彼女の愛したもの

 ミランダは青い顔をしていた。


「私がけしかけたようなものなんです。ローズなら、ローズの魔力ならクリスを救えるかも、って……。もしローズに何かあったら、それは私の責任で……」


 早口で言うミランダに、ヴェインはぴしゃりと答えた。


「何度言わせるのですか。大丈夫ですよ。心配することはありません」


 そうは言っても、とアンソニーは思った。その言葉は本当に信じられるのだろうか。ヴェインのことは信頼はしているが。アンソニーにとって、魔力はよくわからぬ世界で、この状況において適格な判断を下すことができない。ミランダも完全には納得していないようだった。が、とりあえずは黙った。


 沈黙が、辺りを取り巻いた。アンソニーはヴェインに声をかけた。そして二人で少し廊下の、少し離れたところへ行く。話の続きを聞いておきたかった。


「「庭」だと言っていましたよね。叔母は何のためにそれを作ったのでしょうか。まだ答えを聞いていません」

「何のため……」


 ヴェインは視線を落とした。わずかな沈黙の後、ヴェインは言った。


「――それは自分自身のためでした。イライザ自身のため。自らの、小さな慰めとなるように、魔法で庭を作ったのです。つまらない……どうでもいいような目的のために」

「なんのですか、その目的とは」


 面食らいながらアンソニーは聞いた。ヴェインは視線を上げた。しかし、アンソニーのほうは見なかった。


「庭師がいました。ずっと昔のことですよ。私は彼がこの家にいたときはまだイライザとは会ってませんでしたから、彼のことはよく知りませんけど。今いる若い庭師の祖父だそうですね」

「ああ、クリスの」


 アンソニーは現在行方不明になっている、優しい顔立ちをした少し地味な少年を思い浮かべた。彼はベルベットの飼い主でもある。そういえばベルベットはこの屋敷の庭で見つかったのだ。見つけたのがイライザと、そして当時庭師をしていたクリスの祖父だ。そしてベルベットはかの庭師のものになったのだ。


「そう、クリスの祖父です。イライザは――その祖父のことを、庭師のことを、とても気に入っていて――つまりは愛していたのですね。そして彼がいなくなった後、自ら庭を作ったのです。彼との楽しい思い出を閉じ込めた庭を。そこにはいつまでも愛した庭師がいて、好きなときにイライザは彼に会うことができたのです」

 



――――




 ――ここは以前にも来たことがあるな、とクリスは思った。見覚えがある。自分の職場とよく似た、けれども完全には同じでない庭。前は、夢で見たのだ。庭にはベルベットがいた。そして祖父と――イライザがいた。過去の光景ではないか、とローズが言っていた庭だ。


 それと同じ庭に、今、クリスは立っていた。ひょっとすると自分は夢を見ているのだろうか、とクリスは思った。自分でも気づかぬうちに眠ってしまったのだろうか。いや、さすがにそれは考えづらい。とすると……ここは一体どこなのだろうか。


 クリスの腕の中で、ベルベットがもがいた。クリスはベルベットを地面に下ろしてやる。ベルベットは少しの間、興味深そうにきょろきょろと辺りを見ていたが、やがて元気よく歩き始めた。クリスも、混乱した気持ちのまま、後を追う。


 陽射しが暖かい。花々はとりどりに咲き、太陽の下でまどろんでいる。柔らかい緑の芝を踏んで、クリスは進んだ。木の梢が風に揺れた。小さな、鳥の鳴き声が聞こえる。ずいぶん美しいところだな、とクリスは思った。美しすぎて――なんだか本物じゃないみたいだ。


 歩いているうちに、こちらに背を向けて花壇の土を掘り返している人物を見つけた。クリスははっとした。逞しい大きな背中。祖父だ、とクリスは思った。夢と同じだ。とすると……どこかにイライザもいるのだろうか。


 果たして、イライザはいた。イライザと思しき少女が、いつの間にか、クリスの近くに来ていた。やはりこちらのことは見えていないようだった。イライザは軽い足取りで祖父に近づいていった。祖父が振り返り、そして笑った。夢と同じだ。ということはやはりこれは夢なのだろうか。そのうちに目が覚めるのだろうか。


 祖父がいつの間にか花を持っており、それをイライザに差し出した。光に艶めく、イライザの長い髪の毛。風が吹いて、その髪を揺らした。そろそろ目が覚める頃かな、とその光景を見てクリスは思った。けれども違った。あの時の夢とは異なり、目の前の出来事はまだ続いていた。祖父は何かに気付いたように、イライザから視線を外し、横のほうを見た。そして、そちらを見て、愛おしそうに、ひどく嬉しそうに笑った。祖父がそちらへ歩いていく。イライザを残して、どこかへと去っていく。

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