竜の行方
ヴェインは廊下を歩いていく。一緒に歩きながら、アンソニーは尋ねた。
「叔母の魔力が消えてしまったそうですが」
「ええ。消えたわ。あの庭も消えてしまったことでしょう。これでよかったのです」
魔力が消えたと言われても、アンソニーにはさっぱりわからないことだった。アンソニーは隣を歩きながら、自分の子ども時代を思い出していた。
「……僕はジャスパー家に生まれて。けれども僕自身は全く魔力がなくて。そのことを――僕も平気で受け止めていたわけじゃないんですよ?」
「知っていますよ。あなたは私を散々困らせたじゃないですか。ひねくれた、人に懐かない子どもで。それを思うと今はずいぶん穏やかになりましたね」
アンソニーは笑った。廊下の突き当りの窓からは、夕日が差していた。いつの間にか日が傾ていたのだった。一日の終わりの、淡いオレンジの色に照らされながら、ヴェインは階段を下りていった。
アンソニーも後に続く。それにしても――ずいぶん意外なことだった、と思うのだった。叔母のとても意外な一面を知った。そんなことを考えていると、出し抜けにヴェインが口を開いた。
「私は、クリスの祖父の家を訪ねたことがあるのですよ」
階段を下りながら、ヴェインは続ける。
「イライザの死後、彼女の秘密を知ってからのことでした。あの庭師が、今はどこに住んでいるかなんとか突き止めて。会いに行ってみたのです。小さな家に彼は住んでいました。その家の庭はさっぱりと手入れされていて、緑の芝生が美しく、そこにたくさんの人間が集まっていました。
天気の良い日で、庭で食事をしていたのですね。あの庭師は――年を取っていましたが、すぐにわかりましたよ。彼の傍らには伴侶と思しき老婦人がいて、にこやかに幸せそうにこの光景を眺めていました。それから彼らの子どもらしき男女が何人かその連れ合いが何人か、少年や少女も大勢いました。孫でしょうね。クリスもいたのかもしれない。私は覚えていませんが……何しろ数が多すぎて」
ヴェインは少し笑った。ヴェインの笑い声を聞くのは珍しい、とアンソニーは思った。階段をおりきり、ヴェインはさらに言った。
「それを見た私は、声をかけることもなく帰ったのです。何故そうしたのかはわからなかった。声をかけることができなかった、と言ってもよいでしょうけど」
自分の部屋へと歩みを進めながら、ヴェインは話を続けた。
「イライザも――こう言ってよいのなら――おろかなことをしたものだと思います。恵まれた魔力を、あんなことのために、あんな庭を作るために使って。愛した庭師――イライザの愛に相応しい人間かわかりませんが……。私はあの庭のことを公にしたくなかった。だって、イライザの名誉に関わる問題でしょう?」
よって、その庭は、イライザの死後も秘密にされていたのだ。名誉の問題か、とアンソニーは思った。確かにそういう部分はある。けれどもヴェインが庭を秘密にしていたのは、それだけではないようにも思えた。ヴェインは庭を守っていたのではないだろうか。イライザの、弱く柔らかい、優しく美しい部分から作られた、その庭を。
「先生」アンソニーはヴェインに呼びかけた。「あなたは、叔母のことを愛していたんですね」
ヴェインは何も答えなかった。
――――
イライザの部屋での一件からしばらく経ち、季節は廻り、初夏が訪れた。晴れた、天気のよい休日、クリスは小屋の中で気持ちよく目を覚ました。起き上がり、服を着替える。ベルベット――相棒のように側にいたあの小さな竜は――もういない。
あの部屋に隠されていたものはなんだったのか、自分とローズが足を踏み入れたあの場所はなんだったのか、クリスはアンソニーから説明を受けた。とても意外な気持ちだった。自分の祖父が、そんな風に強く想われていたなんて、なんだか想像ができない。
「ベルベットも、消えてしまったんです」
クリスはそう、アンソニーに言った。イライザの庭で、成長したベルベットを目にしたことも話した。クリスは考えながら言った。
「ベルベットは――やっぱり、イライザさまの竜だったのかもしれません。イライザさまは亡くなったけれど、魔力は残っていたので、ベルベットも生きることができたのかも。でも、魔力もなくなった今となっては――」
「そうだね、ベルベットは死……いや、竜は消えるだけだから。どこか違う世界に姿を消したのかもしれないなあ」
「それはどこなんでしょう?」
「さあ、どこなのだろうね。魔力が来るところ、とも言われているが……」
「ひょっとして、そこには祖父やイライザさまもいるでしょうか?」
「どうだろうね」アンソニーは笑った。そして、少し遠い目をした。「いるのかも……しれないね。どっちみち私たちはいずれ死ぬわけだから、そのうちわかることなのだ」
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