夜の訪問者

 今日は驚くべきことがあった。ローズの魔法の力が――おそらくそうなのであろうけれど――暴走して、花束が飛んで手首に傷ができた。痛いよりも何よりも、とにかくびっくりしたのだった。ローズもまたそうであるようだった。こちらをじっと、驚きの顔で見ていた。そこには恐怖もあった。しばらくは二人とも動けなかったが、やがてローズが近寄ってきた。とても罪悪感のある顔をして、クリスの手首をじっと見ていた。


「血が――」


 そう言ってローズは黙った。クリスはローズを安心させるように笑った。


「あ、大丈夫です。全然大したことは」

「でも血が出てるわ」


 クリスは血を隠すように自分の手で傷口を覆った。そして笑顔で言った。


「大丈夫ですよ。本当にただのかすり傷で」


 ともかく今はローズを落ち着かせたかった。それに痛いは痛いのだが、そんなに重症というわけでもない。ローズはクリスの言葉を聞いているのかいないのか、白い顔で、「手当をしなければ――」と呟いた。そこへ使用人の一人が通りがかり、クリスが怪我をしているのを発見し屋敷へと連れて行ったのだった。


 使用人頭の女性に、派手にぐるぐると包帯を巻かれてしまった。本当に大した傷ではないのに、ずいぶんと大げさな見た目になってしまった。ローズも付き添っていたが、その間ずっと無言だった。


 ふいに、呼び鈴の音がした。ベルベットが跳ねるように玄関へと向かう。その後をクリスも続いた。扉を開けると、そこにはローズが立っていた。


 暗い庭を背に、暗い顔をしたローズが立っていた。ちょうど、ローズのことを考えていたところだったので、クリスはどきりとした。こんな遅い時間にやってくるのは初めてのことだった。浮かない表情のまま、ローズは口を開いた。


「あの……謝りに来たの。今日のこと、申し訳なくて、怪我がどうなったか気になってそれで……」

「全く大丈夫ですよ」


 クリスは明るく言うものの、ローズはしょげている。クリスは迷った。このまま帰してしまうのは酷な気がする。「入って、お茶でも飲んでいきませんか?」と提案してみた。ローズは黙って頷く。家に入れて、少し後悔した。女の子をこんな時間に入れてよかったのだろうか。でも今さら帰れともいえまい。


 ローズがテーブルにつき、クリスは台所へと向かった。やかんを火にかけ、お茶の準備をする。ローズは大人しい。側でベルベットがちょろちょろしていた。ローズはそれにもあまり注意を払わず、何かを考えているような、それとも逆に何も考えていないような、ぼんやりとした表情をしていた。


 盆に乗せてカップを運ぶ。ローズの前に置くと、はっと我に返り、お礼を言った。カップをあげてほんの少しだけ口を付ける。すぐにそれをテーブルに戻し、ローズはクリスを見た。


 クリスはローズの向かいの席に腰かけていた。こんなに落ち込んでいるローズを見るのは初めてだな、とクリスは思った。


「ごめんなさいね。私のせいで……」

「いえ、それはもういいですよ。なんだか大げさに包帯を巻かれちゃいましたけど、大したことないんですし」


 部屋の明りの中で、包帯の白が眩しい。ローズは目を伏せた。


「私が……もっとちゃんとヴェイン先生の授業に出ておけば。お姉さまにも言われたの。さぼっていることを注意されたの。悪いことをしてるって、私もわかっているの。わかっているけど……」


 ローズは口を閉ざした。クリスはかける言葉を探した。けれども見つからない。魔法のことは正直それほどよくわからないし、ローズの悩みもはっきりと理解できるというわけではない。沈黙を振り払うように、ローズが再び口を開いた。


「先生の授業にちゃんと出るわ。今後このようなことがないように。――それと、あなたに言いたいことがもう一つあるの。私、約束を破ってしまった」

「何のことですか?」


 クリスが尋ねる。ローズは答えた。


「大叔母さまの魔力に関すること。あなたと私が一緒にそれを調べていて、大叔母さまの部屋で奇妙な目に会ったこと。あなたに黙っているように言ったけど、今日、お姉さまたちに全部喋ってしまったの」

「ああ……」


 それはローズから一方的に口止めを命じられたもので、クリスとしては、特に秘密にしておかなければならないというものではない。なので、あっさりと言った。


「それは別に全然構いませんよ。あれは、イライザさまの部屋で会ったことは本当に不思議なことでしたから、むしろ、周りに話したほうがよかったのかも……」

「――あなたの言う通りだと思うわ」


 静かにローズは言った。「もっと早くに、先生に相談しておけばよかったわね」


 静かで低い声だった。クリスはなんとなく、包帯を巻かれた腕をテーブルの下に隠した。何故だかわからないが、これをローズの見えるところに置いてはいけない気がしたのだった。


「……先生に、頼っておけばよかった。いろいろなことを、もっときちんと相談しておけば、そうすればあなたが怪我をすることもなく……」


 クリスは黙っていた。ローズは目を伏せて続けた。


「昔から、人より優れた魔力があるって言われてたの。魔法の力があることは私にとっては当たり前のことで、それを難なく使いこなすことができてた。でも……最近は違うの。どうしてだかわからない。けれどもそれを上手く使えなくなってしまった……」

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