27


「ミキちゃん!」


川本の おっさんが叫ぶ。


ミキさんは蔓に引き戻されが

胸を押さえて咳込むと、カッと眼を見開いた。


「きゃああっ!」


白衣の胸元を両手で握る。


「いたい いたい 痛ぁいぃっ!!」


朋樹が呪を解き、蔓が地に沈むと

ミキさんは その場に座り込んだ。


おじさんと透樹くんが ミキさんの傍に しゃがみ

様子をみている。


ミキさんは、白衣はくえの胸元をかばうように

背を丸くして「痛い 痛い」と泣き声を出した。


透樹くんが、ミキさんの隣にしゃがみ

自分に凭れかからせるようにして

片手を取って、白衣の襟を肩側に引いた。


「... 返りだ」


白衣の下のキャミソールから、赤いみみず腫の線が覗いている。

肩口から始まる その線は、斜めに胸を通り

脇腹まで達しているようだ。


袈裟懸けに切られた跡のように見える。

この僧侶が斬られた跡か...


おじさんと透樹くんが ミキさんに肩を貸し

安全な場所に移そうと、オレらの背後に立つ

守護精霊の向こうへ連れて行こうとするが

榊が「ならぬ」と止めた。


「厄が集落に拡がる。返りを被った者を

それより先に入れるな」


榊が指す方向は、オレらと守護精霊の間。

縄の掛け換えの時に、榊が神隠しをかけた岩があった。


さっきまでは見えなかった。

六部... 僧侶を起こしてから、榊が新たに結界を張るために、神隠しを解いたようだ。


「それで、こちらと集落の者等を分けておる。

その娘は こちら側に置いておけ」


川本のおっさんが ミキさんの近くに行こうとするが、背後の守護精霊に阻まれて、悔しそうに立ち尽くす。


ジェイドは、一度 精霊を退こうとしていたが

榊の言葉を聞いて、開きかけた口を閉じた。


「お前の木偶を、お前から取り上げたのは

我等 畜生よ。

言うたであろう? お前など、我等 畜生にも劣ると」


榊が挑発すると、僧侶は錫杖を浅黄に振り上げた。


錫杖が振り下ろされる前に、浅黄が腕を打つと

ミキさんが また悲鳴を上げた。


... なんだ?


僧侶は 笑ったように見えた。

浅黄が打つのを躊躇する。


「榊! 返りを... 」


さっき異形に返したように 返せないのか?


「出来ぬ」


榊が言う。


「胸の斬り傷ならば返せよう。念による物じゃ。

だが、こ奴は 自分と娘を繋げよった。

これより新たな痛みは、娘に流れる。

娘を手放させなければ、呪縛は解けぬ」


胸の斬り傷を返すためには、異形のように打たなければならないんじゃないか?


でも そのために打つ痛みは、ミキさんに返る。

耐えられる訳が...


僧侶が また錫杖を振り下ろすが

浅黄は薙刀で受けるだけで、打ち返そうとはしない。


慶空が再び九字切りをし、手の印を組み替えながら、不動金縛りをかけ始める。


おじさんに支えられて座っているミキさんの肩口の赤いみみず腫に、朋樹が手を当て

呪を唱え出した。返りを自分に移す気だ。


「朋、やめ... 」


やめろ、と 言いかけて

おじさんが口をつぐむ。


ミキさんは、痛みに気を失いかけていた。


朋樹の呪が終わると同時に

肩口に当てた方の逆の手を、透樹くんが握り

「以上を 雨宮透樹が承る」と宣言し


、移させ給ひて

掛けまくも畏き 神直毘神カムナホビノカミ 大直毘神オオナホビノカミ

祓へ給ひ清め給ふことを 共に聞きこし召せと白す」と、神咒を唱えた。

朋樹からは、聞いたことのない祝詞だ。


朋樹が 驚いて透樹くんを見ると

透樹くんは、朋樹の手を離し

「腕がいいだと?」と 笑った。


透樹くんは、痛みに反射的に背を丸める。


「いつまでも昔のままだと思うな」


返りは、朋樹を渡り 透樹くんに移った。


「兄貴... 」


おじさんが、ミキさんを抱き抱えたが

榊に「そこに置いておけ」と また止める。


「一度 返りを被った。まだ そちら側に入れるな」


仕方なく ミキさんを結界の岩のギリギリのところに降ろし、おじさんが大祓を始めた。


「浅黄」


不動金縛りが成り、じりじりと後退しつつあった浅黄を退かせ、慶空が僧侶の前に出る。


慶空は、ゆっくりと振り上げられる僧侶の錫杖を

薙刀の刃で その手首ごと落とした。

手首は錫杖を握ったまま、塚の背後に拡がる沼に落ちる。


透樹くんが痛みに呻くが、白衣を下ろし

胸に自分の手を当て、祓詞を始めると

ジェイドが 聖水をかけて清め、朋樹が 祓詞を引き継いて唱え出した。


「六部よ。いつまで迷うておる?」


榊の声が響く。


「そのような浅ましき姿になってまで

現世うつしよにしがみつこうとは。哀れよのう」


僧侶は、まだ手首がある方の腕を慶空に上げ

慶空は その腕を二の腕から落とす。

透樹くんは、まだ なんとか眼を開いているが

これ以上持つのか... ?


「儂の声が届いておろう? 何を思い遺しておる?」


慶空が不動真言を唱え始め

浅黄が オレの側に下がり「陀羅尼を」と言う。


「佛頂尊勝陀羅尼は、玄翁しか唱えられぬ。

俺らが扱えるのは、明王や天部の真言だけだ」


佛頂尊勝陀羅尼というものは

邪を退け、百鬼夜行をも遠ざける といわれるものだ。


「あれに 陀羅尼が、効くのか... ?」


「今ならば六部は、榊の言に揺れておる。

次で慶空は、一気に返りを突き返す。

あれは、朋樹の兄であろう?

慶空の突きを堪えられるとは思えん。

断ち切れぬでも、繋ぎを薄めねば」


透樹くんは、ジェイドに支えられて座り

両腕を下ろしたまま、荒い息を繰り返している。


とにかく... と、陀羅尼を唱え始めた。


「ノウボバギャバテイ・タレイロキャ・ハラチビシシュダヤ・ボウダヤ・バギャバテイ... 」


「人に戻れ、六部よ」


榊が言うと、僧侶は先のない腕を下ろす。


「... タニャタ・オン・ビシュダヤ・ビシュダヤ・サマサマサンマンタ・ババシャソハランダギャチギャガナウ・ソハバンバ・ビシュデイ... 」


「棄て切れぬ念があるというなら、申してみよ」


僧侶の眼が、榊に向く。


「... 文字だ」と、ルカが 透樹の腕を見て言い

筆を取り出して なぞり出す。


「... アビシンシャトマン・ソギャタバラバシャナウ・アミリタ・ビセイケイマカマンダラハダイ・アカラアカラ... 」


透樹くんの胸の文字は “因”

手首と二の腕の文字は “業” とある。


「文字が 赤い... 」


胸の “因” という文字だけが赤い。

いつもなら、天の筆の文字は白のはずだ。


「... アユサンダラニ・シュダヤシュダヤ・ギャギャナウビシュデイ・ウシュニシャビジャヤ・ビシュデイ・サカサラアラシメイ... 」


陀羅尼を続けると

赤い文字は、血のように滲み出す。


朋樹が、空の大星に眼を上げ

人形ひとがたを 透樹くんの胸の赤文字に

両手を重ねて押し当てた。


「八将、太白大将軍! 呪縛の移を成せ!」


太白... 金星だ。


慶空が 息を深く吸い

薙刀の刃で、僧侶の胸を突いた。

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