消えたクリス

 クリスは誘われるように窓へと歩いていった。ベルベットもそれについていく。そう、この光景だった。現在、窓の外には穏やかな春の光景が広がっていた。空の青に木々の緑。クリスは夢の中のイライザと同じように窓辺に立った。眼下にはジャスパー家の庭が広がっていた。そして夢ではそこを歩く祖父の姿が見えた。今は誰もいないが。


 夢の中のイライザと同じように。クリスはほとんど無意識のうちに、そっと手を窓に置いた――。




――――




 ミランダはぱたんと箪笥の引き出しを閉めた。特に気になるものはなかった。室内にあったものは大方片付けられていて、引き出しの中もほぼ空だ。全て確かめてみたけれど、そうだった。既に知っていたことではあったが、やはりなんとなくがっかりしてしまう。


 不思議なことは起こらないのかしら、とミランダは思った。クリスとローズが体験したような。恐ろしいけれど、私もそういう目にあってみたいようにも思う。ミランダはくるりと後ろを振り返った。「クリス、何か面白いものでもあった? こちらは何もないのだけど――」


 ふと言葉が途切れた。クリスの姿が見当たらない。そんなに広い部屋ではないし、室内に隠れるところはあまりない。ミランダは呼んでみた。「クリス?」


 返事がない。ミランダは部屋の中央まで進み、辺りを見回した。静かだ。入ったときと何も変わらず、全てのものがきちんとしかるべき場所にある。ミランダはもう一度呼んだ。「クリス?」そして今度は笑いとともに言った。「どこかに隠れてるの? これは何かの遊び?」


 部屋を出ていったのだろうか、と思った。けれども扉を開け閉めする音などで気づくだろう。仮に気付かなかったとしても、クリスが黙ってこの部屋を去る理由がわからない。ミランダははたと思い出した。ローズが言っていたことを。最初、ベルベットがベッドの下に隠れ、それから辺りがおかしくなったのだと。ミランダは再び笑った。ひょっとしたら、今度もベルベットが隠れ、そしてクリスも一緒に隠れているのかもしれない。あんまりクリスがやりそうにないおふざけだけど……たまにはこういういたずらをするのかもしれない。


「どこにいるかわかったわよ」


 そう言ってミランダはベッドに近づいた。膝をついて、カバーの裾を上げ、中を確かめてみる。暗くてわかりづらいが、しかし人の気配はない。目を凝らして隅々まで見てみたが、やはり何者も、クリスもベルベットもいないようだ。


 ミランダは立ち上がった。辺りが奇妙に静まり返っているように思えてきた。唐突に不安が込み上げた。クリスとベルベットはどこに行ってしまったのだろう。


 少しうつろな気持ちになりながら、部屋の扉へと向かう。やっぱり先に部屋を出ていったのかもしれない。声をかけずに、というのもおかしいけれど、何か事情があって――。そう思いながら、ミランダは廊下に出た。


 人っ子一人いない廊下が、しんとして視線の先に続いていた。




――――




 ローズは自室にいた。外が騒がしい。ある事件が起きたのだ。そのことについては知っていた。今日は休日で買い物に出かけていたのだが、帰ったときにはその事件は既に起きていて、人々が右往左往していた。ローズも事情を聞き、驚いたがそのまま部屋に戻ってしまった。そして、それからぼんやりとした気持ちのまま、室内にいる。


「ローズ! 帰ってきてたのね!」


 声がして、部屋の扉が開いた。ミランダだった。ミランダの顔が不安に満ちている。


「ねえ、大変なことがあったの、クリスが……」

「知ってるわ」


 努めて感情を出さず、ローズは言った。短く、素っ気なかった。


「何があったかはもう聞いてる」

「そうなの、でも本当に大変なことで……。クリスが行方不明になるなんて……」


 ミランダの顔色は青かった。一方、ローズは落ち着いていた。表面上はそうだった。ミランダはそんなローズに、今日の出来事を語った。二人と一匹で大叔母の部屋に行ったこと。そこで忽然とクリスとベルベットが消えてしまったこと。


「最初はふざけてるのかな、と思ったの。でも室内にはいないし、部屋の外にも。屋敷中探してみたし、庭にも行ってみたけど、なのにいないの」

「じゃあ我が家の外に出たのかもしれないわね」

「そうなの? そうなのかしら……。でもあんまりそうとは思えない。私はなにかこう、嫌な予感がして……」


 ミランダはローズを見た。「それに大叔母さまの部屋に入ることができないの」

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