時間は、深夜3時になる。


オレらは、街中まちなかの小さな神社で

ユズハちゃんを遺棄した男を待っている。


榊が言うには

「男は呑み処で酒を飲んでおる とのことよ。

露さんが招いて連れて来る」らしいが...


「ここは、こっちの社が伊邪那岐尊いざなぎのみこと

そっちの祠が宇迦之御魂神うかのみたまのかみだな」


朋樹が、どちらにも祝詞を捧げている。

宇迦之御魂神は、稲荷の祭神だ。


「何をしておる」


オレと榊の前に、白い狐が現れた。


生身でいる訳ではないが、オレにも見え

真っ白な毛の 一本一本も輝いている。

稲荷神の神使か...


「榊ではないか。何故、人とおる?」


どうやら 榊は知り合いらしい。


「実はのう、人化けの術は成ったのだが

その折りの頭蓋の持ち主が... 」


榊が説明を始めた。

ユズハちゃんに恩を返すため

この場を貸して欲しい、と。


「ならぬ」


白狐は 事も無げに答えた。


朋樹のことも

「そこの、何をしている?お前も来い」と呼び、オレらに説教を始めた。


「ここは、神の御処なのだ。

人が その神に祈る場所である。

何が理由であれ、それ以外の場にはならん。

知っての通り、あのような者も立ち入ることは出来んのだ」


あのような者、と

白狐は鳥居に眼を向けて言った。


鳥居の向こうには、いつの間にか

ユズハちゃんがいた。

道の向こうを見つめている。


微かに、遠くから猫の鳴き声がする。

さっきの露という猫又か?


鳴き声は ゆっくりと近づいてくる。


「のう、わかってはおるのだが

儂は 娘を迷わせとうないのだ... 」


榊は 鳥居の外を見やる。


なんだ... ?


ユズハちゃんの様子がおかしい。

黒い靄がまとわりついている。


白狐は榊には答えず、朋樹に

「お前は 神等と縁があろう。今が どの時期か知らぬ程、愚かでは なかろう?」と 聞くと

朋樹は「存じております。御挨拶をしたまでで御座います」と、ちょっとオレがビビるくらい丁寧に返し「掃除をしに参りました」と 付け加えた。


白狐が少し考えて「社の裏に箒がある」と 言うと

朋樹は その箒を持って、鳥居から出る。


黒い靄の濃さが増した ユズハちゃんの前で

朋樹は ザッザッと箒をかけ始めた。


「のう... 」


尚も頼み続ける榊に、白狐は

「この辺りの人払いはしてある」とだけ答え

すうっ と 祠の方に消えた。


にゃーう と、猫の声がすぐそこまで近づく。


朋樹が立てる箒の音の合間に

人の足音も近づいて来るのが聞こえる。


ユズハちゃんにまとわりつく黒い靄は

その足から染み込んでいく。


朋樹は、ユズハちゃんを見ようともしない。


オレが鳥居を出ようとするのを、榊が

「ここに居れ」と 制止した。


「いや、でも... 」


オレらの段取りでは、露が招いて来る男を

榊が化けた 偽ユズハで懲らしめ

遺体遺棄の真偽を確認し、警察に突き出すというものだった。

ユズハちゃんがここに来てしまうことは、浅はかにも想定していなかった。少なくとも、オレは。


ユズハちゃんはもう、染み込んでいく靄で

膝の上までが黒く染まっている。


「良いから居れ。あれは、あの娘の穢れだ。

靄は それに引き寄せられた。

儂等には 何も出来ぬ」


「はあ? 何も出来ん って?

迷わせたくないんじゃなかったのかよ?」


榊は答えない。


だいたい、穢れ って 何だよ

どうしてユズハちゃんに?


でもそれは、もしかしたら

ユズハちゃんが口を閉ざしていた理由で

知られたくないことなんじゃ...


鳥居の向こうから 朋樹の声がした。


「どうされました?」


露が鳥居からトコトコと入って来た。

鳥居の外にいる朋樹の前には、若い男がいる。


パーカーに ジーンズ。

歳はたぶん、オレらと変わらない。

鳥居の中にまで 酒の匂いがしてきた。

相当飲んでいるらしい。


相変わらず、ザッザッという

箒の音が響く。


「ここは... ?」


男は遠くを見るような眼で、ぼんやりと朋樹に聞いた。

酔っているだけなのか、露の術から抜けきれていないのかは定かではない。


「何か、悩んでおられるようだ」


朋樹のすぐ隣で、ユズハちゃんは

もう腰までを黒く染めながら男に手を伸ばすが

男には、その姿が見えていない。


朋樹が 男の背中に手を添えた。


「さ、中へ... 」


男は 誘導されるまま

鳥居をくぐり、内へ入ってきた。


鳥居の近くに立つオレを 一瞥したが

特に気にせず、そのまま社の方へ進む。


社の前には、切れ長の眼の女になった榊がいる。


榊が 男に手を差しのべると

男はその手に、自分の手を重ねた。


社の下から露が古びた縄をくわえて出てくると、榊と男の周囲を縄で囲む。


それが完了すると、榊はかおを変え

みるみると ユズハちゃんになった。


「おっ、おまえ は... 」


男が掠れた声を出すと


「何を... 」と、榊は

ユズハちゃんの声で笑った。


「まさか 忘れないでしょう? 私を」


また笑う。


「私は 忘れなかった 森の中 ひとりで」


男は 蒼白になって震えているが

重ねた手は離れず、身動きも出来ないようだ。


「そして」


榊は続ける。


男が喉の奥から「ヒッ」と 息を漏らした。


榊の... ユズハちゃんの顔や身体が

どろどろと溶け出している。


マリンボーダーのシャツや赤いスカートも

泥にまみれて朽ちていく。


「今後も わたしを ひとときすら忘れる時はない。

眠る間ですらも 生涯... 」


ぼたぼたと腐肉が落ち、頭皮の半分が髪をつけたまま ズルリと落ちた。


爪がない骨の出た指で

男を ますます引き寄せる。


唇のない剥き出した歯で笑うと

男は失神した。


鳥居の向こうで胸までを黒く染めたユズハちゃんは、男を見て ほろほろと涙をこぼしていた。


「もう、終わったのだ」


狐に戻った榊が ユズハちゃんに言った。


済んだ のか?

でも、まだ...


胸まで染みた闇の色は

もう首に迫ろうとしている。


朋樹が鳥居の下で、ユズハちゃんと向き合った。


「ごめんな、ユズハちゃん。

望んでいないかもしれないけど」


そう言って、祝詞を捧げ出した。


「高天の原に 神留まります

皇が睦 神漏岐、神漏美の命以ちて

八百万の神等を 神集へに集へに給ひ... 」


穢れを祓うという、大祓詞だ。


榊が オレの隣に座り

「人とは、厄介なものよのう」と

鳥居の先のユズハちゃんを見つめる。


ユズハちゃんは まだ、あの男を見ていた。

情のこもった眼で。


何か 見ていられなかった。


オレは、祝詞を続けている朋樹の背に

視線を移して 黙って榊の話を聞く。


「あの男は 娘が通うておる塾の講師じゃ。

関係は内密なものだったようだ。

ただ、男の方は幾人もと関係を持っていたが...

山の展望台で娘との別れ話が拗れ、突き飛ばしたのだ。

娘は頭を強打したが、まだ生きていた。

だが男は、娘を山の山頂まで運び、首を絞めたのだ。自らの保身のために。

そして怖くなり、娘の骸を置き去りにし そのまま逃げた。

儂は、血肉ごと

臓器に残った記憶まで食うたのだなぁ... 」


まだ、朋樹の祝詞は終わらない。


榊は 言葉を続ける。


「娘は まだ、それでも男が恋しいのだ。

ならぬことだと分かっておっても、命を摘んで

連れていきとうなる。

それは罪だと知っておるから、闇の色に染まるのだ。

もし、それをしてしまっておれば

闇そのものとなっておったであろう」


そうか

ユズハちゃんは ここに入れない。

だから榊は、鳥居の内側にこだわったのか...


榊に眼を移した時、朋樹の祝詞が終わった。


まだ夜明けではないのに

夜空の雲の合間から、光が射し込む。


光が ユズハちゃんを闇の色ごと包み込むと

まとわりついていた黒い靄が消滅した。


『... 娘よ、身を禊ぐが良い『』


どこからか、声がする。

男の声だ。


朋樹が社へ向かい、深く礼をした。


ユズハちゃんの身を染めた闇の色が薄まっていく。恨んだのではなく、恋しさで染まった色。


『... 執着は捨てよ。

お前を愛する者たちの元へ帰るのだ。

お前は、お前を許して良い』


ユズハちゃんが 眼を閉じた。


光が いっそう強まると

ユズハちゃんから 闇の色が消えた。


オレには 失われた闇の色が 美しく思えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る