17 琉加


「シヅキって?」


「あたしの亭主よ。ヒトが来たなんて知ったら、騒がしくなるわ」


さっき朱緒は “自分たちしか知らない道” と言ってたけど、獣道でもない森の中を歩く。

でも、いつの間にか崖を迂回して山村の跡に着いた。


村というか、集落だな。

周囲をすっぽりと森に覆われている。


丈の長い草が茂る中に点在する家の跡。

家々には屋根がなく、壁もほとんど崩れ落ちたり、全然なかったり。


「向こうの方が」と、朱緒が来た方の森とは逆の方にある森を指差す。

「あたしたちが棲んでる森よ。

戦後に封鎖された旧道の近くね。

ルチはいつもは、そっち側から遊びに来るのよ」


最近 琉地は、ここに遊びに行ってたのか。

チキンやボールの謎は解けた。


集落跡の奥の方に、野犬達が網や鍋を運びこんでいる。

大木で日陰になった場所に穴を掘って石を組んだ竈があった。


「おなか空いてる?」


聞かれてから空いていることに気づく。


「スープを作るわ。

この奥に、地下水が涌き出てるところがあるの」


鍋を持った朱緒にまた着いていくと、崖の側面から小さな滝みたいに水か涌き出ている場所に着いた。

手にためて飲んでみると、冷たくてうまい。

開けていたペットボトルの水を飲み干し、この地下水を溜めて蓋をする。


鍋にも水を汲んで大木の下に戻ると

まだ小学生くらいの男の子が、魚を入れた網を持って来た。


「息子の一人よ」


網を持っていない方の腕には、琉地が持っていったボールを抱えている。

縄が巻いてあるボールは、もうボロボロだった。

その子は朱緒と同じ碧い眼で物珍しそうにオレとジェイドを見る。


「こんにちは」


ジェイドが挨拶したが、朱緒に網を渡すと走っていってしまった。


「ごめんなさいね。恥ずかしいみたいだわ」


ふうん。今度はサッカーボールとかを琉地に持たせるかな。


竈には木の葉や枝が用意されていたので、朱緒がライターで火を点ける。

水がはいった鍋を竈に置き、他の野犬が運んできた袋から塩や粉末の出汁の素を取り出した。


「ライターとかさ、そういう調味料とかって どうしてんの?」


「時々、隣の山から拝借するのよ。

キャンプ場の人は、みんなガードが甘いの」


小魚と山菜でスープを作りながら、朱緒が

「それで、この村跡に用って

あれのことかしら?」と聞くけど

オレとジェイドは眼を合わせ、逆に

「あれって?」と聞いた。


「向こうの家の跡に出るようになった人の霊のことよ。ただ立っているだけなんだけどね」


「出るようになったって、いつから?」


「気づいたのは、二週間くらい前ね。

また話しかけてもみたけど、いつも

あたし達には気づかないの」


「近くに十字架は出る?」


「十字架? 出ないわ。

いつもその男の霊だけ」


男は髷に袴。虚ろな顔をして一人で立っているらしい。

でも、十字架は出ないのか...


「あの霊は前にも何度か出たことがあってね。

その時も、こうしてヒトが来たのよ。

最近は30年くらい前だったけどね」


たぶん、ここに来たのは前神父だろう。


スープがぐつぐつといい匂いをさせ始めた。

朱緒が仕上げに塩をふり、袋から使い捨ての紙の深皿を取り出してスープを取り分けてくれる。


それから鍋を竈の隣に置き、網を敷いて

川魚を焼き出した。


「スープを食べながら待ちましょ」


朱緒に礼を言ってスープの深皿を口に運ぶ。

うま... なんかしみじみ、空腹の胃に沁みるうまさだ。


「それで、前に来た人は霊に何かしてた?」


ジェイドが聞く。


「何かって、霊を送るってこと?」


「そう。または場所を清めていたとか... 」


朱緒は「あたしにはよくわからないけど」と

網の魚をひっくり返し

「何か話をしているようだったわ。

だけど、一定の期間を置いて何度も出るんだから、送られてはいないんじゃないかしら?」と

魚に塩を振った。


そうなんだよな。

繰り返す、っていうのは、何なんだろう?


河原の時、霊達は祈りによって

確かに送られたように見えた。

それが天なのかどこなのかはわからないけど

ここではない、いわゆる死者かいくべき場所に。

そうすると、あんな風に出てくることは

もうないはず。


でも、ここには

前に出た霊と同じ霊が出るっていう。

十字架は出ないけど...


前神父のノートには、“歴史の記憶”って言葉が書かれてた。

それが、河原や ここに霊が出るという現象のことだとしても、記憶という言葉に何か引っ掛かる。


十字架には霊を繋ぐ枷がついていた。

出現した十字架に霊が引っ張られて出てきたとしたら、十字架が “記憶” なのかな?

場の記憶なのか、出来事の記憶なのか


でもそれなら、ここに出る霊は

霊自体が記憶ってことになっちまうしなぁ...

ここには十字架出ないっていうし。


「焼けたよ。ほら」


空になったスープの皿に、朱緒が網の魚を配る。手掴みで。


「熱くないのか?」


「ヒトより多少丈夫なの。熱さとか冷たさとかにもね」


焼きたての魚の頭と尾を持って身を齧る。

魚って、こうやってシンプルに食うのが一番うまいのかもしれない。


「普段、あたし達はあんまり火を使ったりしないけどね。基本的には生食だし。

でもヒトはあんまり、生のまま食べたりしないでしょ?」


「そうだな。サラダとか刺身くらいかも」


「ヒトの生肉はあんまり美味しくないわ。

雑食性だものね」


あ。


うっすらと日が沈み出して、朱緒の顔に影が落ちる。竈の向こうで口角を上げた。


「ずいぶん昔にそうだったんだから、今はもっと不味いでしょうね」


ジェイドの眼の色が変わる。


なんか、こうやって飯作ってもらって

一緒に食ってるとさ

勝手に仲間意識っていうか、親睦を深めたって気がしてたけど、朱緒はオレらとは違う。狼だ。


「冗談よ。あんた達を食べやしないわ」


オレの顔もちょっと強張っていたらしい。


「十字架で思い出したの。もう200年か300年くらい前ね。

たくさんのヒトが死んだわ。遺体も埋葬されないものが多かった。見せしめなのね。

あたし達は死肉を食べたわ。そうして弔うの」


朱緒の背後。山の向こうがオレンジに色づき出した。太陽はいつも同じ色なのにな。


太陽が真上にあるときは、大気の層があっても青い光が届く。

夕方、斜めから光が差すと、光は昼間より

大気の層を長く通過することになる。

すると青い色は届かなくなって、遠くまで届く赤い色の光で夕日はオレンジになる。


知っていても、夕日はただきれいだ。


「ここはね、元々はヒトが暮らしてたわけじゃなかったわ。集まってきたのよ。

ひっそりと彼らが大切なものを守るためにね。

あんた達が出てきた穴を掘っていたのも、ここに集まったヒト達だったわ」


もう空気までがオレンジ色に染まる。


「彼らは十字架を立てずに祈ってたわ。

ただ静かに暮らしてたのよ。だけど、長くは続かなかった。役人達が嗅ぎ付けて来たから。

十字架を立てたのは役人達。磔のためにね。

ほら、あの家でヒトを選別したの」


朱緒がオレらの背後を指差す。


ほとんどが崩れ落ち、かつては壁だったその残骸の向こうに、髷に袴の霊が立っていた。

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