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集落の人たちが泣いている。


「このようなものを畏れておったとはのう」


榊は笑い、浅黄が また異形の胸を突いた。


おじさんは汗をかいて見守り

透樹くんは、口元を手で覆っている。


「... “初めに、ことばがあった”」


ジェイドが口を開く。

「ヨハネだ」と、ルカが呟く。


「“言は神と共にあった。言は神であった。

この言は、初めに神と共にあった。

万物は言葉によって成った。

成ったもので、言葉によらずに成ったものは

何 一つなかった。

言の内に命があった。

命は人間を照らす光であった。

光は暗闇の中で輝いている。

暗闇は光を理解しなかった”... 」


ジェイドは 一度、言葉を切った。

薙刀が異形を振り飛ばす。


「彼は、神から遣わされた人だ」と

ルカが先を続ける。


「... “彼は光ではなく、証しをするために来た。

光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるために”」


「祈りを」と、ジェイドが言う。


「彼は、暗闇の中にいる。

だが、眼を開き、言葉で祈れば

必ず彼の中の光を理解する。

彼から眼を背ければ、それは あなた方自身から眼を背けるということだ。

僕は あなた方と共にあり、光の証しをしよう」


「無駄じゃ」と、榊が笑う。


異形が また、よろよろと立ち上がり

打たれた脇腹に手を当てている。


「このような者の内に、清きものなどあるものか。お前たちも理解っておろう?

のう。泰河タイカ朋樹ホウジュよ」


榊は、オレらを見やった。

ホウジュ? 朋樹か? まるで僧名...


いや わかった。


「如是 我聞 一時 佛住 王舎城 耆闍崛山中 與大比丘衆萬二千人倶 皆是阿羅漢 諸漏已盡... 」


法華経を唱える。


仏門に入った者の僧名は、本名を音読みすることが多い。

榊が、朋樹を僧名のように音読みで読んだのは

経を唱えろ ということだ。


異形が突かれ、倒れるのを見て

周囲の人たちも、ひとり またひとりと

法華経を唱え出した。


「... 無復煩惱 逮得己利 盡諸有結 心得自在... 」


異形は、痛みを取り戻した。

突かれた腹を押さえ、涙を流している。


「... 陀羅難陀 富樓那彌多羅尼子 須菩提 阿難... 」


読経の声々が空へ昇っていく。


「浅黄」


慶空が呼ぶと、浅黄は構えた薙刀を降ろした。


「お前は誰だ」


慶空が異形に問う。


異形は、涙に濡れた顔で慶空を見上げ

「わたしは」と、か細い声を震わせた。


「何者か。名を申せ」


「わたしは... 佐吉...」


榊が 右手を肩の位置に上げ

異形の背後に扉を出した。


「キク、勘治... ミヨ... 四郎、タエ... 太一 」


六部に犠牲になった人たちの名か。


蠱物まじものから人に戻った... 」と

朋樹が呟く。


異形は、人非ず者と打たれながら

人であるための 何かを取り戻していた。


扉が開くと、内には人が並んでいる。

腕がない人、足がない人、耳がない人...


「逝くがよい」


異形が深く礼をし、背後を振り向くと

扉へ入っていく。


榊が扉を閉じて消すと

異形がいた場所には、黒く濃密な靄が残っていた。


慶空が薙刀で靄を払うと、その場から

靄が消える。


終わった のか... ?


「塚に向かう」


六部か...


ジェイドが 道から守護精霊を退く。

榊たちに続いて、オレらも森へ入った。




********




塚の巨石は、静かに月明かりの下に佇んでいる。


オレらは、榊と浅黄の背後にいたが

その後ろには、集落の人たちもついて来たので

ジェイドが オレらの背後に、また守護精霊を置く。



慶空が岩の前に立ち、半眼となり

不動明王咒を唱える。


「ナウマク サラバダタ ギャーテイビヤク サラバ ボッケイビヤク サラバタラタ センダマカロ シャダ ケン ギャキ ギャキ サンバビギナン カン タラタ カンマン... 」


幾度か繰り返すと、深く息を吸って眼を開き

薙刀の柄で巨石をガッと 一突きした。


薙刀を片手に持ち直し、柄で地面を突くと

ビキ と、硬いものにひびが入る音がする。


また地面を突くと、巨石がガラガラと崩れた。

罅は巨石の中心から放射状に拡がったようで

地面に接している崩れ残った部分も、幾つかに割れている。


巨石の向こうの沼が ボコボコと音を立て

沼の上に、黒い靄が濃密にこごる。


靄に誘われるように

沼のぬかるみが ぞろぞろと這い上がり

靄に纏わり付いていく。


靄に纏わり付いた ぬかるみは

泥の人となった。


まだ みるみると、姿形までが造られていく。


僧侶だ。


六部の巡礼者は、六部笠を被り

白衣に手甲、脚絆、背中には仏像を入れた厨子を背負っていたらしいが

黒い靄と ぬかるみが造ったものは

法衣に肩袈裟、網代笠を被り、錫杖を持っている。


六十六部の巡礼は、一般の人も行ったが

こいつは生前、宗教者だったようだ。


「臨 兵 闘 者 皆... 」


慶空が九字切りする間に、それが眼を開く。


「オン キリキリ オン キリキリ... 」


不動金縛りを掛けようと、慶空が手にいんを結び変えている時に

泥の僧侶が前へ出て、割れた巨石に乗った。


手の錫杖を振り上げた時、浅黄が

僧侶と慶空の間に跳び入り

薙刀の柄で錫杖を受ける。


「ナウマク サマンダ バサラダン センダ マカロ シャダ ソワタヤ ウン タラタ カンマン... 」


僧侶が 錫杖を真横に振ると、浅黄は 高く跳んで避けた。


「オン キリキリ... 」


不動金縛りが完成しようとした時だった。


「これが、六十六部の巡礼者なのですね!」


場違いな程 明るい声がした。


「ミキちゃん!」


おっさんが、守護精霊の背後から

驚いた声をあげたが、本当に ミキさんだ。

なんで そんなとこにいるんだ?


ミキさんは、オレらの背後の集落の方ではなく

獣道から出て来た。


... 小屋に潜んでいたのか?


僧侶の眼が ミキさんに向く。


ミキさんは、腰に届く長い髪を 一つに束ね

白衣はくえに緋袴 という巫女のような格好で

満面の笑みを浮かべて、僧侶の方へ駆けて行く。


「カガセオ様ぁっ! 今こそ、お光を!

さあ、その方を離れて、私に お移りください!」


オレが止めようと、走り出す前に

「カルネシエル!」と、ジェイドが

守護精霊の 一体をミキさんの前に出し

ルカが 地の精霊を呼んで、ミキさんの足を止めた。


朋樹が地に片手を付け、呪を唱え

植物の蔓を伸ばしてミキさんに巻き付ける。


ルカが精霊を退くと、朋樹が蔓にミキさんを引かせ

浅黄が僧侶を行かせまいと

ミキさんを背後にする位置に立ったが

僧侶は、足元の割れた巨石を錫杖で突く。


割れた巨石の欠片が飛び、ミキさんの胸に当たった。

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