白い月の下 榊 (狐 後日譚)

白い月の下 1

「いよいよであるのう」


深夜。秋深き里の屋敷で玄翁げんおうが言う。


「此度は、こちらの山での開催になりますのう」


羊歯しだが言う隣で、浅黄あさぎがつまらなそうな顔をしておる。


むう····

このところ慌ただしく、すっかり忘れておったが

もうそのような時期であったか····


「直に使者が到着されよう。

失礼のないようにのう」


使者。狸の種の者じゃ。


百年に一度、儂等の種と狸の種の者共で

化合戦ばけがっせんを催しておる。


これは、化け文化が廃れぬようにすることと

同じ化け種属である者共が親交を深め

つまらぬ争いなどが起こらぬよう、平和を保つためのもの。


儂は、過去に二度参加しておるが

合戦自体は此度こたびで十度目となる。


若き玄翁と、狸の真白爺ましらじいとの化け比べにたんを発したこの合戦は、千年の伝統行事でもあるのじゃが、我等狐の戦績は三勝六敗となっておる。


しかし、まみであるのにましらとはのう····

つい口走りそうになろうが、これは禁句であるようじゃ。


まみであるのにましらとは』


まさに千年前のこの口論から、玄翁と真白爺は取っ組み合ったが勝負はつかず

勝負は化け比べへと持ち越された、という

経緯がある。

くだらぬことよのう。


また、その時に

勝利を収めたのは玄翁であったことから

納得のいかぬ真白爺の挑戦を受け、百年の後に

再び化け比べ。


規模は少しずつ拡大し、互いに同種の精鋭を連れての合戦へ。

その内にどちらも山神となり、山と山の化合戦に発展したようじゃ。


今では百年毎の楽しみであるのであろう。

玄翁は、深酒をすると必ずこの話になる故。


しかし、儂も他の者共も

わくわくそわそわとし、気合いも入る。

これは化け種の誇りをかけた戦いでもあるのじゃ。


「今回も種目は三つであろうか?」


「うむ。ここ四百年のことと同様に

物化けと人化かし、総勢術であろうのう」


術が今一つの浅黄を置いて、羊歯とよもぎが楽しそうな顔で話す。


物化けは、物に化けること。

人化かしは、人を化かして驚かすもの。

総勢は、多数参加での出し物となる。

ふむ。説明するまでもなく

そのままの種目じゃのう····


儂は、物化けは今一つであるので

前回は人化かしと総勢術に参加したのであったが、結果は人化かしのみの勝利。

物化けと総勢でやぶれたので、狸の真白軍ましらぐんの勝利であった。


前々回は総勢術のみの参加であったが

この時は、我等狐が勝利を収めたのじゃ。


前回、前々回を含む、初戦の化け比べから数えて第六回目の合戦より

総大将の玄翁と真白爺は審査に就くこととなり

合戦には手を出せぬ。

若い者共の育成も大きな目的である故。


総大将ふたりと、他の山神

同じ化け種のいたちの者共が審査をする。


「物化けは、幾人の参加であろうか?」


「世が世であるからのう····

物の多様化により、前回より増えるやもしれんのう」


物に化けた場合、見かけの正確さと共に

その実用性も審査対象となる。


物化けした者は、一昼夜

人の元で物として過ごすこととなる。

つまり、人の物に成り代わるということじゃな。


一昔前であればくわすきなどであったが

今の世であれば、スマアトホンやテレビなどであろうか。


「人化かしは以前より、ちぃと難易度が増すのう」


「道端で という訳にはいかぬであろうのう。

だが、霊などが出ると人の噂の立つ場所であれば、人化かしも出来ようよ」


ふむ。心霊すぽっとじゃな。

この辺りで人気の場所を調べるとするかのう。


泰河が里にスマアトホンを置いておる。

これは、スマホンと略しておったな。

いや、スマホであったか? まあ、良い。


儂は電話しか出来ぬ故、浅黄が調べることになろう。

浅黄は人の機械が好きであるので

触りたくる内に、一端いっぱしのスマホン使いとなった。


しかし、人化かしは楽しみじゃのう····

やはり化けの醍醐味である故。

化け文化は、儂等と人との文化でもあるしの。

今回はアレに化けるとするか····ふふふ。


「だが、泰河タイガ朋樹ともきに見つからぬかのう?

誤って祓われることになっては····」


「おお、先の事では大変世話になったが

ことに朋樹は腕が良い。

人化かしなど、すぐに祓われようぞ。

榊、どうにか説き伏せれぬか?

二人と懇意であろう?」


蓬と羊歯が顔を向ける。


ふむ。話してみるかのう と

口を開く前に、玄翁が先に口を開いた。


「儂から二人に書状を書こう。

総勢術の際は、見学してもらうのも良い。

人の眼に、我等の術はどう映るであろうか····」


「おお、それは良い」

「うむ。張り切らねばならんのう」


ほっほと笑う玄翁の隣で

蓬と羊歯が益々に活気つく。


しかし、泰河と朋樹であろうと

人を招待するのであれば、ここは気を入れねばと、儂も身が締まる。

二人を あっと言わせるものでなければ····


「今回からさかきも不参加であるしのう」


むっ?


「何故じゃ? 儂は人化かしと総勢に····」


キョロキョロと座敷を見回すが

皆、儂が不参加というのが

当然という顔をしておる。


「お前は空狐であるぞ。

合戦参加は仙狐までであろう。

天狐や空狐の参加は違反となる」


はっ···· そうであった


儂は一度首を落とされ

人神様から界の番人をめいぜられる折りに

空狐の位をたまわったのじゃ····


「いや····しかし、儂はまだ齢三百程で

羊歯や蓬よりも歳若く····」


嫌じゃ! 今回儂は、人化かしで

狐女房をやろうと思うたのに!


狐の姿のままに身丈を伸ばし

二本足で立ち、緋の着物に金の帯を締めようと····


玄翁に眼を向けるが

「こればかりはのう····」などと言う。


「儂はまだ、二度しか合戦に····」


羊歯が眼を臥せ、蓬は残念そうに

「榊。仕方あるまいよ。

玄翁と共に、同族の勇姿を見守るが良い」などと····


そんな····


ただでさえ、ここ数十年は

化かしの文化も廃れつつある。

人と儂等の間の距離は離れるばかりじゃ。


山道で、魚や酒を盗もうと

人と知恵比べなどをしたのは、もう

いつのことであろうか。


「榊。お前は よう人化けして里に降りておるではないか。十分じゅうぶんに化かしておる」


むう···· そうではあるが

必要に迫られて、化けざるを得ないのと

此度の合戦のように化けを競うのでは

まるで違う。


だが、儂が口を開く前に、襖がとんとん音を立て

「使者の方が参られました」と言う。


むうう····


「玄翁様、皆様方、御無沙汰しております。

此度は白尾様のご降臨、大変に御目出度いことで御座います」


指を立て、頭を垂れる真白ましらの使者は

狸山、六の山の者で、名を桃太と申す。


何やら愛らしい名であるが

人化けしたその姿は、まるでサラリイマン。

ペッタリと七と三に分けたヘヤースタイルに

ぼんやりした冴えぬ黒灰色の背広

真っ青なネクタイ。

頭を上げると、銀縁の眼鏡を

人差し指でくいっと上げる。


しかし桃太は、儂の好敵手である。

齢も同じ三百程であり、化け術はなかなかである故。


「桃太殿。幾山も越え、御苦労である。

そう固くならず、楽にされよ」


玄翁が手を打つと、膳と酒を持った女達が

しゃなりしゃなりと座敷へ入る。


女に酌をされ、桃太は

「おお、かたじけない」と、杯を一度上げ

酒を飲む。


「此度の合戦でありますが····」


桃太が、自分の隣に置いた平たい鞄から

封書を出すと、しゃくのために桃太の隣にする女の夕顔ゆうがおが封書を受け取り、玄翁に渡した。


夕顔は戻る時に、ちらりと浅黄を見た。

浅黄は相変わらず つまらなそうな顔で

揚げをつまんでおるが。


浅黄は、武の腕は なかなかであるが

術は今一つである。

人化けした今も、長い髪の頭の上には

狐耳が乗っておる。

此度も総勢以外は見学となろう。


鈍感であるからのう····

里でも幾人もが浅黄に想いを寄せておるが

まるで気づかぬ。


「うむ。やはり三種目であるのう。

総勢のお題は “祭” とある。

人化かしは二名のままであるが、物化けは

二名から四名に増えておるようじゃが····」


玄翁が書状を読みながら言う。


「物の溢れる世になりましたので。

また、若い者の育成の良い機会であると。

人を化かす機会もグッと減りましたので」


桃太が答え


「そうじゃのう」

「人を化かしたことなど無い者もおるからのう」と、羊歯や蓬も口々に言い

うんうん頷いておるが

もはや、参加資格も失った儂は

今は浅黄のような顔をしておることであろう。


だが、儂と浅黄を取り残し

合戦会議は盛り上がる。

物化かしの人の家は何処どこにするか

人化かしは と。


むう。つまらんのう。


浅黄は玄翁の護衛である故、来客の際は

こうして座敷におるのがつねであるが

儂は、この場におる必要もないではないか。


黙々と魚を食しておると、儂の隣におるかえで

「榊様、魚はもっと御召しになりますか?」と

聞く。


「ふむ。もう一尾いただくかのう」


ひとしきり合戦の概要を話した桃太の眼が

儂に向いた。


「榊、久しいな。

今回も人化かしと総勢に参加か?」


ぬう····


「儂は参加せぬ。空狐である故」


なんとか、楚々そそと言うことが出来た。


「何? 空狐?!

まだ仙狐の域でもないではないか!

そんな訳はなかろう···· 齢も三百程で····」


桃太は眼鏡の奥の細い眼を丸くする。

何やら悪くない気分ではある。


「いや、桃太よ····」


玄翁が事の次第を説明する間、桃太は玄翁と儂を交互に見、段々と悔しそうな顔になり

眼鏡をくいっと上げる。


「人神様に、とは····」と

儂の首をぐるりと巻く 赤い線に眼をやった。


「おおそうよ。もうお前とは肩を並べておらぬ」


ほほと笑うて、楓が代えた皿の魚に箸を入れると

玄翁が「これ」と儂をたしな

桃太は細い眼を より細くした。


「このような、いつまでも何より

食い気が勝る者が空狐とは。

人神様も余程、人手に困っておるようだ」


何じゃと?


魚から眼を上げると、羊歯と蓬が眼を合わせ

浅黄は気にせず飯を食い

玄翁は「ほっほっほ」と笑うて酒を飲んでおる。


「くやしいかのう、桃太よ。

何せまだ、このように

使いとして出されるくらいであるからのう」


「何? 他の山の山神の元へ使いに出るには

それなりの者でなければ

失礼に当たることくらい、わかっておろう?

榊、お前が使いに来たことなど無いではないか」


「儂はその山神と並ぶくらいであるからのう。

使いに出ることは、今後もあるまいのう」


「そのような位など、名だけではないか。

己が修行して瑞獣となった訳ではない。

要は人神様の小間使いであろうよ」


ぬうう····


「しかし儂は界を開けるのじゃ!

素質があればこそである!

そうじゃ、桃太。今日はどのようにして参ったのじゃ?

下品にも飛んで参ったのかのう?」


「これ!」

「榊!」


玄翁や蓬が嗜め、女たちもハラハラと見守る中

桃太は柿のように顔を赤くした。

狸はふぐりを拡げて飛んだり身を隠したりする。


「我等の術をバカにするとは····」


桃太が立ち上がり、儂を見下ろす。


「いや桃太殿、大変申し訳ない。

榊は合戦に参加出来ぬのが悔しいのだ」

「どうか座られて····榊!謝るのじゃ」

羊歯と蓬が口々に言い、桃太は眼鏡を上げて

座ったが、誰が謝りなどするものか。


ふいと横を向き、魚をつまみ酒を飲んでおると

「総勢の人数は····」

「場所は楠の広場で良かろう」と

場の話はまた合戦へと移った。


ふん。つまらんのう。早う終わらぬかのう。


朝夕は肌寒くなったが、秋晴れの良い天気じゃ。

陽のあるうちにつゆさんに会いに

人里へ行こうかの。


露さんは、人里のあちらこちらに別宅を持ち

好きな時に好きな所で食事を取る。

不思議と猫又だということは、誰も気にせぬ。

露さんが一言「にゃー」と言えば

人等は窓を開け、待ってましたと 嬉しそうに

露さんに水と食事を差し出すのじゃ。


「うん?」


桃太が何かに気づいたように空を見つめる。


「呼ばれておる」


何を言うておるのじゃ、と思うた時に

儂もそれに気付いた。


これは下手な降霊の術で、最近は

狐狗狸こくりというようじゃの。

人が獣霊を呼ぶ儀式をり行っておる。


「久しくあるのう」

「一時期に比べ、とんと減ったが」


呼ばれて行く者は、たいていが辺りをふらつく

まだ位の低い野狐であり

適当な嘘を答え、憑いて狂わす者もおる。

いぬでも狸でも、それは同じ。


はて勝手に呼び出し、捧げ物もなく

何故聞かれたことに答えねばならぬ?

ここは一つ、からかってみるか。

····そういうことになるのじゃ。

自ら厄は呼ばぬ方が良い。


だが、この儀式を執り行う者の匂いは

何か気に掛かる。

どこぞで似た匂いを嗅いだ気がする。


「儂が様子を見て参る」


座を立つと、桃太の眼が儂に向く。


桃太は木の葉を頭に乗せ

くいっと眼鏡を押し上げ、手に印を組むと

「では、これにて御免!」と、座から消えた。


あ奴、先に儀式の場に行く気じゃな····


「いや榊、放っておくが····」


玄翁の言葉を背に、儂は狐の姿に戻り

縁側から駆け出した。

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