白い月の下 2

深夜の里の外、人里は昼。


狐狗狸の儀式の場は、人里の神社であった。

娘の折りの、人の白い勾玉が安置されたやしろの裏に

おかっぱ頭の娘がおる。


社近くの杉の木の上には、狸姿の桃太がおり

娘に近づく野狐や野狸を睨み、追い払っておった。


儂はそろりと木を登り、小声で桃太に

「古い技を使いよって」と悪態をつく。


何が、これにて御免 じゃ。

そう言うて、一時姿を消した後は

どうせ屋根から ふぐりで飛ぶのじゃ。


「ふん、来よったか。

空狐なら飛んでくれば良いのでは?」


むうう···· 儂はまだ空を駆けることは出来ぬ。


幽世かくりよへ入れば、現世うつしよの好きな場所へ扉を出せるが、むやみやたらに界を開き

行き来することは禁じられておる。


ぬしのように ふぐりがあればのう

そう言い返そうとした時に、娘が儂らを見上げる。


「····誰かいるの?」


むっ、柚葉ゆずは


いや····柚葉よりも、ちぃと幼い顔をしておる。


これは、柚葉の血縁の者。

どうやら姉妹であるようじゃ。


娘の隣には、五十音と鳥居の書かれた紙があり

小銭に置いた指が、鳥居にまっておる。


娘は辺りを見回すが、再び紙に視線を落とした。


「コックリさん、コックリさん

どうか おいでください。

コックリさん、コックリさん····」


ぼそぼそと遠慮がちに狐狗狸を呼ぶ。


「····ひとりでやっておる。

通常は二人か四人だろう。何やら必死だが」


小声で桃太が言い、首を傾げる。


「あの娘は、この夏の始めに

姉を亡くしておるのじゃ」


····む?


儂も小声で返すと

桃太は、するすると木を降りて行く。

何のつもりじゃ?


「コックリさん、コックリさん ····えっ?!」


桃太は狸の姿のまま

ちょこんと娘の前に座った。


「えっ? タヌキ?」


丸い体に、先も丸い尾。細く短い脚。

ふむ。狸であろうのう。


娘はまたキョロキョロと辺りを見渡す。


「私が、呼んだから····?」


桃太に言い、すぐに

「ううん、まさかね」と自分で打ち消した。


すると桃太が、鳥居の小銭に前足を置き

紙の上に小銭を滑らせる。


よ う じ は な に と。


娘は驚いた顔で文字を読み、桃太を見つめる。


「····本当に?」


じっと見つめる娘を桃太も見つめ

こくりと頷く。


「本物のタヌキが来るなんて····」と

娘はぼんやり口を開けたままでおるが

桃太が首を傾げると、はっと気付く。


「あの、私ね、吉井 風夏ふうかっていうの。

はじめまして」


桃太は頷き、小銭を “ももた” と動かした。


「ももた? 君の名前?」


また桃太が頷くと、娘····風夏は

「かわいいー!」と、笑った。


ふん。あのような者

かわいいことなどあるものか。


しかし、桃太は

一体どうする気であろうのう····


「あのね、私には、お姉ちゃんがいたんだけど

あっ、柚葉っていう名前なんだけどね

夏の初めに、その····」


殺されちゃって と、声が震える。

やはり。そのような話であるか。


「····パパもママも、私の前で無理して笑うの。

毎日、“部活はどうだった?”とか

“友達とは?”とか、一生懸命話そうとするんだよ。

お姉ちゃんには、手なんか合わせたりして。

私、もっと、お姉ちゃんの話 したいのに」


風夏は鼻をすすって、眼をこする。


「だってさ、パパと ママと

話せなかったら、誰と 話せば、いいの?」


桃太は杉の木の上の儂に眼を向け

丸い尾を振り、尾で言の葉を送る。


“柚葉は幽世か” と。


儂はコクリと頷く。


“柚葉を知っておるのだな?”


再び頷くが、知っておるも何ものう····


風夏が泣き止むのを待ち、桃太が短い前足で

紙の上の小銭を滑らせる。


“きつねも よぼう”


何じゃと?


「きつね?」


そう聞く風夏の前で、桃太は二本の後ろ足で座り

前足で合掌し、眼を閉じてみせる。


風夏もまだ鼻をすんすん鳴らし

手を合わせ、俯いて眼を閉じた。


むう···· 仕方あるまいのう····


音を立てず杉の木から降りると

木の裏で人化けをする。


緋の着物に金の帯。

狐とわかるよう、頭には狐耳を出し

二つ尾も出したままとした。


静々しずしずと近付き

「誰ぞ儂を呼んだか?」と、声を掛ける。


風夏が眼を開け、驚いて口も開ける。

ふむ、微かに怯えておるのう····


「桃太、お主であったか。

おや。娘がおるではないか。儂は榊と申す。

これは····ふむ。柚葉の妹君であるか」


柚葉、と聞いて

風夏の怯えが少しやわらいだ。


「お姉ちゃんを、知ってるの?」


「おお、知っておるとも。

柚葉と儂は懇意····大変に仲が良いのじゃ。

今は幽世にて、でざいなーになっておる」


「デザイナーに?!」と、風夏の眼が輝くが

「カクリヨって、どこ? あの世のこと?」と

首を傾げた。


そのしぐさの、柚葉と似ておることよ。


「あの世というのは様々でのう。

幽世とは、ここではない場所の一つなのじゃ。

冥府でも極楽でもないがのう」


風夏が桃太を見ると、桃太はコクリと頷く。


「そこは、どんなとこなの?」


儂は風夏の隣に腰掛けた。


「思い描けば、どの様にもなるが

春の日の晴れた草原くさはらでのう。

大きな河は、あまの星々が碧白に流れておる」


「星の河なの?」


「そうじゃ。その中のひとつが この星であるが

幽世もまた、その星々の内にある」


「じゃあ、そんなに遠くないんだ!」


近い、遠いという概念ではないが

儂は頷いた。それで良いのじゃ。

時に界と界は触れ合うこともある故。


「河のほとりには、大樹があり

その下に、月の神が みしんと大きな台を置いた。

柚葉のために。

今は毎日、せっせと衣類を作っておる」


「本当?!

お姉ちゃんは、デザイナーになるのが

夢だったんだよ!

だって、部屋に服のデザインのノートが

いっぱいあったもん!」


ノートとは、帳面のことじゃな。

風夏は嬉しそうに言うが

本人から聞いた訳ではない様じゃのう。

姉の部屋で過ごしておるのか。


「でも····」と、口ごもる。


「何じゃ?」


儂が聞くと、桃太も首を傾げる。


風夏は、あろうことか桃太を抱いて

自分の膝に乗せた。


「おお、やめるがよい!

そのような者を嫁入り前の娘が膝に乗せるとは!

ショートパンツなどを穿いておるというのに!」


儂が嘆き、桃太は風夏の膝の上に固まっておる。


「でも」と、再び風夏が言う。


「何じゃ?それを下ろして聞くが良い。

眼に愛らしく映ろうと

それは ただの古狸である」


だが娘は一層、桃太をぎゅっと抱く。

桃太は眼を白黒させておるが、儂も気が気ではない。


「今のお話、本当に本当····?」


ふむ···· 疑うのは無理もなかろうのう。


風夏の膝から桃太を掴んでポイと投げ

儂は再び、風夏の前に立った。


「見よ」


その場でくるりと回り、着物を洋装に変える。


「柚葉のノートとやらに

描かれていた服はあるかのう?」


くるりくるりと回る度に

柚葉が作った服を変える。


幾つか帳面に描かれていた服があったようで

風夏は「待って!」と立ち上がり

儂の後ろに回った。


「ラベルを見せて」


その、らべるとやらは

うなじの辺りに付いておるもののようじゃ。


儂が髪をまとめて上げると

風夏は服の襟元を折り返す。


「····お姉ちゃんだ」


そこには、夏葉という文字が印された

小さな布がある。


「ラベルのデザインにあった!

私、8月生まれでね、“夏葉かよ”と“風夏”で

名前を付けるのに迷ったって、パパが言ってた!」


ふむ。そうであったか。


「では、お前の名であろうよ。

柚葉はお前が可愛いのであろう」


振り返ると、風夏は顔を赤くし

ひーんと小さな声で泣く。


「私も···· 大好き なの に

おねえちゃんが、だいすき····」


桃太が地面でおろおろと

二本足で立ち上がる。


儂は風夏に両の腕を回した。


このように腕に抱かれるのは

なかなかに良いものじゃと、柚葉に習った故。


温もり不足だったのであろう。


背中をとん、とん、と緩く叩くと

風夏は次第に落ち着きを取り戻す。


腕を放すと、恥ずかしそうに

顔を ごしごしとぬぐった。


「良い。さて、何か飲み物でも買うかの。

泣くと喉が渇くであろう?

だが、この姿では目立つ故

風夏が買って来てくれんかのう?」


狐耳を指で引っ張り、二つ尾を揺らす。

少し離れた場所から木の葉を拾い

幾らかの小銭にして風夏に渡した。


「えっ····」


風夏は、儂が渡した小銭を握り

不安そうに儂と桃太を見る。


「ここで待っておる。

不安ならば、桃太と共に行くがよい。

儂は珈琲が良い。オーレにしようかの」


「カフェオレ?」


「ふむ、それよ」


先程座った場所に座ってみせると

風夏は桃太を連れて、神社を出た。


しかしのう····

桃太の御人好し加減にも困ったものじゃ。


こういったことには、長い時間が必要であろう。

解決策など何もないしのう。


ふむ····


「榊、榊!」


む?


声の方を見上げると、杉の木の上に銀狐。

浅黄じゃ。


首には、くるくると丸めた書状を

紐で括り付けておる。


「少し前から見ておった」と

浅黄は言うが、屋敷を離れて良いものか····


「慶空が屋敷におる。人里にて息抜きせよと

俺が書状を預かったのだ!」


泰河と朋樹に渡す書状か。

浅黄は、屋敷で見た顔とは打って変わって

明るい顔をしておる。


慶空とは、身の丈 七尺はあろうかという大男で

武では浅黄と一、二を争う程の者であり

普段は里にて、他の者の武の稽古を付けておる。


「俺は、榊が

娘との話が終わるまで ここにおる。

その後、泰河の元へ行こう」


ふむ、と頷いた時

「本当にいた!」と、風夏と桃太が戻って来た。


「はい、カフェオレ!

ねえねえ、お姉ちゃんの話

もっと聞かせて!」


風夏は儂の隣に座り、桃太の炭酸の缶を開け

桃太の両前足に缶を挟ませて持たせた。


桃太は、炭酸は初めて飲むようで

一口で眼を白黒させておる。ふっ。


「そうじゃのう。普段、柚葉は

この国の夜を統べる神と過ごしておるが····」


辺りが夕暮れに染まるまで、風夏と話し

“また明日ここで” と約束をし

風夏は帰って行った。

何度も神社を、儂と桃太を振り返りながら。

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