クリスマス キャロル 11


なんで、こうなるんだ...


オレは 教会に向かっていた。

クリスマス・キャロルの 本を取りに。


ボティスは 沙耶ちゃんの店で待つ と言う。


泰河は

「沙耶ちゃんを、ボティスと 二人には出来ん」と

店に残り

沙耶ちゃんは ボティスの角に眼をやり、諦めて

“準備中” の札を 店のドアに掛けた。


「お前が行け」


ボティスは オレに言って、額を指で弾いた。

「泰河が行っても 本は見つからん」と。


教会近くの駐車場に車を停め、ため息をつく。

もし ヒスイがいたら、どんな顔をすべきだろう。


クリスマスの夜 眠る前

あの言葉は、なんていうか

本気で言ったものだ とは 思っていなかった。


オレは 何も言わなかった。

ヒスイは、綺麗すぎた。


朝の帰り際のキスは、別れのものだったんだ


シェモッタ と、ヒスイは言った。

調べた意味は “おばかさん” だが

恋人に言うような 優しい言葉だった。

きっと、ヒスイの小さなプライドだったのだろう。


もう 一度 ため息をつき、車を降りる。


今更ながらに 後悔が押し寄せる。

何してたんだ、オレは。


いや、これで良かったのかもしれない。

ヒスイは、休暇が終われば イタリアに帰る。


だが、だからこそ

榊は けじめをつけろ と言った。



教会の外門から石畳を歩き、扉の前に立つ。

長い 一日だったが、辺りには もう夜が降りた。


教会の中は、真っ暗だった。


正月だもんな。

でも、外門や扉に鍵は掛けないのか?

ずいぶん無用心だ。

祈りたい人が、いつでも祈れるように という

配慮なのだろうか?


ジェイドの家に回ろうか と思ったのに

教会に足を踏み入れた。


ステンドグラスの部分には、まだ シートが張られ

暗闇なので 扉は開けたまま。

背後からの 扉の外の薄明かりで

吐く息が 白く見える。


クリスマスには、左側に 大きなツリーが据えられていて、明るく 温かな空気に満たされていた。

賑やかで、誰もが笑顔で。

今は、床を軋ませるオレの足音だけが

微かに響く。


長椅子の通路を まっすぐに進む。

中頃程まで歩いた時

額に、パン と 強い衝撃を感じ、深い闇に落ちた。




********




「雨宮くん」


教会の長椅子に座っている。

右側の列の中程に。


通路を挟んで、明るい色の長い髪の女が座っている。同じ歳くらいだろうか?

ざっくりとした白いニットに ジーンズ。

コーラルピンクのグロス、ブラウンのアイメイク。口元のほくろ。


「川島?」


「そうよ、久しぶりね。

中学校を卒業して以来よね」


「そうだな、高校が遠くだったんだよな。

女子高に行ったんだっけ?」


「そうなの。そのまま附属の短大に行って

あっちで就職したんだけど、最近戻って来たのよ」


川島は、通路の向こうから

左手を広げて、指輪を見せた。


「そうか、おめでとう。

どおりで綺麗になった訳だ」


「ふふ。ありがとう。

雨宮くんは まだなの?」


「まだまだだよ、相手も いなければ

職にも問題アリだ。一般的にはな。

オレも泰河も 相変わらずって感じでさ... 」


川島と話すのは、あのバレンタインの日以来だ。

あれから 眼も合わせたことはなかった。


簡単に、自然に話せるものなんだな。

時間が経ってしまえば。

こうやって笑い合って話せることなど、もう絶対にないと思ってた。


「あーあ。私ね、雨宮くんが好きだったのよ。

今だから 言うんだけどね」


頬杖をついた川島が ニコっと笑って言う。

明るい笑顔は 昔のままだった。


「オレも、川島が好きだったよ。

実際は高校に上がってもね。初恋だった」


「嘘! だって、2組の子と付き合ってたじゃない。私、毎晩泣いてたのよ」


「バカだったんだよ。ごめんな、本当にさ。

川島にも、彼女にも失礼だったよな」


「いいわ。昔のことだしね。

今、あの時の涙も報われたわ」


川島は また笑った。この笑顔が好きだった。


「さあ、そろそろ帰らなくちゃ。

雨宮くん、あなた昔より素敵になったわ。

会えてよかった」


川島が長椅子を立つ。


教会の扉まで通路を歩いて行く背中に

「しあわせにな」と、声を投げると

「あなたもね」と、あの笑顔で言った。


一人になった教会を見渡す。

教会の灯りに照らされるステンドグラスの

天使ガブリエル。

聖子を抱く聖母マリア、キリストと使徒達。


いや、確かステンドグラスは まだ...


「やあ、それだ。その本だよ」


声がした方、磔のキリスト像の方に眼を向けると

白髪の混じりの口髭と顎髭を生やした男がいた。


古風だが 品のよい黒いベルベットのスーツ。

はっきりとした目鼻立ちや白い肌、外国の紳士といった感じだ。


男は、オレの手元を指差している。

手の中にはクリスマス・キャロルがあった。


「ハーゲンティ。

クリスマスから 約束の一週間だ。

もし本が見つからなければ、もう君とは 口を利かないところだったよ」


オレの隣には、ハーゲンティがいた。

漆黒の黒髪に深紅の肌。タイトな黒いスーツを着た魔神だ。


「チャールズ。言ったであろう

本は無くしたわけではない と。

これは、君の 傑作の 一つだ」


ハーゲンティが、オレに紅い手のひらを向ける。


本を その手に置くと、チャールズと呼ばれた紳士が こちらに近づいて来ながら

「だが、本は君が見つけたのではない。

この若い青年が見つけたのだ」と

ハーゲンティの手から本を取った。


紳士は オレの前に立ち、澄んだ眼で

じっと オレの眼を見つめる。

一度 深く頷くと、静かに口を開いた。


「うむ、君はクリスマスを楽しめるようになったようだね。喜ばしいことだ。

クリスマスというものは、自分ではない誰かを思い、誰かに手を差し伸べ、皆が 隣の人と笑顔で過ごすものなのだよ」


紳士は また頷いた。


「この本は、君にあげよう。

君が、いつか誰かに渡すといい。

この本を必要とする誰かにね」


差し出された本を 手に取ると、ハーゲンティが

咳払いをする。


「チャールズ、その本は気に入っていたのだが... 」


「ハーゲンティ。君には新作を話して聞かせよう。クリスマスブックの新しいものだ」


... 違う。あれは気まぐれだったんだ、本当に。

オレは心苦しくなり、口を挟んだ。


「オレは何も... その...

自分勝手なばかりで、他人には冷淡で。

この本を初めて読んだのは、高校の時だった。

その時、オレは “よくあるような話” だと... 」


紳士は笑った。


「いいんだよ、それで。

世には 元々、このような類の話はあるのだろう。若い君が よくある話だと思ったのならば、

それは 更に増えたということであり

私にとっても 世にとっても 喜ばしいことだ。

そして、君は それを実践したんだ。

もしそれが気まぐれでも、一度きりであっても

自己を見つめ直し、他人に手を差し伸べた。

それこそが肝要なことなのだよ」


だけど オレは頷けなかった。

まだ本を手にする資格がない気がしていた。

人は 簡単に変わらない。


「君が自分に納得出来ない間は、君が持っているといい。

少し遅いクリスマスプレゼントだと思って、

どうか受け取ってほしい。

大切なのは、君が君を諦めないことだ」


紳士の まっすぐな眼。

時々だけ、こうして胸が詰まることがある。


「朋樹」


ハーゲンティが ため息をつく。


「大切にしろ。その本はチャールズの想いを込めたものなのだ。

だが、本が お前を選んだのではなく

お前が選んで手にしたのだ。

地上に持ってくるべきではなかったがな」


「何を言う。本は役割を果たした。

世にこそ必要だったのだ」


「口を利かぬのではなかったのか?」


「それは君が、ただ無くしたのなら ということだ。細かいことはいい。

さあ、城に戻って ワインと新しい話だ」


紳士は オレの肩を軽く叩き、教会の扉へ向かう。

ハーゲンティは、その背中を見て また ため息をつき、オレに眼を向けた。


「ボティスだな。額を弾かれただろう?

弾丸を食らったような衝撃があったはずだ」


... あれだ。教会の通路を歩いている時だ。


そうだ。

教会には灯りがなくて、無人だったはずだ。


ハーゲンティは「瞼を閉じろ」と言う。

言われた通りにすると、瞼に指が置かれた。


「あれは、余計な世話を焼くところがある。

退屈ではあったのだろうが...

ここは 厳密に言えば、狭間なのだ。

多少の時の誤差は生じるが、戻してやる」


遠くで「ハーゲンティ、行くぞ」と、あの紳士の声がする。


「ボティスに、本はあった と 伝えてくれ」


ハーゲンティの指が瞼から離れると、意識が薄れ

また闇に落ちた。

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