13
玄翁の屋敷に着き、門の前に榊が立つと
内側から その門が開いた。
「榊」
門を開けたヤツが、榊と オレらを見る。
背中の中頃まである 真っ直ぐな長い黒髪の
着物に袴の男だ。
人化けした狐のようだが、化けきれず
耳が狐のまま 頭から出ている。
「浅黄。話しておった泰河と朋樹じゃ。
玄翁はおるか?」
「おう、これはこれは... 」
アサギと呼ばれた男は、オレらに会釈をし
「中へ」と、オレらを招き入れた。
門から屋敷の玄関までは、白い砂利の中に平らな踏み石があり、左手には庭園らしきものが見える。
浅黄が玄関を開けると、広い玄関の段の上に
小さなじいさんが立っていた。
焦げ茶のベレー帽。ベージュのシャツに
袖のない臙脂色のニットベストを重ね、海老茶のズボンを穿いている。
「玄翁、泰河と朋樹じゃ」
榊が言うと、玄翁は ニコニコと笑い
「よう来られた」と、オレと朋樹と握手をし
屋敷へ上がるように言った。
座敷からは、開け放った障子の縁側の向こうに
庭園が見えた。玄関から見えたやつだ。
垂れ桜の下に、大きさが異なる石が二つ。
鯉が泳ぐ池の手前には 灯籠石があり
池の奥には 小さくなだらかな山がある。
玄翁の両脇に、浅黄と榊が座り
対面してオレと朋樹、朋樹の隣に露が座る。
用意されていた座布団の上に座ったが、テーブルもないのに、変に距離がある。
なんか落ち着かんな... と思った時
玄翁が二度、手を打った。
襖が開くと、食事の膳を持った着物の女たちが静々と座敷に入って来て、それぞれの前に膳を置く。なんか、すげぇ...
焼いた川魚、山菜ごはん、野菜の吸い物。出汁煮の餅巾着には飾り野菜が添えられ、漬け物や
かぼちゃや芋の煮付けの小鉢。
材料は、この里で採れた物のようだ。
朋樹の隣には、露用に 布が敷かれ
焼き魚をほぐした皿と 酒の皿が置かれた。
「楽にされよ」
着物の女に酌をされ、縮こまったオレらの様子を見て、玄翁が言う。
「口に合われるかどうかわからぬが
食事などしながら 話を、と思うてのう。
榊が随分と世話になったようじゃ。
礼がしたくてのう」
「いや、そんなことは... 」
「こちらこそ... 」と、朋樹と口々に言うが
「そうじゃ、玄翁!
陀羅尼などのことは話したが
先程、泰河と朋樹が コンビニの駐車場で
珍妙なものを見たのじゃ」
榊が箸の先を向けて玄翁に言い
「これ、榊
そのような行儀の悪い真似は... 」と
のんびり注意され、ちょっと緊張が解けた。
「して、その珍妙なものとは?」
オレらは、見たもののことを話した。
大人の身体をした胎児のようなもののことを。
「ふむ... 恐らくは白蘭の孕み子であろうのう。
先程、白蘭が身籠ったと報告があった。
お二人が それを見た頃じゃろう」
玄翁はお猪口を口に運び、白蘭のことについて話し出した。
以前、榊にも聞いたことがあるが
突然 力を付けたのだという。
「まだ、齢百にも達さぬが
千を生きる儂よりも位は上じゃ」
千 って...
なら玄翁は、仙狐か天狐ということか...
狐、妖狐にも位がある。
野良のヤツは野狐。
百年から五百年生きて地狐となり
五百年から千年修行して仙狐。
千年以上で天狐、三千年で空狐。
もう、天狐や空狐は神の域だ。
ただ、これは中国では って話だったと思う。
まあ、日本には大陸から伝わったものがいくつもある。物や文化だけでなく、宗教や思想なども。
それは人だけにでなく、狐や他の種のヤツらにもってことなのかもしれない。
これで言えば、榊は地狐だ。
白蘭は その下の野狐だったのに、いきなり
天狐や空狐という神域に達したということか。
修行とかで どうこう出来る話じゃないよな...
「白蘭には、師と仰ぐ者がおった。
大変に尊敬しておってのう。
その師の元で 熱心に修行しておった」
その、師 というのが、二百年程前までは
キャンプ場の山の神だったようだが
自ら退き、山を白鷹にたくしたらしい。
「藤、という齢七百の仙狐であったのじゃが
何があったのか、自動車に跳ねられてのう... 」
オレらは 居心地の悪さを感じたが
「いや、そうではないのだ」と榊が補足する。
仙狐ともなると、車に跳ねられるということなど
まずないことだという。
「白蘭は、幼き頃に親を亡くしておる。
藤が白蘭を拾い、育てたのじゃ。
孤児であったせいもあろうが、自己顕示欲というものが高かった。
藤にも よう、何故自ら山の神を退いたのかと
質問しておったのう...
藤と共におるうちに、そういったところは幾分落ち着いてはおったのじゃが
藤が亡くなると、白蘭は姿を消した」
それで戻って来た時には、尾は五本になっていて
白鷲から山神の座を奪った、ということだ。
「なんらかの術を使うたのであろうが
そういった術は、我等には伝わっておらぬのじゃ。皆目、見当もつかぬが...
生まれる子に出ておるのは、その報いなのか
また違うものなのか... 」
それなら、白蘭が使ったその術ってやつは
呪術なんだろうか?
「白蘭の子等は この里で、朽ちるまで我等がみておったのじゃが
先の四つ眼の子は 里から逃げ、姿を消した。
その後、白蘭の山で人間がその子を見かけたとの噂を聞いても、我等には探せなんだ」
妖狐には子が見えない、ということか?
この隠れ里や、さっきオレらが山にいた他の人間達から認識されなかったように
逃げ出した白蘭の子... 四つ眼の獣女は
妖狐たちには、その姿が見つけられなかったようだ。
「白蘭の孕み子の姿が現れたということであれば、それは何か意味があることであろう。
その孕み子が、なんらかの救いを求めたのかもしれぬ。
どうであろう、泰河、朋樹よ
我等に協力してはもらえぬであろうか?」
何卒 と、オレらに頭を下げる玄翁に
「あっ、もちろん出来ることは... 」
「するする、だから頭を... 」と、焦って
オレらは 二つ返事で了承した。
********
「どうじゃ、玄翁」
「うむ... よう見えんのう」
「玄翁にも見えぬか」
「... 記憶にも 蓋がされておるようじゃ」
食事の膳が下げられ、座敷にはテーブルが運び込まれた。
テーブルには、上品な和菓子と湯飲み
急須の茶が出されている。
オレは 縁側にあぐらをかき
玄翁に 背中をじっと見られているところだ。
オレに、なにかの血が混ざっているという榊の見立てについて、意見を聞いている。
朋樹と話していた時は、胎児の球が落ちてきて
うやむやになったが...
どうやら 玄翁にもよく見えないらしかった。
襖が開き、廊下には狐が座っていた。
この狐も榊のように尾が 二本ある。
「おお、羊歯。戻ったか」
シダと呼ばれた狐は、玄翁に 一礼し
「蛇神様は、今年も やはり酒を 一番喜ばれました。また将棋を指しに参られると...
これを玄翁様に預かっております」と言うと
羊歯の隣から、食事などの支度をしてくれた着物の女が、和紙に包まれた何かを両手に乗せて差し出した。
榊が受け取り、玄翁の近くに持ってくる。
「して、祠については?」
「調べていただきました。やはり、失われていると... 」
「うむ... 御苦労であった。ゆっくり休まれよ」
羊歯がまた 一礼し、廊下を後にすると
襖が閉められた。
「祠、って?」
気になって聞いてみると、それぞれの山には
山神の祠があり
中には、ほんの小さな勾玉が納められているらしい。
「この山の祠は、山頂のものじゃ」
あの石碑とかと一緒にある、苔むして崩れかけたやつか...
「あれは、山の者が何か困った時に祈るためのものなのだ。祈りは勾玉に呼応し、山神に届く。
ここであれば 玄翁だな。
それは、山に入った人間に対しても例外ではない。山の中腹程で何か起こったとしても、その場に祠は現れるのだ」
朋樹と何かを話していた浅黄が説明する。
「だが、祠の中の勾玉は失われていた」
榊が眼を臥せた。
「それで、娘の命ものう... 」
そうか、勾玉が祠にあれば
玄翁に 柚葉ちゃんの声が届いたかもしれないってことか...
「娘の骸を見つけ、勾玉が失われておることに気づいたのじゃ」
玄翁に「おお、榊。そういえば最近まで
榊は ため息をついた。
「その勾玉が、どうやら他の山の祠からも消えておるのじゃ。
今までに確認した山は、この山を含め五つ... 」
榊は話しながら、なんとなく
まだ手にしていた和紙の包みの紐を解いた。
中身は派手な金の帯のようだ。
「おおっ... 」と、帯に見とれる榊は
「ほっほっほっ、榊よ。お主が天狐となった折りには、この帯を巻くとよい」と玄翁に言われ
また大きなため息をついた。
「玄翁、残る山は... 」
浅黄が話の筋を戻した。
「うむ。御犬様じゃのう」
犬? 御犬様って もしかして...
「え? 狼か?」
オレが聞くと
「いや、日本狼は絶滅しただろう」と
朋樹が 口を挟む。
「野犬が多い山であるのだが、御犬様は霊獣なのだ。狼である」浅黄が言い
「我等狐とは... まあ、ソリが合わん。
誰も行きたがらぬのだ。仕方あるまい、俺が行こう」と、短い ため息をついた。
狼がいるのか...
狼ってカッコ良いよな...
「オレも行くよ」
あっ
朋樹に 先に言われたので
「オレもオレも!」と急いで立ち上がった。
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