クリスマス キャロル 10


「ほう。それで、ノコノコと帰って来たと」


「帰るのか、とは 聞いた」


実家の居間では、泰河が こたつで寝ていた。

二階の自室へ行こうと、廊下を歩いていると

客間から 榊が顔を出して、手招きをした。


無視しようと思って通り過ぎたが

気づくと客間に入っていた。

榊に 簡単に幻惑されたようだが、どうでもよかった。


テーブルの向こうに正座する榊に 尋問を受けている。寝転がって、組んだ腕に頭を乗せて

天井の木目を見ながら。


話すつもりもなかったことも、すらすら話して

頭には 靄が かかっているのがわかる。


「帰るな。と、申すところであったのじゃ!

不甲斐ないのう... まったく意気地のない」


榊は 頬杖をついて、大袈裟な ため息もつく。


「好いた女子おなごに、好いておる と言われておったのに、そのまま放置しておったとは...

愚かにも程があろうよ。

今まで どのような気持ちで、お前が会いに来るのを待っておったか... 」


「榊。おまえさ、父さんと 将棋 指したのか?」


「父上殿とは 接戦であった。

だが儂は普段、玄翁の相手をしておる。

朋樹。儂の幻惑に、すっかりとは嵌まらんようじゃな。さすがではある。

しかし儂は、この話を やめるつもりはない。

腹立たしいのじゃ。眼を覚ますがよい」


榊は、正座をしたまま くるりと向こうをむいた。

前傾し 床に両手を着くと、ずりずりと壁まで進み

四つん這いで壁を登り、天井も這うと

テーブルの上に ドン! と降りた。


「気持ち悪... 何だよ 榊」


なんなんだ?

こういうやつに慣れていても、知ってるヤツが

突然こうなると 一瞬 ゾッとする。


「黙られよ!!」


えっ その上 怒るのかよ?


「朋樹! 気持ち悪いのは お前じゃ!

女々しいのう... いつまでもハッキリせぬ奴め。

お前の気持ちなど 最早 どうでも良い!

儂は、女子おなごのことを思うておる。

さっさと嫌われて参れ! 棄てられよ!

今さっきの儂のように、みっともなく這って行き、落ちるがよい!」


「いや、もう... 」


「そのまま異国へ帰す と 申すか?

今日にしても、お前を好いておらなんだら

女子おなごは ここに来ておらぬ。

お前に会いとうて来たのじゃ。

お前は 一つも 自分の気持ちを明かしておらぬ。

一夜限りに弄んだのは お前の方じゃ!」


榊はテーブルの上に横座りになり

「どうじゃ、朋樹。異国の女の具合は?

さぞ良かったのであろうのう。

はて、それならば 二度 三度と 騙して弄ぶはず。

さては相手に退屈させたか?」と

高らかに笑い、突然 オレをキッと睨む。


「... 次は なんだよ?」


「儂はのう、心を踏みにじるような奴は好かん。あの女子おなご... ヒスイといったか?

まだ お前を好いておる。

お前に それを気にさせぬように と

気を使う様子の いじらしさよ」


「けどオレ、悪い態度は取ってないぜ。

好意があるとわかる態度を... 」


「どっちつかずの態度じゃ!

まっったく、タチが悪い!

ヒスイからすればどうじゃ? 考えてみよ!

何故 曖昧な態度だけ取って、はっきり伝えぬ?

お前の気持ちの都合であろう?

相手は お前に伝えたというのに、何の返答もせなんだ。

あのように、まだ気のあるような態度だけ取られるくらいなら、要らぬ と 言われた方がマシじゃ。

生殺しにしよって!

けじめをつけろと、儂は言うておるのじゃ!」


怒り心頭のまま テーブルに座る榊の前に

オレは いつの間にか、胡座をかいて座っていた。


「もう遅いだろ」


ぼそっと呟いた言葉が 余計に榊の逆鱗に触れてしまい、榊は長い髪を ざわざわと逆立て始めた。


やばい。

これはなんか、まずい感じだ。


榊の眼に緋色が差し、鈍く光る。


思わず 両手を背後について逃げの姿勢になると

榊は「朋 樹ぃ... 」と 呼びながら

ガラガラと喉から音を立てて唸った。


「儂と 寝るか?」


眼を見てはいけない。

わかっているのに、榊の眼を見つめてしまう。


榊は 狐だ。

もし寝れば、精を吸い尽くされる。

狐は、男の精で宝珠を磨く。


「お前に 精など必要あろうか?

二度と女子おなごを抱けぬよう、生きた屍としてくれようぞ... 」


榊の恐ろしい言葉とは裏腹に

かぐわしい芳香が漂い始め、耳に心地良い旋律が どこからか聞こえ出した。


テーブルの上から 榊が手を伸ばす。

頭だけでなく、眼の前にも霞が掛かり始める。


必死に抗おうとするが、右手が畳を離れ

徐々に前へ上がって行く。


襖が開いた。


「おまえら 何やって...  ぐわぁっ!! 痛ぇ!!」


泰河が 榊の気に当てられ、後ろに転がるが

オレの幻惑も解けた。


あっぶねぇ...

もう少しで 榊の手を握るとこだった。


「泰河よ...  邪魔だてするのであれば... 」


「えっ? なんだ? 何か やばくねぇか?」


「逃げるぞ 泰河! 手に負えん!」


廊下を走る オレらの後ろから

「待ぁたぁぬぅかぁー!!」という

榊の怒号が追いかけてくる。


「榊! また落ち着いたら話そうぜ!」


オレと泰河は 駐車場まで駆け

「とりあえず沙耶ちゃんとこで!」と

それぞれの車に飛び乗って 車を出した。




********




「おまえさぁ、どうしたら 榊が ああなるんだよ? 何したんだ?」


沙耶ちゃんの店に 一応、榊避けの結界を張り

カウンターに沈んで コーヒーを受け取る。


「何もしなかったから、ああなったんだよ」


コーヒーを 一口飲むと、ようやく肩からも力が抜ける。


「ええ。そのようね」


カウンターの中で 細い腕を組んだ沙耶ちゃんが

ニコニコとしたまま

「彼女、一度 ここにも来たわ。

ジェイドくんや ルカくんと 一緒にね」と

榊のような眼の色を見せた。


やばい。ここも やばい...


だが沙耶ちゃんは、瞼を臥せ

「まぁ、個人的なことを どうこう言う気はないわ」と、ため息をつく。

これ以上 責められることはなさそうだ。


「あのね、朋樹くん。これなんだけど... 」


沙耶ちゃんは、カウンター内に置いた椅子を指差した。

椅子の上には、額を入れるような平たい箱が置かれている。


沙耶ちゃんが 箱の蓋をずらすと、中には純金の

受胎告知の板が収まっていた。


「ん? まだあの子達は 来てないの?」


「いいえ、少し前に来たわ。

その時に売家の資料と 一緒に渡したのよ。

驚いて泣いてたわ。

だけど、“受け取れない” っていうの」


「あぁ... 確かにさ、物が でかすぎるよな。

簡単に “ありがとう” って訳には いかんだろうし、

換金するのも難しいだろ」

泰河が 寝癖をつけた頭を掻きながら言う。


「でも、何も解決してないんだろ?

ヒロヤのバイトは見つかったのか?」


「あ、それ。一つはな。

ジェイドが教会で、子供たちに勉強を教えてもらうってさ。個人的に雇うんだと。

その板、まだ いっぱいあるらしいし」


なるほどな。ただ貰うんじゃなく、何かの対価なら受け取りやすい。

オレは 一度出した物を 引き取る気はない。


「じゃあ、オレも雇うわ。

ヒロヤって民俗学やってんだろ?

沙耶ちゃん、ヒロヤに “一生分の前払いだ” って

言っておいて。

先に、家 買って 落ち着いて

家族とも和解するように伝えてくれ。

子供のためにもさ。その後、コキ使うから」


「おっ、いいなぁ。

この辺りの道祖神とかも、何だか はっきりしないヤツいるしな。役立ってもらおうぜ」


沙耶ちゃんが

「だけど、本当に換金は難しそうよね」と

心配気に言うと、泰河が

「オレの知り合いで、その場で物を現金にしてくれるヤツいるから、そこに連れてくわ」と

軽く答える。

こいつ、そういう知り合い多いんだよな。


「ヒロヤくん達が来たら、もう 一度 今の話しをしてみるわ。

でも 朋樹くん、ヒロヤくんが “民俗学もやってる” って、どうして知ってるの?

そんなこと話したかしら?」


「あれ? 民俗学もやってるけど、教師を目指してるんじゃなかったっけ?」


「そう、そうよ。そうなんだけど... 」


そういえば、いつ聞いたっけ?


しばらく考えてみたが、わからなかった。

ここで聞いた気はするが。


最近 ずっとなんだよな。何かの幻惑も疑うほど、記憶が はっきりしない。

だが周囲には 何かの気配もない。

オレだけでなく、実家の父や母も何の反応もしなかったのだから、何かがいる訳ではないのは確かだ。


考えているうちに 眠気が差してきた。

昨日の朝から寝てないしな。


「そのブロンドの女は何だ?」


「ボティス!」


背後からの声と 泰河の声で目が覚めた。

つい寝るところだった。


振り向くと ボティスがいた。

黒い大蛇の魔神だが、今は 人型でいる。


ライトブラウンのベリーショートヘア。

耳に いくつものピアスをし、つり上がった赤い眼をしている。

二本の角。顎まで届くような長い牙。

今日は スーツの上に 黒いコートを着ていた。


「おまえ、一応ちゃんと ドアから入れよ。

沙耶ちゃんが びっくりすんだろ。

いきなり湧くなよな」


泰河が言うと、ボティスは カウンターの中の沙耶ちゃんに 軽く右手を上げ

「邪魔する。コーヒーを」と

オレの隣に座った。


泰河が「沙耶ちゃん、ごめんな」と

ボティスを 簡単に紹介している。


ボティスは オレにまた

「そのブロンドの女は何だ?」と聞いた。


「祓魔師の妹だよ」


読むなよ。


オレが考えると、ボティスは笑った。


「ほう、結界とやらか。朋樹といったな?

おまえは、泰河やルカとは違うようだな」


「まぁな。読ませるかよ、これ以上」


「ふん、コーヒーゼリーまでだ」


だいぶ読んでやがった。


「で、ただコーヒー飲みに来た訳じゃねぇんだろ? 何かあったのか?」


泰河が聞くと、ボティスは

沙耶ちゃんから コーヒーを受け取りながら

「本を探している」と言った。


「ハーゲンティの本だ。

ブロンドに返却した本の中に紛れているかもしれん、と 言っていた」


「なんで ハーゲンティが来ないんだよ?」


「この時期は、地界の城に客がある。

だが、俺は 教会には行かん。

ルカは 実家に入り浸りだ。

ルカの家族の前に出せる姿でもない」と

耳の上から伸びる 自分の角を指差した。


「どんな本なんだ?」と、聞くと

「クリスマス・キャロルの初版だ」と言う。


... あれだ。

やっぱり幻覚じゃなかった。


「初版っていうのはすごいけど、普通のお話の本なのね」と、沙耶ちゃんが意外そうに言った。


「ハーゲンティは、作者と契約をした。

作者の名誉のために言えば、どの作も 契約前に書かれたものだが。

さらにだ。契約はしたが、死後も 魂は取っていない。話をするのが面白いらしい」


ボティスは コーヒーを 一口飲んで、味に頷くと、

先を話し始めた。


「何ということはない。

ハーゲンティが その本を所持していないことを、客の作者が知って 怒ったのだ。

だが、地界の書庫を探しても出て来ない。

ならば地上だろう。

あの本には特別な術が かかっているらしい」


「どんな術だ?」


オレが聞くと、ボティスは赤い眼を オレに流し

意味深に笑った。


「本の通りだ。クリスマスの楽しみ方を知る。

ただ、身を持って知る という羽目になる」

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