10. 彼女の愛したもの
隠された庭
クリスは一人、ぽつねんと暗闇の中にいた。前にもこのようなことがあった、と思っていた。イライザの部屋に入って。そして謎の暗闇に取り込まれていたのだ。闇はあの時よりも深いが、また同じようなことが起きたのだ。ひょっとして、起こるのではないか、と懸念していたが。妙に冷静な気持ちで、クリスはそのようなことを考えていた。
ふいに、足元に何かの気配を感じた。見ると、ベルベットだった。暗闇ではあるが、ベルベットの身体、および、自分の身体はよく見える。クリスはベルベットを拾い上げた。そして胸に抱きしめる。ベルベットは暖かく、生きているものの匂いと肌触りがした。クリスはほっとする心地になった。冷静ではあったが、やはり、不安だったのだ。
前の時は、ローズが一緒だった。今回はミランダとともに部屋に入ったのではあるが……。ミランダの姿はどこにも見えなかった。どこにいったのだろう。彼女は幸いにも難を逃れたのか。それとも、この暗闇のどこかにいて、離れ離れになっているのか。ひょっとすると後者なのかもしれないので、クリスはミランダを探そうと決めた。一人ぼっちで、寂しい思いをしているかもしれない。
ベルベットを抱きしめたまま、クリスは恐る恐る歩き始めた。ミランダの名前を呼ぶ。が、返事がない。平衡感覚さえも奪われる暗闇なので、てきぱきと歩くことができない。クリスはまたミランダの名を呼んだ。しかし、暗闇からは沈黙が返ってくるだけだ。
一人ぼっちで寂しい思いをしているのは自分のほうだ、と、クリスは思った。ベルベットがいるとはいえど、しかし、一人であることには変わりがない。以前はローズがいた。それが心の支えとなっていたのだと、今にして思った。もしも以前と同じならば、いくらか待てばまた元に戻るだろうと思う。けれどももし、そうではなかったら。クリスはとりあえず、今は誰かに会いたかった。
少しずつ歩みを進めていると、前方にわずかな光が見えた。クリスは緊張してそれを見守った。光は次第に大きくなっていく。夜空の星くらいの大きさだったのが、ビー玉ほどに、サッカーボールほどに、みるみる膨れていく。そして気づけば、クリスは光の中にいた。
闇の中から突然明るい世界に出たので、クリスは最初眩しくてしかたなかった。ひどく面食らってもおり、しばらくは動けなかったし、周りに何があるのかも上手く把握できなかった。次第に落ち着きを取り戻し、クリスは改めて周囲を見た。そこは庭だった。太陽の穏やかな光が降り注ぐ、暖かい春の日の、緑豊かな、庭だったのだ。
――――
「――庭、ですって?」
アンソニーは思わず聞き返した。一体、ヴェインが何を言っているのかわからず、思わず彼女の姿をまじまじと見た。ヴェインは変わらぬ無表情だった。アンソニーは頭の中で、起こったことを整理した。クリスはどこに行ったのか、と聞いたのだ。そうしたら、イライザの部屋には「庭」がある、という答えが返ってきた。ということは、クリスはその「庭」とやらいるのだろうか。
「そう。庭です。イライザが作ったものです」
ヴェインは落ち着いて言った。アンソニーは尋ねた。
「そしてそこに――クリスがいるのですか?」
「そうでしょうね」
アンソニーはわけがわからなくなった。イライザの部屋には何度か入ったことがある。けれども「庭」などあったろうか。ごく普通の――塔の部屋だったので、若干形は変わっていたが――部屋だった。そんなに広いわけではない。あの中に「庭」があるとは信じられない。
それともイライザは、小さな箱庭的なものでも作っていたのだろうか。しかしそれにしても、その中にクリスがいるというのはどういうことなのだろう。
「魔法で作られた庭ですよ。普段は目に見えません。けれども何かのはずみで扉が開くことがあります。イライザは庭の作り手でしたから、自分で扉を開けることができましたよ」
アンソニーの混乱を見透かすように、ヴェインは言った。ヴェインは簡単に言うが、俄かには信じられないことだった。アンソニーは驚きつつ、言った。
「それが――今でも残っているということですか?」
「そうなのです」
「叔母は5年前に亡くなりましたが……」
「強い力で作られたものは、作り手の死後も残ることはあるのです。私もあまり例を知りませんが。そして、残るといえど、永久にではありません。そう、5年も持てばよいほうですね。庭はそろそろ消えるでしょう。ひょっとすると今日にでも」
「消えると――どうなるのですか? 中にいるクリスは?」
「無事に出てくるでしょう。だから、心配することはない、と言っているのです」
魔力で作られた目に見えぬ庭があり、そこにクリスが足を踏み入れ……よく飲み込めぬことばかりだった。ヴェインは言った。
「魔力は消える間際に最大になるのです。ヴェインが亡くなって――残る力はありましたが、もう限界なのでしょう。そのためここ何か月かは力が強くなっていた。ローズはそれに気づいたのですね。でも――気づかなくともよかったことなのです」
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