すれ違い
ローズもクリスに気付き、少し驚いた顔をした。小奇麗な恰好をして、花束なぞを持っていたからかもしれない。ローズは近づいて、尋ねた。
「どうしたの? そんな恰好をして。どこに行くの?」
「お屋敷です。ウェンディさまのところへ」
クリスはそう答えた。ウェンディが試験に合格した話をして、そのお祝いを持っていくのだと言う。おめでとうございます、とローズにも言ったが、ローズの反応は薄いものだった。
「そうなの……。まあ、よかったことはよかったけどね」
「嬉しくないんですか?」
意外な思いのするクリスだった。ローズはいささか不機嫌な顔つきだった。
「……嬉しくないわけじゃない。でも……。ウェンディお姉さまが家を出ていくわけだし」
クリスは吹き出しそうになった。意外とかわいいな、と思ったのだった。ローズはウェンディと別れることを寂しがっているのだ。けれどもウェンディはただの留学だ。何年かしたら戻るだろうし、長期休暇で帰省することもあるかもしれない。ローズの不機嫌さはずいぶん大げさな事に思えた。クリスは笑いながら言った。
「そんな、永遠の別れとかではないんですから。笑顔で送り出してあげましょうよ。すぐにまた帰ってくるんですし」
「……そういうことじゃなくて……」
ローズは、クリスが持っている花束に目を止めた。
「――その花、お姉さまにあげるのね」
「そうですよ。お祝いです。僕があげられるものって、他にあんまりありませんから」
「そうね」
ローズは言葉少なだ。何となく気まずい空気が立ち込める。クリスは助けを求めるようにベルベットを見たが、ベルベットは知らん顔をしている。
仕方がないので、この嫌な空気を追い払うように、クリスは無理に笑った。
「それで、花を贈ろうと思ったのはいいんですけど、いつものよれっとした恰好じゃまずいかな、と思って、服装も気を遣ってみたんですよ。どうですか?」
「馬鹿みたい」
一緒に笑ってくれるかと思っていたら、予想外の冷たい、吐き捨てるような答えが返ってきた。クリスは呆気に取られ、そして苛立たしい気持ちになってきた。不機嫌さが、こちらにも感染してしまう。ローズは一体何故そんなに臍を曲げているのだろう。ウェンディとの別れが悲しいとしても、それにしても今日は妙に態度が悪く、子どもっぽくないか。クリスは笑顔を引っ込めた。
「うん、まあ、僕も馬鹿みたいだなって思いましたよ。気が合いますね。じゃあ、また」
子どもっぽいのは自分もだな、とクリスは思った。大人げなくそんなことを言って、屋敷に向かおうとする。しかしローズはそれを引き留めた。
「待ってよ。何を怒っているの」
「怒ってませんよ」
「怒ってるじゃない」
「それは……そちらの態度がひどいから」
「ひどいって……」
ローズの顔色が変わる。しまった、と思ったが、と同時にその言葉を撤回したくないような気持ちがあった。ローズは時折、いささかわがまますぎるのではないかと思うのだ。いつもそうではないにしろ。
ローズは怒りの感情を露わにした。
「それはあなたが、何も分かってないからよ。そんな服着て。花束なんか持って。お姉さまの新たな門出に嬉しそうな顔しちゃって。あなたが……。ねえ、話を聞いてるの?」
「すみません。僕は行かなくちゃ。話なら、花束を渡してからでもいいでしょう?」
「――何を言ってるの……。ちょっと! 待ちなさい! 待ちなさいったら!」
ローズが大きな声を出すが、クリスはそれを聞かず、背を向けて立ち去ろうとした。その瞬間、不思議なことが起きた。突然、風が吹いたのだ。風は、クリスは攻撃するかのようにその周りに吹き付けた。驚きで手が緩み、花束が飛んでいく。リボンがほどけ、花たちをまとめていた輪ゴムがほどけ……というよりもそれは、何かによって切り付けられたかのようだった。花々がまとまりをなくし宙に舞い上がる。白が黄色がオレンジが薄い紫が、そして葉の緑が風に煽られてクリスの周りを舞う。クリスは驚いてそれを見上げ、次に自分の手首に鋭い痛みを感じた。そちらに視線を向けると、手首に傷ができ、そこから赤い血が滲み出ていた。
痛みよりも驚きのほうが優っていた。クリスはいささか怯えるような気持ちで、ローズを見た。ローズも驚き、そして後悔と恐怖の色が瞳にあった。魔法の中には風を起こしたりできるものがある。これもローズの力なのだろうか。
足元でベルベットが跳ねている気配があり、クリスははっと我に返った。ローズが口元に手を当てて、こちらを見ていた。ローズもまた最初の驚きから少し立ち直ったようだった。そして、その代わりに恐怖の色が増していた。ローズは哀れなくらいに、何かに怯えていたのだった。
――――
ローズはぼんやりと居間のソファに座っていた。頭が重く、特に動く気になれなかった。壁の時計だけが無駄に時を刻んでいく。とりとめもなくいろんなことが頭を過ぎていき、そしてそれは先ほどに見たクリスの、驚愕と恐れに満ちた顔に収斂していくのだった。
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