11. 春から初夏へ

帰ってきた二人

 ローズがイライザの部屋に消えてから、既にかなりの時間が経ったように、アンソニーには思えた。本当はそうでないのかもしれない。けれども人々が集まって、重い空気の中、ただただ待っているというのは辛いものがあった。アンソニーは少し離れたところから、部屋の前に集まる人々を見ていた。そして、唐突に、この緊迫した空気が緩むのを感じた。


 それは人々の表情に表れた。全員ではなかったが、幾人かの表情に、まずは戸惑いが、それから思考、疑問、そして安堵に似た色が表れた。ウェンディとミランダが、顔を合わせるのを、アンソニーは見た。二人は何か不思議なものを捉え、そしてそれを両者で確認しているかのようだった。アンソニーは隣に佇むヴェインを見た。ヴェインの表情も変わっていた。驚きと、それと珍しいことだが、喜びの表情が、そこにはあった。


 けれどもそれはほんの一瞬だった。ヴェインはたちまちいつもの無表情になって、そして固い声でアンソニーに言った。


「……イライザの魔力が消えました。もう大丈夫。ローズとクリスが出てきますよ」


 そしてそれは言った通りになったのだった。人々が黙って見守るなか、扉の取っ手が動いた。続けて、ゆっくりと扉が開かれた。わっとした歓声があがった。


 そこにいるのは、扉から出てきたのはローズだった。それからクリス。使用人仲間たちが、たちまちクリスのほうに近寄る。クリスは囲まれ、そして質問攻めとなった。ローズのほうはというと、ミランダに抱きつかれている。


「ローズ! ローズ!」


 妹をぎゅうぎゅう抱きしめながら、ミランダは言った。「私、すごく心配してたの! とっても怖かったの! もしあなたが帰ってこなかったら、あなたにクリスを助けに行くように言ったのは私だし、私、私……!」


「い、痛……、ちょっと痛いわ、お姉さま」


 ローズがもがきながら言った。ミランダは慌てて身体を離した。その顔が涙で汚れている。「ごめんなさい、私ったらほんとに……」


「ローズ、よかったわ」


 続いてはウェンディが近寄った。ローズはウェンディを見た。ローズの顔が安心で緩んだ。


「ウェンディ姉さま……」

「私も心配だったの。でもよかった。出てきてくれて」

「姉さま……私……」


 ローズの声が頼りない。小さく震えて、涙の気配があった。ローズの綺麗な顔が崩れるように歪んだ。幼い子どものようだった。


「わ、私……怖かったの」

「うん」


 ウェンディが優しく頷いた。ローズは言葉を続ける。が、その言葉はほとんど涙に混じっていた。


「怖くて……大叔母さまの部屋に入るが、怖かった。私、私なら……クリスを助けられると思って……でもそうじゃないかもしれないし、扉の向こうに何が待っているかわからなかったから、私……」

「ローズ、よく頑張ったわね」


 ウェンディがローズを抱き寄せた。ローズはその胸に頭を寄せた。


「……怖かったことはいっぱいあるの。姉さまは遠くに行ってしまうし……」

「留学のこと? 馬鹿ね。一生会えなくなるわけじゃないし、すぐに戻ってくるわよ」

「そうだけどでも、それだけじゃなくて……。姉さまはちゃんと自分の将来のことを決めて、先に進んでいって、でも私は私は……」


 涙で言葉が詰まってしまう。しゃくりあげながら、それでもローズは喋り続けた。どうしても言ってしまいたいことがあるようだった。


「……わ、私は、魔法も上手く扱えないし、ひょっとしたら魔力がなくなるかもしれないし、そうしたら私に何が残るんだろうと思ったの。何にもできない私が残るだけじゃないって思ったの。……怖くて、それが怖くて、姉さまが……姉さまが羨ましくて……」


 ローズはいまや完全に、ウェンディの胸に顔を埋めていた。ローズの柔らかな髪に頬を寄せながら、ウェンディが優しく言った。


「あなたは本当に馬鹿ね。羨ましかったのは私のほうなのに。あなたは綺麗だし、強い魔法の力を持ってる。魔力では私はあなたには叶わなかった。だから違う道を行こうと思ったの。勉強して、魔力の理論を解明するような、そういう道を」


 アンソニーはふと、ヴェインが動く気配を感じた。ヴェインは背を向け、この場から去ろうとしている。アンソニーは慌てて後を追った。


「――よかったですね。無事、一件落着して」

「そうね」

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