、俺に殺されるか

バテレンに殺られるか... 」


木の枝が揺れ「耳を貸すな」と

ボティスの背後に、男が飛び降りた。


眉のない男は、ボティスのナイフの手を取る。


あいつだ。


見た瞬間に走って、蹴り飛ばすと

地面に腰をついた男... 蔵石は口を開けて

黒い羽虫を無数に吐き出した。


蟲が纏まり、象を成していく。

葵や菜々、他にも小さな子たちに...

どこまで汚いヤツだと、怒りに鳥肌が立つ。


周囲の木々の間から

眉のない、蔵石と同じ顔の人頭の蟲が

わらわらと這い出して来る。


「形勢逆転だ」と、蔵石が笑い

呪文を唱え、自分の下に魔法円を敷いた。

こいつ、魔術が使えるみたいだ。


「泰河! 子供たちの眼を塞げ!」


オレは、蔵石の首を 風で捻切るつもりだったが

精霊は魔法円に跳ね返された。


「ルカ! そいつに召喚させるな!」


ボティスが人蟲の頭にナイフを立てながら言う。

魔法円は、召喚円なのか?


「アバドンの召喚円だ」


ジェイドが人蟲に聖水を振り掛け、蹴り倒しながら「力を借りる気だ」と言った。


「アバドンて、天使なんだろ?」


天使の力を魔人が?

自分が消滅するんじゃないか?


「だがアバドンは、奈落の王だ。

地獄そのものの具現化とも堕天使とも言われている。イナゴは公平に すべてを喰い尽くす」


天使か悪魔か はっきりしないヤツなのか...


じかに、首を絞めようと手を伸ばすが

手も魔法円に弾かれる。


そのうちに、人頭の蛾が飛んで来て

葵の象の蟲が、オレの足に しがみつく。


鱗粉を撒き散らす蛾の羽を捻切ろうとすると

突然、羽が燃え上がった。


「術師! 術を解け!」


えっ... ?


声の方を見ると、拘束した魔人の 一人が

風貌を変えていた。

地味なスーツに銀縁眼鏡。胸に金メダル。


「おまえ、桃太... ?」


「早よう 解かんか! 人蟲を始末する!」


だって、ボティスのコインは...

いや、そうだ。

強い反応の前にも、反応はあった。

魔人たちが出てきた時だ。


地の拘束を解くと

他にも、四人の魔人が姿を変えた。


玄翁、蓬、羊歯、真白爺...


「ふう。元蛇神ボティスに屠られるかと思うたわい」

「肝を冷やしたのう」


蓬と羊歯が、人蟲を狐火で燃やし

真白爺と桃太は、狸の姿に戻り

子の象になった蟲に飛び付いて、元の黒い羽虫にすると、それを玄翁が焼いていく。


にゃー と、露子までが

木々の間から走り出て来て

泰河の元に 二つ尾を揺らして走る。


二本足で立って、泰河の胸に手を置くと

泰河が露子の首に掛かった何かを取った。


「朋樹!」


泰河の手にあるのは、白い勾玉だ。


閉ざされた森の天に亀裂が入ると

三ツ又の矛が落ちて来た。


「むっ、狭いのう... 」


狐姿の榊が、十字に空いた亀裂の穴から飛び降り

「魔犬!」と 呼ぶと、猟犬も飛び降りて来た。


自分が呼んだ猟犬の近くから、榊が逃げるように

泰河の元へ駆けて 人化けをする。


「榊、露。子供たちを頼む」と

泰河が立ち上がると

「ふむ。行って参れ」と、榊が葵と菜々の肩を抱き、葉月の膝に 露子が乗る。


「くそ! 通れんぜ!」という朋樹の声が

亀裂から聞こえ

「泰河!」と、何かを落とした。


オレの隣では、黒い猟犬が

魔法円の中の蔵石に 牙を剥き出して唸り

ぽたぽたと滴る酸が、地面に穴を開ける。


泰河が、朋樹の落とした何かを拾うと

手が発光して見えた。


近くに来ると、それは白い勾玉 二つが

円になったもので

泰河は それを持った右手を 魔法円に近づける。

バチ と、空気が鳴って

泰河の手が魔法円に入り、蔵石の首を掴んだ。


「よし、いけたぜ」


「なんでだよ?!」


すげぇけど、納得いかねーし。


「人の勾玉と幽世の勾玉。で、オレの獣の血だ」


余計わかんねー。


「で、引き摺り出すべきだよな?」


蔵石の ぼそぼそとした呪文の詠唱は止まったけど

魔法円からは出て来ない。


「ルカ、おまえも引っ張れよ」って

泰河は言うけど、そういうことじゃない、絶対。

と 思ったオレは、ジェイドを呼ぶ。


ジェイドが、泰河の肩に手を置いて

主の祈りを詠唱すると

蔵石の下の魔法円が、ぐらぐらと波立つ。

ビキ と、魔法円が割れると

ふ と抵抗が無くなり、蔵石を掴んだまま

泰河とジェイドは 後ろに転んだ。


「出てきやがったぜ」


ようやくだ。

まだ うつ伏せに倒れている蔵石の足を

地で拘束する。


泰河とジェイドが起き上がる間に

ボティスが 血まみれのナイフを片手に

近くに来た。


「散々 楽しいことやってくれたじゃねぇか。

起きろ」と、ボティスが

蔵石の太ももの裏に ナイフを突き立てるが

蔵石は動かない。


「こいつ、死んでねぇ?」


泰河が蔵石を足で揺する。


「動かねぇな」


ジェイドが脈を見ようと、手首に触れた時に

割れた魔法円から イナゴが噴き出してきた。

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