白い月の下 8


********




「ブラジルとは、どのような国であろうのう」


里の屋敷で儂が言うと

浅黄がスマホンでケンサクする。


「このような国だ」


なんと派手であるのう····

カーニバルでサンバとやらを踊る娘の写真じゃ。


「儂もそこにおるのじゃ。桃太も」

風夏の中では。


何を言うておるのだ、と浅黄が笑う。


ふむ。浅黄は笑うことが増えたのう。

ますますファンも増えた。


「俺もブラジルに行こうかのう。

珈琲豆の産地の一つとある」


「浅黄はダメじゃ。まだ耳が出る故」


言うたな、と 浅黄はまた笑い

「自転車に乗って来る」と屋敷を出た。


縁側には、背中を丸めた玄翁が座っておる。


「また負けたのう····」


総勢術は狸の勝利であった。


「玄翁、次は勝つぞ。

総勢でサンバを踊れば良い」


儂がスマホンの写真を見せると

「むっ! これは楽しそうじゃのう!」と

玄翁は眼を輝かせ

ブラジルの紹介記事を読んでおる。


秋も終わりに近づいておるが

里は雪が降っても、凍えるようなことはない。

ここもまた、儂等が造り上げた幽世じゃ。



とんとんと襖が鳴り

「梶谷様と雨宮様がいらっしゃいました」と

夕顔が襖を開ける。


「よう 榊、遊びに来たぜ」

「玄翁、ブランデーを買って来た。

海の魚もだ。リクエストのナッツもある」


泰河と朋樹は、我等 狐軍が負けたことを

ちぃと気にしておる。

総勢では、狸の術を気に入っておったからのう。


「おお、泰河、朋樹よ。

儂は二人に頼みがあるのじゃ」


玄翁は、浅黄を

ちょくちょく人里に出してやりたいと言う。


「榊も人里には詳しいが、まだまだであるからのう。浅黄に社会勉強をさせたいのじゃ」


むう。儂はもう文明人ならぬ文明狐であるのに。


「おう、別にそんな改まらなくても

もう浅黄とオレらは仲良いしさ」

「そう。今度あいつ連れて、電器屋に

家電見に行くんだぜ。見たいって言うから」


それは購入する訳ではなく

本当に、ただ見たいのであろうのう。

“掃除機はカッコ良い” と

儂には 解らぬことを申しておった故。

しかし その時は、儂も行くかの。


夕顔がグラスと皿を運んで来ると

「飲もうぜ。氷も買ったよな?」と

グラスに氷と琥珀の酒を注ぎ

朋樹がナッツを皿に開ける。


儂もアジを片手にグラスにも手を伸ばすが

この酒は匂いが強いのう。


「うむ、強いのう」


「だろ? チビチビ飲むんだぜ」


昼間に呑むものでないのう、と言うと

人里は今は夜だ と返された。


儂は、ふむ と頷き

「風夏のことであるが」と

二人に幽世での話をした。


あの後、扉を通ると

まるで時間は経過しておらず


風夏のこころが身体に収まった後

まだ眠る風夏を、人化けした桃太が背負い

露さんの案内で風夏の家に運び

風夏の部屋のベッドに寝かせた。


眠る風夏に、桃太が「さよなら」と言う。


「お前も大好きじゃと、風夏は言うておった」


儂が言うと、桃太は

銀縁眼鏡の奥の眼を真っ赤にして潤ませ

「これにて御免!」と

頭に木の葉も乗せずに窓を飛び出し

山へ走り去って行った。


儂は、風夏の机にあった五十音の紙を開き

筆立ての赤いインクのペンを取ると

手のひらに塗り付け

狐に戻り、鳥居の横に掌紋を付けた。


部屋の外から『風夏?』という

風夏の母君であろう声がし

儂と露さんも窓から駆けた。


「よかったんじゃねぇの? それでさ。

オレもたまに、ばあちゃんの夢見るぜ。

けど目が覚めると、どんな夢だったか

忘れちまうんだよなぁ」


手のグラスの 琥珀の酒の中で

氷が融け出すのを、泰河が見つめる。

パッと顔を上げると

「まあ、いつかまた会えるしな」と笑い

チビチビ呑むはずの酒を一気に干し

「玄翁、将棋指そうぜ」と、縁側へ誘うた。


「朋樹」


儂が呼ぶと、朋樹はグラスに酒を注ぎ足しながら

「ん?」と 返事する。


「風夏を神社から出した折り

伊弉諾尊に、なにか言付けたのか?」


そう聞くと、朋樹は

「いや。祝詞は捧げたけど。

あんまり風夏ちゃんが泣いてたから

情けをかけられたんじゃねぇの」と答え


「伊弉諾尊は、穢れは禊がれたが

今も伊弉冉尊を大切に思われているんだろ。

会えなくてもな」と

なかなかに ろまんちっくな言葉を添える。


だが


「でもさ、榊。

おまえ もう、自分の手に負えないことに

手は出すなよ。

身近なヤツを失えば、誰だって哀しいんだよ。

全員は救えないんだぜ」と

儂に灸をすえた。


むう。尤もな事を言うておるのかも知れぬが

儂は何か気に要らぬ。


「····禁を犯し

反魂を行った者が言うことかのう?」


儂の言葉に朋樹は黙る。


「“思わず身体が動いた” などと

言うではないぞ。

朋樹は “思わず” などで身体は動くまい。

取り返してやる と、考えたであろう?」


「あれは、何だ

別に取り返してやるとは····」


朋樹がぐずぐずになっておる内に

浅黄が屋敷に戻って来て

「よう、浅黄。おまえも飲めよ」と

朋樹は逃げる。


ふん。全員救えなくとも

それぞれが身近な者を救えば良いのじゃ。


泰河はあっさり玄翁に敗し

「もう一局!」と、熱くなりおる。


朋樹と浅黄は家電の話をしておるし

儂は露さんに会いに行くかの。



屋敷の玄関を出ると、水田や稲穂の間の道を

あちらこちらの紅葉こうようさまを見ながら歩く。


桜も咲き、柿も実をつけるという

ちぐはぐな様でもあるが、ここは儂等の家じゃ。

のどかな美しき里よ。


にゃー という声に振り向くと

やはり露さんであった。


「おお、露さん。

今、会いに行こうと思うておったのじゃ」


露さんは、里の者に指導に参られたようじゃ。

招きと踊りの特別講師である故。


「では、里の広場へ行くかのう」


広場で露さんの指導する様子を見ていると

「榊!」と、うえから声がし

桃太が儂の隣に着地した。

まったくに品の無いことじゃ。


「昼間、風夏を見た」


何?


「もう会っては····」と、儂が口を開くと

「違う」と、桃太が遮る。


どうやら、真白爺の書状を蛇神に渡すため

桃太は昼間、二山へ向かうたようじゃ。


「二山で用事を済まし、帰りに

学校とやらの屋根で休憩したのだ」


やはり故意に見に行っておるではないか。

そう言うのは控え、先を聞く。


「風夏はジャージを着て、部活へ向こうておったぞ! 友達と笑うておった!」


ふむ。


儂が黙っておると、桃太は

「何だ? 何か言葉はないのか?」と

丸い顔でムッとする。


「丸い奴よのう」


儂が言うと、益々にムッとしたが

何も返しはせず、隣で人化けし

露さんの招きが踊りになる様を見る。


「今日もサラリイマンじゃのう」

儂が何気なく言うと


「カッコ良いだろう。

人のサラリーマンはな、妻や子を守るために

会社にて、日々戦っておるのだ」と返す。

桃太はサラリイマンに憧れておるようじゃ。


「ふむ」


儂が頷くと、桃太は

「俺は最近、人里の家を買うた。

サラリイマンとして働き、金を貯めておったのだ」などと言う。


「家じゃと? 何故じゃ?」


「ヨロズ相談所を開くためだ。

依頼人は人ではない。人里のあやかし達よ。

我等のような山の者ばかりでなく

人里にも、そういった者はおるからな」


「ほう····」


「今は共に仕事をする者をスカウトしておる。

お前も、人の祓い屋ばかりとおらず

時々は俺の相談所を手伝うと良い。

露さんはもうスカウトした。報酬は刺身だ」


ふむ。露さんは人里の事ならば

なんでも知っておるからのう。


「儂は鯵の一夜干しじゃ。浅黄も呼ぶと良い」


桃太は「浅黄か」と

狸に戻り、屋敷に駆けて行く。


ふむ。なかなか楽しくなりそうじゃのう。


露さんが踊りを終え、儂の近くに来る。


「露さん、御苦労様じゃ。

屋敷で酒など呑もう。

泰河と朋樹が、海の魚も土産に持って来ておる」


にゃーと、眼を細めて喜ぶ露さんと

また里の道を歩く。


おお、桃太には

泰河と朋樹が来ておると言い忘れたが

まあ大丈夫であろ。


晴天の空には、白く薄い月が浮かぶ。

月は手には届かぬが、付かず離れず側におる。

いつものう。


人里では、夜空に煌々とした月が

白い光を落としておることであろう。


儂も時々、学校の屋根に上るかの。

バスケの試合は窓から覗くか。


風夏。儂もお前が大好きじゃ。



屋敷近くに着くと

玄関から桃太が転げ出て来た。

後にすぐ泰河が続く。


「おい待て狸! 何企んでやがる?!」


「違う! 誤解だと言うておるだろ!

榊、この男に説明してくれ!」


「いや榊、この狸

浅黄を そそのかそうとしてたんだぜ!」


まったくのう····

最近は、のどかな里でも慌ただしいことよ。


しかし自然と 笑みがこぼれた。






********    「白い月の下」 了

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