10


目が覚めると、もう夕方だった。


ソファーで転んだまま寝てしまったようで

テーブルの向こうには

狐と猫... 榊と露が、寄り添って寝ている。


あれから


ユズハちゃんは、染みた闇が身体から消えると

鳥居の前から消えた。家族の元に戻ったようだ。


神使の白狐が「済んだのか?」と

また姿を現した。


榊が頷くと「そうか」と

失神している男を ちらりと見た。


「それは 退かした方がよいかのう?」と

榊が白狐に聞く。


「そのままでよい。これもまた、人である」


白狐は答えると、朋樹に

「おまえの詞は伝わったようだな」と

一言いって、また祠へ消えた。


「本当に通報とかしないでいいのか?

あれ、犯人だよな?」


男を見ながら、オレが 朋樹と榊に言うと


朋樹は「何でここにいるのかを説明しても

多分、面倒なことになるぜ」と、渋り


榊は「露さんの結界のおかげで、誰かが外側から この縄に触れぬ限りこの男はここから出られぬ」と、説明し

「誰かに起こされぬ限り、そう簡単に目覚めることもあるまい。儂の術で 先程のことを、目が覚めるまで繰り返し夢に見ておるがの」と

ぞっとすることを 平然と付け加えた。


そのまま倒れていたとしてもだが

通りかかった誰かに起こされても、取り乱して

どっちみち通報されるか...


露は、縄で結界を張った後は寝ていたらしく

起きて うーん と伸びをした。


オレも つられて伸びをする。

あくびしながら。


じゃあ、帰ろうぜ ってことで車に乗り込むと

榊だけでなく 何故か露まで車に乗り込んだが

まあいいとしよう。


運転しながら、朋樹に気になってたことを聞いてみた。


「おまえさ、なんか白狐に

時期かどう とか、コトバは伝わった とか

言われてなかったか?」


「ああ」と 朋樹が

「今、神無月だろ?出雲以外は 神不在なんだよ」と 答えた。


「不在なのに祝詞捧げてるから、何してんだ?って 思ったんだろな。

オレは、あの白狐にも聞かせたかったんだ。

おじゃまして場所借ります、っていう挨拶をな。

神不在でも御使いは居たりするしよ」と

説明し、あくびする。


ふーん、なるほどなぁ...


「それに不在でも、出雲の神の元に祝詞は届いて、聞いてくれたようだな。

あの光と声は、伊邪那岐尊だ」


「えっ?」


「おお、そうじゃ」と

榊が後ろから話に入って来た。


「執着した故の穢れを伊弉諾尊いさなぎのみことは存じておられる。娘に情けをかけられたのであろう。

眠った露さんに降り、娘にみそぎをされたのだ」


「えっ? 露に?」


ミラー越しに榊を見ると


「露さんは 巫女でもある。

伊弉諾尊は露さんの口から話された。

露さん自身は人語は話せぬが、そんじょそこらの猫又とは 格が違うのじゃ」と言う。


露は嬉しそうに「にゃー」と鳴いた。


伊邪那岐尊が禊をした、というのは

日本神話の本で読んだことがある。


出産で亡くなった妻の伊邪那美尊いざなみのみことにどうしても会いたくて、黄泉の国へ行くが

生前とは変わり果てた姿の妻から逃げ帰り

禊をした... 川でその身を清めたという話だった。


朋樹が もう一度あくびしながら

「とりあえず、オレ

午前中のうちに ユズハちゃんの家に行くからよ

おまえん家で寝るから起こしてくれ」とか言うので、ゆっくり寝たかったオレは

朋樹を朋樹宅前で降ろして帰って来た。


さあ、寝るか と寝室に行こうとすると

榊と露が腹が減ったという。


ここで「知らねぇよ」とか言ったら

寝起きの部屋に、ねずみのあの辺りとかこの辺りとかが 転がってそうなので

渋々近くのコンビニに行き、稲荷寿司と焼き魚の惣菜を買って来て出すと、二匹ともガツガツと

食べ出した。


オレが カップ麺のうどんを啜っていると

榊が じっと揚げを見るので、食いづらくなり

空になった稲荷寿司のパックに揚げを置く。


「しかし、泰河。

お前は何が混じっておるのだ?」


熱い揚げをハフハフ食べて、すっかり満足した榊がオレに言う。

質問の意味がサッパリわからず、ほけっと榊を見ると「知らんのか?」と また聞く。


「何が?」と 聞き返しながら

こうやって本来の狐型の時、この長い口の形で

どうやって人語を発音するのだろう と

割と どうでもいい疑問を持った。


「父親と母親は?」と 聞くので

「会社員とパート」と 答える。


「どちらも祖父母は... 」と、また聞くので

「なんなんだ? 何がだよ?」と 聞き返すと

「人外の血が混ざっておる」と

だいぶ 聞き捨てならないことを言った。


「えっ?! オレに?! 何が?!」


なんだそれ!!


かなり焦るが、はた と気付く。


こいつ、狐だった...

からかってんじゃねぇのか?


「からかってはおらぬぞ」


「おっ... もしかして、読心 出来るのか?」


「儂は サトリではない。

出来ぬが、顔に全部出しておるではないか」


あ、そう。


「その血のお陰で、おまえは何からも化かされることも 憑かれることもないのだ」


そう。オレは霊感はないに等しいが、その代わり

憑かれることはない。

これが、この仕事をする上で利点になることがある。憑かれないだけでなく、物質的な手を使われなければ、相手が何をしようが通用しない。

これに気づいたのは 朋樹だった。

オレには、霊が近寄ろうとしないらしい。


「更に、先祖の加護も厚いようじゃ。

両親や祖父母に何か聞いてはおらぬのか?」


「ないな、全く... 」


榊は どうやら本気で言っている。


でもなぁ...


一緒に暮らしていた母方のばあちゃんは、霊感が強かった。でも 別にそれだけだし。

ごく一般的な家庭で 普通に育ってきた。


食後の毛繕いをして、満足げにソファーに丸くなった露を見ながら

“泰ちゃん” と オレを呼ぶ、ばあちゃんの声を

ぼんやりと思い出す。

共働きの家庭に育ったオレには、ばあちゃんが

母ちゃんみたいなもんだった。


榊は オレをじっと見て、ふむ と何か納得し

「お前は 結界がわからぬだろう?」と 聞く。


これもそうだ。

オレは、その辺りに 仕事で結構苦労する。

なんせオレの相手は張るヤツが多い。

榊なんか いい例だ。

だが、破るどころか見えもしない始末だ。

その辺りは全部、朋樹頼りになっている。


だいぶ伸びた素うどんを啜りながら

「おう」と 返事すると


「強固に護られておるのだ。

結界を感得せぬよう 呪がかかっておる。

その血の中の者か、先祖の仕業であろう」と

ふんふん 一人で納得している。


「えっ じゃあ、その呪が解ければ

結界がわかるようになんの?」


冷めた うどん汁啜って聞くと


「わかるようになる... いや

推測ではあるが、結界が通用せぬであろうの。

破りもせずとも入れるようになる。

張った相手が弱くては、結界だと気付かず入ることもあるだろう」


それ、いいじゃねぇか!


ちょっと 気分盛り上がってきて

「その呪は解けんのか?」と

ソファーから立ち上がり気味になると

「儂には解けん」と

あっさり気分を盛り下げた。


なんだよ、もう...


ソファーに ドサッとケツを落とすと

「だが、考えてもみよ」と 榊が続ける。


「呪は 意味があって掛けてあるのだ。

それがなければ 人が侵してはならぬような処であっても、容易に入り込んでしまうようになる。

先程見た、娘に集まった墨色の靄の棲む処や

娘が逝くべき処などは、現世の者が近づくべきではない」


「えっ、呪が かかってなかったら

オレ そんなとこに入る恐れあんの?」


榊は ふむ と頷き

「一度、玄翁げんおうに会わせてみるかの」と

あくびをした。


「玄翁?」


「儂等の山。

先程の、展望台とやらがある山の神じゃ」


そう言って、露の隣で丸くなった。


そのままオレも ソファーで眠っていたようだ。


ソファーから立ち上がり、両手を上に組んで盛大に伸びをすると、あちこちの関節がパキパキと音を立てた。


開けたままのカーテンの向こうは

日が暮れかけている。

こいつらの本領発揮の時間がくるなぁ。


案の定、露が目を覚まし

ソファーの上で伸びをした。


充電器に挿したスマホが鳴る。

表示を見ると 朋樹だった。


『今からまた ユズハちゃん家 行くから

お前も来てくれよ』


「なんで?」


『ニュースつけろ』


それだけ言うと 一方的に電話切りやがった。

あいつ、礼儀がなっとらんよなぁ

オレに対しては。


テレビをつけると 夕方のニュースがやっている。


『... 容疑者と見られる男の供述により、山中で発見された白骨化した遺体は、六月の半ばに行方不明届が出されていた、吉井 柚葉ユズハさんであることが判明しました』


ああ、遺族との話なんだな。

行くか...


オレは 露に、くれぐれもネズミだけは持ち込まないでくれ とことずけると

重い腰を上げて 部屋を出た。

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