ローズがお母さん
かごにベルベットを入れて、クリスとローズは意気揚々と屋敷に戻った。昨日の夕方の、あの重苦しい空気が嘘のようだった。クリスの小屋につき、テーブルの上にかごを乗せて蓋を開ける。ぴょこんとベルベットの顔が出てきた。そしてこんな狭いところにはいられないとばかりに身体も出てくる。さらに伸びをするように両手を伸ばし、テーブルの上を歩き回った。生き生きとした身のこなし、いつものベルベットだった。
「寿命だのなんだのって」ローズはベルベットを見て、笑いながら言った。「やっぱりなんでもなかったじゃない」
「でも、ベルベットが生きているのは不思議なことなんですよ。アンドルーさんも言っていたじゃないですか。こんな話は聞いたことがないって」
「世の中いくらでも例外ってあるのよ」
ローズはそう言って、キスでもするように、ベルベットのほうに顔を近づけた。クリスとしてはなんとなく釈然としない気持ちではあった。ベルベットが元気になったことはもちろん、嬉しいことではあるが。
何故ベルベットは祖父亡き後も生き、そして具合が悪くなり、また助かったのか。気になることではあった。しかし考えてみてもその解答は思い浮かばない。自分は竜についてほとんど何も知らないと言ってよいのだ。自分だけでなく、多くの人が知らないのだろうが。考えつつ、クリスは口を開いた。
「例えば……場所が関係しているのかもしれませんね」
「場所?」
「この庭はベルベットの故郷みたいなところじゃないですか。よく言いますよね、ふるさとを離れている人が、一度ふるさとを見て死にたいと思うって。ベルベットもそんな思いでいたところ、もう故郷を見ることができたからこれでよいと思って、弱ってしまったとか……」
「そんな馬鹿な」
ローズがいささか呆れている。けれども顔をしかめて、「場所、か……」と呟いた。そして真面目な顔つきで言った。
「場所といえば、この屋敷は大叔母さまが住んでいたところで、大叔母さまの魔力を今でも時折感じるところよ。ということは……大叔母さまの魔力がベルベットの不調に何か関係しているのかしら……」
「……悪い影響を与えている、と?」
「そんなことはないと思うけど……」
ローズは歯切れが悪い。ためらいながらさらに続けた。
「大叔母さまの魔力が、そんな悪いものではないと思う。そりゃあ確かに私たちは大叔母さまの部屋で怖い目にあったことがあるけれど。でも大叔母さま自体は怖い人でも嫌な人でもなかったから。身内の贔屓目かもしれないけど。確かに愛想の良い方ではなかったわ。けれども周りを不幸な目に合わせるとか、そういうところはなかった」
クリスはイライザに会ったことはない。祖父の話を聞いたことがあるだけだ。けれども祖父の話を思い出しても、イライザが悪い人だったとは思えない。
「――また、大叔母さまの部屋に行ったほうがいいかもね。あまり気は進まないけど、やっぱり残る魔力の気配が気になるから……」
「その時はご一緒しますよ」
クリスは言った。微弱な魔力しか持たない自分なので、力になれるとは思えない。けれども一人よりは二人のほうが心強いだろうと思った。ローズはわずかにはにかむように笑った。
「ありがと」
そしてそんな自分に照れているかのように、ローズはベルベットを見た。ベルベットはいまやテーブルを降りて、床の上を歩いている。
「でもまあ、本当にただの風邪だったのかもしれないわ。大叔母さまとか関係なく。竜だって風邪をひくかもしれないじゃない? 誰もそれを知らないだけで……。そうだわ」
そう言って、ローズはクリスのほうを見た。
「いつもベルベットに何をあげているの? ちゃんと栄養バランスの取れたご飯にしてる? ……といっても竜にとって何が栄養が良いのかは謎だけど。それから、眠るときはちゃんと寒くないようにしてる?」
真面目な表情のローズに、クリスは思わず吹き出した。
「なんだかお母さんみたいですね」
「私が?」
ローズはいささか心外そうだ。
「ええ。ベルベットのお母さん。よいお母さんですね」
「お母さんって、どういうことよ。そもそも私がベルベットのお母さんなら、お父さんはつまり……」
そこまで言って、ローズは真っ赤になって口を噤んだ。クリスがあれ、と思って見ていると、たちまち強引に話を変えた。
「ここでこんなにのんびりしてられないわ! 私は学校があるんだから。あなただって仕事でしょ。じゃあ、また来るわね!」
ローズは乱暴に言うと、足早に小屋を出ていった。クリスは笑い、ベルベットを床から抱き上げた。結局何故ベルベットの具合が悪くなったのかはわからない。けれどもこうして元気になったのだ。不調の原因は気になるが、とりあえずはこれでいいじゃないかという気持ちがクリスの中にも芽生えてきた。
早速ベルベットの朝食を用意する。ベルベットは待ってましたとばかりに食いついた。
――――
それから2、3日経ったある日のこと、夕暮れ時にクリスが庭の仕事をしていると、そこへヴェインがやってきた。そしてクリスに声をかける。
「屋敷に飾る花が欲しいのだけど」
いつもは他の使用人たちがやってきて花を持っていく。ヴェインが来るのは珍しいことだった。クリスとヴェインはあまり接点がない。以前、イライザの部屋の前で引き留められて以来、ほとんど話したこともなかった。
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