ヴェインという女性
クリスは了解し、適当な花をいくつか見繕った。そしてそれをヴェインに差し出す。ヴェインはお礼を言って受け取った。静かな声だった。ヴェインは女性にしては背が高い。姿勢が良いのでなおさらそう見えるのかもしれない。夜の闇が次第に広がりつつある庭で、黙って立っているヴェインの輪郭が、くっきりと浮かび上がるかのように思えた。存在感がある。というよりもむしろ、威圧感さえあるのかもしれない。
ヴェインのにこやかな姿を見たことがあるだろうか、とクリスは思った。記憶にない。いつも静かに、表情もなくそこにいる。イライザの部屋に入ろうとするのをとがめられたことがあるせいか、クリスは少しヴェインが苦手だった。ただ、最初の顔合わせの際にヴェインがジャスパー家の人々と一緒にいたところを考えると、彼女はこの屋敷の主たちに慕われ、信頼されているのだろう。それを思うと、そんなに悪い人ではないのかもしれない。
ヴェインは花を受け取ったが、そこからすぐには立ち去ろうとはしなかった。少しの間クリスを見て、そして尋ねた。
「ローズがよくあなたのところへ行っているそうね」
怒られるのだろうか、とクリスは反射的に思った。使用人が主家の娘と馴れ馴れしくしてはいけない、と。ヴェインの顔を見たが、その表情はよく読めない。夕暮れの弱くなった光の中ではなおさらだった。
「――はい。あの、なんとなく仲良くなって……」
嘘をつくのも気が進まず、クリスは正直に言った。仲良くなった理由までは言えない。ヴェインは黙ったままで、耐えられずクリスは謝った。
「申し訳ありません。その、えっと、不届きな考えなどはなくて……」
謝ってはいるが、どうにも言い訳がましい。クリスはもう一度、よく、ヴェインの顔を見た。そしてはっとした。一瞬、笑みのようなものがヴェインの顔をかすめたのだ。けれどもそれは本当に一瞬だった。見間違いだったのかもしれない。そしてその笑みがどういう種類のものか、そこまではクリスにはわからなかった。
ヴェインは再び無表情に戻っていた。そしてクリスに言った。
「別に構いませんよ。そのことを責めるつもりはありません。ただ……。困っていることがあるの」
何か相談したいことがあるようだった。クリスはわずかに緊張して尋ねた。
「何でしょう」
「ローズのことよ。ここに来るのは別によいけれど、私の授業を休みがちなの。魔法に関する授業なのだけど」
ヴェインは姉妹たちの家庭教師をしているのだ。ここに来るのが忙しくて、クリスに会うのに心が傾いて、授業をさぼりがちだとヴェインは思っているのだろうか。クリスは困ってしまった。そして、ローズの魔力が現在不安定であると、姉たちが言っていたことを思い出した。
「あの……ローズさまもいろいろ悩んでいることがあるのではないかと……」
「あの子があなたにそんなことを言っていたの?」
「いえ、そういうわけではないんですが」
ウェンディやミランダから聞いたことを、クリスは話した。ヴェインは黙って聞き、そして口を開いた。
「知ってますよ。あの子の魔力が不安定であることは。まさに思春期だからでしょう。大人になる過程で誰もが通る道なの。そしてこの時期こそ大切なのよ。この時期にきちんと魔力の扱い方を学ばなければならい。それをあの子は放棄するから……」
ヴェインはクリスを見た。冷ややかだといってもよい視線だった。
「あの子は逃げているのよ。これはきちんと向き合わなければならない問題なの。でないとあの子は自分の魔力を支配することができない。最悪、それをなくしてしまうでしょう。それでよいとは、私は思えないのね」
「ですが……」
冷たい視線にくじけそうになりながら、クリスは口を開いた。自分には魔力のことはよくわからない。魔法士であるヴェインの言うことはおそらく正しいのだろう。けれども正しくはあっても、いささか非情に聞こえる。
「ですが、ローズさんもこのままでよいと思っているわけではなくて、悩んでいてどうしようもできないこともあるわけで……。もう少し待ってもらえませんでしょうか」
ヴェインの顔をきちんと見ることはできなかったが、クリスはとりあえずそれだけは言った。短い沈黙が返ってきた。夕暮れの光はさらに弱くなり、辺りはさらに薄暗くなっていた。
「――そうね。私もそんなに急かしているわけではありませんよ」
あっさりとしたヴェインの言葉だった。怒っている様子はないようだった。クリスはほっとした。ヴェインは少し身体を動かした。もう屋敷に戻るつもりらしい。
「引き留めて、すまなかったわね。私は厳しすぎるから、ローズも煙たく思うのかも。あなたから彼女に何か言ってくれるとありがたいわね」
「は、はい」
上手くローズとこの話ができるか自信はなかった。それでもクリスは頷いた。ではまた、と言ってヴェインが去っていく。長身の後ろ姿が少しずつ小さくなっていって、黄昏の薄闇と同化していく。クリスはそれを見送って、少しため息をついた。なんだか疲れてしまった。どうもあの女性は苦手らしい。
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