白い月の下 7

********




楠の広場には、ふわりふわりと狐火が舞う。

他の山の山神達も、笑顔で酒を飲んでおる。


総勢が始まっておる。

順は、我等 狐からじゃ。


“祭”という 題目であったのう。


広場の中央には祭りやぐらが建ち、周囲には屋台。

浴衣や法被はっぴを着た狐面やヒョットコ、オカメ面があふれ、賑やかなさまじゃ。


盆踊りの音楽が流れ出すと、一人二人と

櫓を中心に踊り出す。


やがて、儂と玄翁以外の狐はそれに加わり

面を被った者共が輪になって踊る。


どこぞから風が吹くと

屋台が風にほどけ、櫓もほどけた。


狐火が人魂のような炎になると

炎の中には、怨めしそうな人の顔が浮く。


踊る面の者共が、ぞろりぞろりと

その姿を変じてゆく。


般若に夜叉に、くだんに鬼に····百鬼夜行じゃ。

これが我等 狐軍の総勢術となる。


「お、すごいな····」

「陀羅尼 唱えたくなるぜ」


泰河と朋樹が感心しておるが

儂は、ぼんやりと先程のことを考えたままじゃ。


朋樹は、神社から風夏を出し

タクシーで風夏を自宅まで送った後

車に戻って来た。


儂には 何も言わぬ。


そのまま この場におる。



「次は狸だな」

「楽しみだよなぁ」


百鬼夜行はぞろりぞろりと

広場の半分に列び出した。

狸の総勢のために、場所を開けるためであろう。


広場の下の方から、音楽に混じり

太鼓や笛の賑やかな音が鳴り出した。


編み笠を被り、顔を隠した者共が行列となり

両の手を高く上げ

ざっざと揃えた足音を立てながら

阿波踊りで真っ直ぐ広場へ登って来る。


広場に着くと、次々に姿を変じ

唐傘お化けや 一つ目小僧

牛鬼、河童に ろくろ首、青坊主、煙々羅····


人の世では、あやかしの総大将ともくされる

ぬらりひょんが前に立ち

「狐七化け、狸八化け!!」と宣言すると

「おおーっ!!」と、狸共が声を上げた。


「うわ! すげぇな!」

「コミカルで いいよな」


泰河と朋樹が

「牛鬼だぜ。濡れ女もいる」

「あれ、垢舐めじゃね?」と

指差すのを見て、真白爺が笑顔で頷いておる。


これより協議に入る、と

泰河と朋樹が、いたち共に呼ばれた。


皆 化けをき、玄翁や真白爺の元に

それぞれ集まって来る。


「榊!」


青い顔で桃太が寄って来た。

まだ阿波踊りの法被を着ておる。


「桃太。妖しに変じなんだか?」


儂が、ぼんやり聞くには答えず

「風夏が····」と

広場を下へと駆け出して行く。


儂も後を駆ける。


獣道を下り、道路を渡ると

また獣道を下りる。


「風夏!」


道路の脇に、風夏が倒れておった。

気を失うておる。


「何故じゃ?! 何故 山におる?」


朋樹が送ったではないか····


「わからぬ。わからぬが

風夏は、山に登ろうとしておった。

我等 狸が山を登るところに行き合い

気を失うたのだ」


にゃー と、露さんの声がする。


「露さん」と、桃太が

露さんの声がした森に顔を向けると

二つ尾を立てた露さんが姿を現した。


露さんが風夏を招いて

山へ連れて来たようじゃ。


「露さん、何故····」


露さんは新緑色の大きな眼で儂を見て

その場に座り、目蓋を閉じた。


神降ろしじゃ。


巫女でもある猫又の露さんは

自らは人語は話せぬが

その身を神や霊の依代よりしろとする。


『榊よ』


露さんが男の声で言う。


『風夏のこころを連れ、幽世へ行け』


これは、あの神社で

柚葉の身の穢れを禊いだ伊弉諾尊いざなぎのみことの声じゃ。


露さんが目を覚まし、伸びをすると

儂は周囲に人避けの結界を張り

風夏の右手を握る。


「桃太、露さん。

風夏の糸が切れぬよう、番を頼む」


桃太は頷くと、風夏の左手を握り

露さんは風夏の額に前足をちょんと乗せ

風夏が目を覚まさぬようにする。


右手を肩の位置に上げ、界を開くと

身から抜け出た風夏のこころを連れ、扉に入った。




********




「ふうちゃん!」


柚葉が扉を出た儂に駆け寄る。


風夏は 立っておっても

まだこころ

扉の向こうの身体と同じに眠っておる。


「月詠様」


儂が話す前に「父神から聞いておる」と

儂に呪をかけられた。


儂の身は色を無くし、周囲に溶け込んだ。


「これを持て」


月詠尊は、糸の端を儂に持たせ

もう一方の端を風夏の小指に結ぶ。


「起こすぞ」


月詠尊が風夏の目蓋にくちづけると

風夏が目蓋を開いた。


月詠尊が姿を隠す。


風夏の眼には、儂も月詠尊も見えておらぬ。


風になびく草原を眺めておるが

「ふうちゃん」と、柚葉が呼ぶと

柚葉の姿に気がついた。


「お姉ちゃん····?」


「うん。ふうちゃん、久しぶり。

髪切ったんだね。

また、私の真似したんでしょう?」


柚葉が笑うと、風夏は泣いた。


「暑かったから、切った だけ

お姉ちゃん の、真似なんか してないも····」


柚葉が風夏を抱き締める。


「ふうちゃん。会いたかった」


風夏は声を上げ、ますます泣いた。



風夏が泣くだけ泣いて落ち着くと

柚葉は風夏の手を引き

碧白のあまの河のほとりの大樹まで歩く。


「これ、星の河なの?」


まだ鼻を啜りながら、風夏が柚葉に聞く。


儂から風夏が遠く離れても

手の糸を通じて、声が聞こえる。


「そうだよ。あの中に、ふうちゃんもいるし

今いるここも、あの中にあるんだって」


しばらく河を見つめると、大樹の下で

柚葉が みしんや作業台を自慢した。


「見て! 私、毎日

たくさん服を作ってるんだよ!

ここでデザイナーになったの」


柚葉が作業台の前で両手を拡げると

今までに柚葉が作った服が

作業台の上にバサバサと重なった。


風夏は、上から一枚スカアトを手に取り

ラベルを見る。


「お姉ちゃん、これ····」


柚葉は、イタズラをする子供の様な顔になり

「これはね、夏葉かよじゃなくて

ナツハって読むの。ふうちゃんじゃないよ」と、素っ気なく言う。


風夏が「ふうん····」と、俯くと

「ふうちゃんと私。葉は柚葉の葉だよ」と

柚葉は首を傾げた。


風夏はまた涙をごしごしと拭き

「やっぱり、お姉ちゃんなんか嫌い!」と

強がっておる。


「うん。ふうちゃんらしくなってきた」


柚葉が言うと、風夏は やっと笑った。



二人は草原を、長い長い時間

あの時はこうだった、いや あの時は····と

とりとめなく話しながら歩き

草の上に二人で寝転んだ。


「見て、あの雲の形。クジラみたい」


「えー、イルカだよ」


鯨、海豚と言い合うて、笑うておる。


「ねえ、お姉ちゃん」


「ん?」


「榊さんて、知ってる?」


胸の中で、宝珠が熱を持った気がした。

いや 心臓が鳴ったのであろうか。


「うん、知ってる! 仲良しだよ!」


柚葉は明るく答えるが、風夏は口ごもる。


しばらく黙っておったが

「榊さんが····」と

思い切ったように、口を開いた。


「お姉ちゃんを、食べた って····」


「うん。そうだよー」


呆気なく柚葉が肯定し

風夏は言葉を失うておる。


「それがね、私のゼンコウ····っていって

善い行いになったの。

他の動物のお腹を満たしてあげる、ほどこしになったんだって。

だから私、ここにいるんだよ」


風夏は「そうなんだ!」と、身を起こした。


「榊さん、やっぱり

私も食べるなんて、嘘なんだ!

だって、“もう会わない” って言ったのに

今度は “食べる” って言うし

あの神社の御使いさんは狐さんだよね?

前にパパが教えてくれたもん。

なのに、外から入ってきた白犬を

“神社の護り犬” って言ったんだよ!」


····なかなかに鋭いのう。

あの状況で、違和感を感じたとは。


それを覚えておって、分析しておる。

賢い子じゃ。


儂の方が狼狽うろたえていたようじゃ。


「あっ、ごめん。

いっぺんに言ったって、わかんないよね」


風夏が言うと

「ふうちゃん、昔からそうだよね。

まるで、相手も同じ場所で

一緒に見てたかのように、結論だけ話すの」と

柚葉が笑うた。


「でも、わかるよ。見てたから」


柚葉も起き上がる。


「私、ここで

お洋服作ったり、お散歩したりしてね

河も見たりもするの。

ふうちゃんたち何してるかな? って。

見たい時に、ふうちゃんのことも

パパもママも見れるんだよ」


それにね、と

柚葉は話し続ける。


「ふうちゃんや、パパやママが

私のことを強く想ってる時も見えるよ。

でも、泣いてる顔ばっかりだから

胸がぎゅーって痛くなる」


「お姉ちゃん、ごめんね!」


堪らず風夏が言うと

柚葉は「ううん」と首を横に振り

「私の方が、ごめんね」と、謝った。


「死んじゃったりしたから」


静かに 草原くさはらの草の なびく音がする。


「でもね、ふうちゃん。それは変わらないの。

謝ったって、怒ったって」


柚葉は屈託なく続ける。


「私が ここにいるのは

ふうちゃんが、いつかずっと先に

おばあちゃんになってから来るのを

待ってるからなんだよ。

そしたらまた、姉妹か兄弟に生まれよう。

神さまが そうしてくれるって約束したの」


ふうちゃんが良かったらの話だけどさ、と

柚葉が言うと、風夏は

「ほんとう?」と、声を掠れさせた。


「ほんとだよ! 今度は、ふうちゃんが

私のお姉ちゃんか お兄ちゃんになってね。

これから、いっぱいいろんなこと経験して

いっぱい私に教えてね。約束だよ」


「うん。約束する!」と言う風夏と

柚葉が指切りをすると

風夏の小指の糸が煌めいた。


「もう、行かなきゃね」


風夏が先に、草原に立つ。


「お姉ちゃんはブラジルにいるって思うことにする。日本の裏側だから会えないだけ」


「ふうちゃん。日本の裏側は海なんだよ。

オーストラリアがいいなぁ。コアラがいるから」


柚葉も立ち上がり

二人で手を繋ぎ、歩き出した。


「こことね、ふうちゃんのところじゃ

時間の流れ方が違うんだって。

だから、ふうちゃんはきっと

あっという間に、おばあちゃんになるね。

私がお洋服作ってる間に」


「それって、お姉ちゃんが

独りで待つ時間が短いってこと?」


「そうだよ。私には寂しく感じる暇もないの。

それに私、独りじゃないの。

月詠さまもいるし、榊さんも来るし。

だから、ふうちゃん。

バスケの試合の時だけ呼んで。

試合は見たいから。

そのままおばあちゃんにならないでね」


なんかひどい、と言う風夏に

柚葉は明るい声で笑う。


二人が、儂と月詠尊の前に着くと

月詠尊が呪を唱え

儂と月詠尊は、姿を現した。


風夏は儂に「嘘つき」と笑う。

「でも、もう呼ばないよ」と

しっかりと言うた。


「ふむ。お前は喰わぬ。

お前は生きて、善行を積むのじゃ」


儂が月詠尊に糸を返すと

月詠尊は風夏の小指から糸を外した。


「あの、月の神さま。

お姉ちゃんのこと、お願いします」


月詠尊は

「姉よりしっかりしておる。了承した」と

珍しく笑顔を見せた。


扉の前で、柚葉が妹を呼ぶ。


「パパとママのこと、お願いね。

ふうちゃんのこと、頼りにしてる」


風夏は頷き、姉に言う。


「お姉ちゃん、大好きだよ。またね」


儂が風夏の手を取ると、二人は手を振り合う。


扉を通る時に、風夏は儂に

「榊さんも大好き。桃太もね」と言うた。

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