ヴェインの話

「いえ、兄に用事があって来てみたのですが……。妙な事が起こっているようですね」


 アンソニーの言葉に、ヴェインはわずかに眉を動かしただけだった。表情が崩れることはない。アンソニーは少し苛立たしい気持ちになりながらも、言葉を続けた。


「クリスが行方不明になっている、と……。何やら奇妙な魔力が屋敷を覆っているようですね。僕は魔力がないので全くわかりませんが」

「ええ、そのことはもちろん知っていますよ。屋敷の人々が妙に不安になっていますね。でも私は彼らに、心配はいらない、と言っておきました」

「そうなのですか?」


 アンソニーにはわからない。魔法の世界は自分とは遠いものだ。ジャスパー家の一員ではあるが、そうなのだ。一方、ヴェインは魔法士であるし、その言葉を自分としては信じるしかない。けれどもどこか釈然としないものがアンソニーの中にはあった。


「一体、何が起こっているのですか?」


 心配はいらない、とはいうけれど、クリスはどこに行ってしまったのだろう。そして、ヴェインは何を持ってそう思うのだろう。ヴェインはアンソニーを見た。冷ややかな、薄い緑の目だった。アンソニーは少年の頃を思い出した。ヴェインに勉強を教えてもらった日々。魔法は教わらなかった。アンソニーに魔力がなかったからだ。過去においてもヴェインは落ち着いていて、そして感情を見せなかった。


 答えないヴェインにアンソニーは続けた。


「異変は叔母の部屋で起こったと聞きました。叔母に関しては、気になることが――。以前、ローズが言っていたのです。この屋敷には、叔母の魔力の気配がある、と」


 ローズはそう言ったが、魔力のないアンソニーにはそれが全くわからなかった。正直にそう言うと、ローズはそうだったわね、と答え、それ以来、その話はしなくなった。


 使用人から話を聞いた際、まず思い出したのはそのことだった。ローズの言う通り、イライザの魔力が残っていて――それは痕跡なのか、そのものなのか、よくわからないが――クリスによくない影響を与えたのだろうか。


「……そう。ローズの言うことは別に間違いではなかったのです」


 ヴェインは静かに言った。アンソニーは驚いた。


「では今起きている出来事も、叔母の魔力のせいなのですか?」

「その通り。でも何も心配はいらないのです」

「何故、そう思うのですか?」

「イライザが、子どもたちを傷つけるわけがないからです」


 長くイライザの秘書をしていたヴェインだ。信頼があるのだろう、と思った。けれどもそうはっきりと断言できるものなのだろうか。ヴェインはさらに言った。


「それにもう、そんなに持たないのです。これはローズの言う通り、イライザの魔力。というよりその名残みたいなものかしら。本人は消えても、魔力だけは消えずにいくらか残っていたのです」

「……そんなことがあり得るものでしょうか」


 面食らいながらアンソニーが聞いた。ヴェインは言った。


「あまり聞かない話ではありますが、強い魔力ならばあり得ないことではない。そしてイライザは力の強い魔法士でしたからね。でも――どんなに強い魔力とて、本人が死んだのにその力だけが長く残ることはできないのです。やがて消えるでしょう。そして今まさに消えようとしているのです」

「どうしてわかるのですか?」

「力が非常に強まっているからです。消える直前に力というのは一番強くなるものなのですよ。竜と一緒。彼らも消えるそのわずか前に、真の姿を現します。――もっともあれが「真の」姿なのかは誰にもわからないことだけど」


 アンソニーはベルベットのことを思い出した。クリスが連れていた竜。ベルベットが一緒にいたことも、今回の件と関係があるのだろうか。


「だから――先生は、心配はいらない、と言ってるのですね」

「そういうことです」


 ヴェインはきっぱりと、強く言った。確信しているようだった。しかし、アンソニーは落ち着かない。


「ですが……クリスはどこに行ったのですか? 今、どこにいるのでしょう?」

「……」


 沈黙し、ヴェインは視線を逸らした。室内の家具を黙って見ていく。きちんと整理された、装飾の少ない、素っ気ない部屋だった。ヴェインらしいと言える。アンソニーは答えを待った。そして、ヴェインは口を開いた。


「あの部屋には――庭があるのです」

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