16


「さて、白蘭の元には 使者を送ったが

しばし ゆうるりと過ごされよ」


朝食の席で玄翁が言った。


「あ、それならオレ、里をよく見て周りたいな」

朋樹の意見に オレも同意する。


「おお、それはよい! 儂が案内しようぞ」


榊が席を立つ。

今日は黄色の地に 赤い紅葉の着物を着ている。


「これ、榊

まだ食後の茶などが... 」


玄翁が嗜めるが、榊は オレらを

「行くぞ、早よう立て」と急かした。


せっかちなんだよな、榊は...


だが 廊下に出る榊に続いて、オレと朋樹も立ち上がった。


朝の明るい日射しの下、里の水田はその日光を反射してきらきら光る。

畦道の左側には、穂が垂れるほど実った黄金の稲穂に 同じ日差しが当たっている。


「見てのとおり、米を作っておるのじゃ。

水田には春の日の光を、稲穂には秋の日の光を当てておる」


「すごいな、日光の調節が出来るのか?」


「玄翁がの。それぞれの季節の日の光の具合を記憶して、それを天に留めておるのだ」


それで ここには、いろんな季節の花や果樹も実っているのか...


同じ原理で、畑にも様々な季節の野菜が植えられている。

オクラ、白菜、キャベツ、ニンジン、大根...


田畑の世話をする狐たちは、榊を見かけると

なんと「榊様!」と声をかけてきた。


「良質の大豆がとれました」

「良い揚げが作れそうです」


榊は、畑から近づいて来た狐たちに

うんうんと頷く。


「それは良い。そなた等の日々の努力が実ったのじゃ。儂も玄翁も、もちろん浅黄も

揚げを食すのを楽しみにしておるぞ」


狐たちは「浅黄」という名前が榊から出ると

ほんのり色めき立った。どうやら雌狐らしい。


「榊様、そちらの方々は?」


「ふむ。四の山のこともあり

皆に紹介しておらなんだが、これは人である。

玄翁の客なのじゃ」


雌狐たちは「そのような噂は聞いておりましたが... 」と、ちらちら オレらを見た。


「玄翁様は なぜ、このような小童を?」

「そうじゃ、すぐに騙せそうじゃのう」


いや、聞こえてるって。

正直っていうか 失礼っていうか...


「これ。こう見えても朋樹は術に優れておるのだ。玄翁も 一目置いておる。

なんせ、儂も術にかかった程じゃ」


ほほう、と 雌狐たちは朋樹を見た。


「ならば、こちらの方も さぞかし... 」


雌狐の言葉に、榊は詰まった。

「うむ····まあ、なんじゃ。そういうことじゃな」


おい

オレの紹介は “そういうこと” かよ...


雌狐たちは あからさまに “やっぱりただの子童” という見下した視線で オレを見送った。


「ふむ... まあ、そう拗ねるな 泰河よ。

次は 酒でも見に行くかの」


酒を作っている家屋は、でかい倉庫みたいなところだった。

人が何人も入れそうな樽から、米麹やアルコールの匂いがしてくる。


「榊様、こちらを。桜の風味を足してみました」


「おお、出来たか」


榊が、髪の短い男に人化けした狐に出された

試作品らしい酒を飲む。


「うむ、旨い! 玄翁が好みそうじゃ」


オレと朋樹ももらって飲んだが

ほんのりと桜を彷彿する上品な味で旨かった。


だが、なんだろう?

里の酒は すうっと飲みやすいが、何か少しの物足りなさを感じる。

食事には ちょうどいいって感じだ。


榊に言うと、人化けした狐と 一緒に

「そうなのだ」と、難しい顔で頷いた。


「私が耳と尾を隠すことが出来れば、人里に修行に出れるものを... 」


人化けした狐は、ため息をつき

頭の狐耳と尾を動かした。


「ふむ。酒の造り方などは、人里で遠目から観察したものでのう...

なかなか、人の造った酒のような喉越しの物にはならぬのだ。

だが人化けの術を施すにも、そうそう人の頭蓋も手に入らぬ故」


「榊は 酒の修行に行かないのか?」


「儂は、そう長くは 里を離れられぬ。

それぞれに役割があるのだ」


ふうん、なるほどなぁ...


今まで見たところ、榊や浅黄は

里での地位は そこそこに高いようだ。


「浅黄も儂もまだ若くはあるが、こうは見えても武芸や術は それなりなのじゃ。

儂は 武芸では浅黄には勝てぬが

術は、玄翁にも 直々に手引きされたしのう」


里の花の道を歩きながら 榊が言う。

先にある野原を指差し


「これから行く場は、妖狐になったばかりの者に、武芸や術などを指導する場じゃ。

簡単な読み書きなどものう」と、説明した。

学校みたいなところまであるのか...


野原の広場の中央では、なぜか露が

二本足で立ち、前足で招く動作をしている。


周りで狐たちもその真似をする。


そのうちに、二本足で歩き出す露に 狐たちがついていき、円を描きながら、腕を上げ身体をひねり

軽快に踊り出した。


「榊、あれは?」


朋樹がやたらに真顔で、指を差して聞くと


「露さんは特別講師なのじゃ。

招きの術と、踊りなどを教えておるのじゃ」と、真面目に答えた。


うーん、そうか

それは またなんとも...


隣では、人化けした狐たちが長い棒を持って剣術の修行をしているが

指導している人化け狐は、史月くらい でかかった。2メートルはありそうだ。

頭巾を被り、僧のような格好をしている。


少し向こうでは、桶に入った墨に片方の前足を浸けて、紙に文字を書く狐たちもいれば

その隣で巻物を読んでいる狐たちもいた。


二匹の狐が、どちらも二本足で立ち

一匹が 一匹の狐の肩に乗る。

すると、二匹で 一人の人間の女になった。


「あれは、初歩的な人化けじゃな。

野孤のうちは、皆あのように化ける」


「榊もか?」


「いや、儂は耳や尾は出たものの、幼少の頃より一人で化けることが出来た。

それで、玄翁の屋敷に入ったのじゃ。

浅黄は人化けの術を施しても、いまだに耳が出ておるがの」


そう言って 榊はちょっと笑った。


「以前は、山神を退いた藤も

ここで術などを教えておったのじゃ。

親のおらぬ白蘭を里に連れて来たのも藤であった。白蘭も術に優れておったのう」


その藤ってヤツが、白蘭の師だったという。


「藤は、昔

ようやく授かった子を亡くしておってのう...

それもあってか、白蘭に気をかけておった。

子のおらぬ親と 親のおらぬ子で

互いに支え合っておるようにも見えた」


藤が亡くなって、白蘭は 一時姿を消したと言うが

なんか 気持ちはわからなくもない。

白蘭は、親を 二度亡くしたことになる。

母のように慕っていた藤が、かつては神として治めていた山を取り戻したかったんだろうか?

他の種族から、自分の元に。


少し離れた場所

山の山頂に近い里の入り口の方から、何か騒ぐ声がする。


「どうしたのじゃ?」


駆けて来た狐に榊が聞くと

よもぎが来たのだが、乱心しておるようだ」と、

広場の僧形の男の元へ走って行った。


榊は、騒いでいる入り口へ向かいながら

「儂の刀を持て」と、他の狐に指示する。


「蓬は、白蘭の山におる者なのじゃ。

三月程前にも、人に憑いたと聞いたが... 」


榊は首を傾げながら、走り寄って来た狐から刀を受け取った。


「榊、おまえ

それでどうする気なんだ?」


朋樹が 榊に聞く。


「刃が 魔を遠ざけることは知っておろう?

乱心ならば、玄翁や浅黄が出ずとも

儂のみでなんとかなろう」


榊は鞘を抜くと、白金しろかねの刃が煌めいた。


里の橋の前では、短い黒髪に袴の男が

青い顔をして刀を振り回している。


「榊ぃ... 」


榊の刃が煌めくのを見て

男は青い顔をこちらに向けた。


「蓬」


榊は 一度、刀を下ろした。


「俺は、何 を... 」


蓬は ゆらりと歩を進めてくるが

その視点は定まらず、おどおどと眼が動いている。


だが榊まで あと数歩というところで

突然、下から斜めに刀を振り上げた。

蓬の刀の刃先が、避けた榊の鼻先を掠める。


榊は、すばやく蓬の懐に入り

下から蓬の顎の下に、刃の切っ先を宛てた。


いつの間にか近くまで来ていた

でかい憎形の狐が、蓬の手を掴んで捻り

蓬は刀を落とした。


「蓬、見よ」


榊は 手の刃を蓬の顎の下から 少し前にずらし

そのまま蓬の眉間まで刃先を上げた。


刃の煌めく光に蓬の眼は眩み

その場に崩れるように座り込んだ。


憎形の狐に取り押さえられ、蓬は眼を閉じる。


「話せるか? 蓬」


「榊... 」


眼を開いた蓬の表情は、さっきまでとは違うものだった。

長い息を吐き、榊にしっかりと顔を向ける。


「... 神社にあったのは、白い勾玉であった」


蓬という狐が言うには、それを手に取ってからの記憶が曖昧だと言う。


「気づくと 人の子供に取り憑いていた。

俺は祓われ、勾玉を持って山へ帰った」


祓われ... ?


朋樹が ちらっと、オレに視線を寄越したが

オレは 首を横に振る。

まったく知らない話だ。他の同業者が祓ったのだろう。


「勾玉は白蘭に渡したが、その氣に当てられていたようだ。

山を さ迷っていたのは覚えているが... 」


「良い、蓬。里で休むのだ。

白蘭の元には、使者を向かわせておる。

その勾玉の件でのう」


蓬は 僧形の狐に支えられて立ち上がった。


「すまぬ」と、憎形の狐に言い

背中を向けた榊を呼び止める。


「あれは... 人の勾玉は、片割れでも強い。

並みの者では 手に持つことも敵わぬ。

それを、白蘭は飲んだのだ」


榊は刃を鞘に収め「玄翁には話しておく」と

オレらを伴って、屋敷へ向かった。


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