17


昼食を取りながら、榊が玄翁に さっきの蓬の報告をする。

食事が済むと玄翁は浅黄と 一緒に、蓬が身を寄せた里の家へ出掛けた。

傷を負った狐などが 休む家があるらしい。


オレらはまた「心配するな」と言う榊に連れられ、昼からは 反物を織る狐たちや

轆轤を回して陶器を焼く狐たちを見学したり

仔狐たちと遊んで過ごした。


まだ大人ほど長くない鼻に、黒く丸い眼をした仔狐たちは、猫のように 草にじゃれ

マリのようなボールを転がすと、尾を立てて 一斉に追いかけて行く。

その転げるように走る姿は、なんともかわいらしかった。


「半数の仔狐には親がおらぬ。この山だけでなく、他の山からも連れて来たのじゃ」


榊が、互いにじゃれ合いながら転げて遊ぶ仔狐たちに 眼をやりながら言う。


「里は 我等 狐の家なのじゃ。

子等は儂らに、慈しむ心を与えてくれる。

そのなんと尊きことよ」


オレはまた、身を捩って泣く

白い四つ眼の獣女を思い出していた。



********



「本当に なんでもあるんだな... 」


夕食の後、風呂に浸かりながら

朋樹が感心して言う。

今日の風呂は、にごり湯だ。


玄翁と狐たちが造り上げたこの和やかな里に

オレも感心していた。

衣食住だけでなく、教育の場まである。

草原くさはらに転げ回っていた 里の仔狐たちは、きっと榊や浅黄のように育つのだろう。


頭上に ふわふわと浮かんだ狐火に

湯面から湯気が上がる。


... そうだ。


オレは風呂から上がると、浴衣のまま 一度里を出て、展望台の駐車場に停めた車のトランクから

中に入れていたものを里に持って戻った。


夜から朝へ、朝から夜への移動にも

少し慣れた気がする。


「おっ、花火か。

そういや、キャンプの時しなかったな」


同じく浴衣の朋樹が、冷酒のグラスを片手に

オレが持ってきたビニール袋を見て言った。

キャンプ場の仕事の時に、買ってはいたが

し忘れていて、そのままトランクに入れっぱなしだった。


「花火とは!

空に轟音を立てて拡がるあれか?」


湯から上がったばかりの榊が、グラスから酒をこぼしかけたが


「いや、これは手に持つんだよ。

本当は夏にやるんだけど... 」


手持ち花火の説明をすると

榊は、どこからか バケツを持ち出し

「裏の川へ行くぞ」と、またバタバタと廊下に出た。


玄翁と浅黄も誘ったが、火が苦手らしい。


「泰河! 朋樹!」


玄関先で榊が呼ぶ声に「今行くって!」と答え、廊下へ出た。


屋敷を回り、裏の川に着くと

川からバケツに水を注ぎ、ゆるい灯りの狐火と蛍の下に、榊と朋樹と並んで座る。


火種に小さな蝋燭を立てようとしたが

榊が唇を薄く開け、短く吹くと

小さい炎が宙に浮かんだ。


「玄翁も浅黄も火が苦手なのに、榊は平気なんだな」と、朋樹が言うと

「人にも それぞれ苦手なものがあろう?」と

榊は花火を選びながら言う。


オレが手本に、榊が選んだのと同じ花火に火を点けて見せると

榊は切れ長の眼に花火を映し、パッと顔を明るくした。


自分の花火にも火を点け

じっとカラフルな火花を見つめている。


白地に淡いピンクの花模様の浴衣を着た榊は

長い髪を結い上げており

いつもより柔らかい感じに見えた。


花火が燃え尽きると「むっ、早いのう... 」と

燃えかすを見つめて 口を尖らせたが

「それが良いのじゃな?」と、オレを見て

また新しい花火を手に取った。


ガキの頃やったように、朋樹と花火で空中に円を描いて残像を見たり

バケツの中の水に火を弾けさせたりする。


榊は、オレと朋樹の間で

その他愛ない ひとつひとつのことに

子供のような笑顔を見せた。


地面に置くタイプの花火も いくつか入っていた。

噴水の水のような火花を 三人で見た。


「もう、これだけかぁ」


残ったのは、そう。小さくて渋い線香花火だ。


「ずいぶんと細いのう。

はて、火薬の匂いはするが... 」


朋樹が 細く薄い紙の部分をつまんで火を点ける。

勢いよく燃えた火は、すぐに

5ミリほどの玉に小さくまとまり

ぱち ぱち、と放電するような火花を出した。


「なんと可愛らしいのじゃ!」


榊は わくわくした顔で

空中の小さな炎から 線香花火に火を点ける。


火の玉が ぱちぱちと鳴り出すと

「見よ、泰河!」と はしゃいで

またオレに子供のような顔を向けた。


榊の向こう側で 朋樹が笑っている。

たぶん、オレも同じような顔をしているだろう。


「... のう、海というものを

見たことがあるか?」


ぽた っと、突然終わった線香花火を、名残惜しそうに見ながら、榊が言う。


「ああ、そりゃあな」


新しい線香花火を渡しながら頷くと

「儂はないのじゃ」と

空中に浮かぶ小さな炎から、指につまんだ線香花火に火を点けた。もう最後の 一本だ。


「夏に行こうぜ」


オレが言うと、朋樹も

「釣りが出来るとこもあるぜ

海でキャンプもいいよな」と 添えた。


「本当か!?」


榊は、オレと朋樹を 代わるがわる見て

切れ長の眼を大きくして輝かせている。


「おう、行こうぜ」

「アジ食い放題だ」


榊は「約束じゃ!」と笑い

ぱちぱちと弾ける花火にまで 微笑んだ。



********



その夜、オレは夢を見た。


さっきの花火とは違う火薬の匂い。

辺りは 昼間の森の中だ。


風景は どことなく今のものと違う。


ギャアッ という獣の叫びが

近くの小屋から聞こえた。

粗末な木の小屋で、猟師が狐の皮を剥いでいる。


後ろ脚を撃たれたらしい狐は まだ小さく

時々ぴくりと鼻先を動かした。


まだ生きてるんじゃないか... ?


やめろよ

そいつを放してやってくれ


もう助かりはしないことはわかる。

だけど、こんな風に息を引き取らせるのは嫌だった。恐怖と耐えがたい痛みの中で。


オレは身体を動かすことも、声すら出すことも出来なかった。関与出来ない夢のようだ。

この場に存在しない者として 存在していた。

ただ目の前の光景を見ていることしか出来なかった。


毛皮を剥いだ猟師は、小屋の隅に道具をしまうと

片手に毛皮を持ち、片手に生皮を剥がれた狐を掴む。


小屋から出ると、茂みに狐を棄てた。


猟師は森の道を下って行く。


茂みの草むらが動いた。狐だ。


二つ尾だが、榊じゃない。

赤い眼をした雌狐だ。


狐は、生皮を剥がれた狐を見つめる。

触れる訳にも舐めてやる訳にもいかず

横たわる狐の鼻に自分の鼻をつけた。


やがて、横たわる狐が動かなくなった。


その身から白いビー玉くらいの小さな珠が出て

宙を昇りながら霧散した。


二つ尾の狐は 一瞬の間の後、天に届くような咆哮を上げた。


横たわる狐に身体ごとで覆い被さった。

狐は涙を流していた。


二つ尾の狐は、人の姿を取ると

胸に赤い肉塊となった狐を抱く。


... 許すものか


頭に直接 その言葉が届いた時に、目が覚めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る