竜は病気にならないこと

 眉間に皺を寄せ、アンソニーは竜を観察している。そして重い声で言った。


「申し訳ないが、竜を診たことはないし、竜の病気について学んだこともない。何しろ竜はこの世の生き物ではないと言われて、まだ研究が進んでないし、わかっていることもほとんどない状態で……」

「でも……何かできることはないの?」


 ローズは引き下がる気はないらしい。声が不安で揺れている。ちょっぴり涙もそこに混じってるような気がした。クリスはローズのためにも、ベルベットが元気になってほしいと思った。


「そもそも竜は病気をしないんだよ。飼い主が亡くなればともに命を落とす生き物で。けれども君は見た感じ、とても健康そうだね」


 アンソニーがクリスを見た。クリスは「この竜はそもそも僕のものではなかったんです」と言い、祖父の話をしたのだった。


「ですから」と、語り終えたクリスは言った。「ベルベットの場合、生きていることのほうが不思議なんです。祖父は二年前に亡くなりましたけど、二年遅れでベルベットの寿命もやってきたのかと……」


「そんな話は聞いたことがないが……。ずいぶん、特殊な例なんだな」

「寿命だなんて、そんなことないわよ!」


 きっとなってローズが言った。「昨日まで元気だったのに。全然元気だったのに。いくらなんでもたちまち死んでしまうということはないでしょう!?」


「うん、まあそれは……」


 アンソニーが言葉を濁す。竜についてはわからないことだらけだと言っていた。ローズを安心させたいのはやまやまだが、適当なことは言えないのだろう。アンソニーは少し逡巡していたが、やがて、ローズを納得させるように言った。


「大きな病院の先生に診てもらうことにしようか。何かを知っているかもしれないしね。それまではここで預かっておくよ」

「はい、お願いします」


 クリスは頭を下げた。ローズは黙っている。けれどもそれでとりあえず異存はないらしい。動かないベルベットをじっと見ていた。


「何かお薬とかないのかしら。何か……せめて、何でもいいから何か食べてくれるといいんだけど」

「薬ねえ……。竜に飲ませる薬など聞いたことがないけれど……とりあえず、点滴でもしておこうか」


 アンソニー叔父をこれ以上困らせるのも気が引けた。クリスはローズと一緒に屋敷に戻ることにした。空のかごを下げて、二人は帰り道を歩いた。


 軽いかごが、気持ちを憂鬱にさせていた。ローズも黙ったまま口を開かない。アンソニー叔父は精一杯のことをやってくれるようだ。けれどもできること以上は望めないし、竜の病気が治るものなのか現状では全く心許ない。


 日は西に傾き、辺りには夜の気配が迫っていた。クリスは何かを喋りたいような気もした。けれども暗い顔をしたローズに何を話せばよいのかわからない。また、自分自身も長くあれこれと会話をする気にはならない。結局無言のまま二人は屋敷まで帰り着いた。そして短い挨拶をして別れたのだった。




――――




 翌朝、クリスが朝食の用意をしていると、呼び鈴の大きな音がした。こんな時間に誰だろうと思って玄関の扉を開けて出てみると、そこにはローズが立っていた。


「叔父さまから連絡があったの!」


 ローズは大いに慌てていた。クリスはどきりとした。何か悪い知らせだろうか。けれどもローズの表情には暗さがなかった。むしろ、明るく、興奮している。


「ベルベットが元気になったんですって! 今朝見てみたら、ケージの中に普通に座ってたって!」


 クリスも驚いた。とりあえず、すぐにもその姿を見たいという気持ちになった。ローズもまた同じ気持ちのようだった。


「今から叔父さまのところに行きたいんだけど……いいかしら?」


 もちろん、断る理由はない。クリスは一度部屋に引っ込んで、ベルベット用のかごを持ってきた。そして二人でアンソニー叔父の病院まで急ぐ。


 病院はまだ開いてはいなかったが、アンソニーはそこで待っていた。二人を見るとたちまち笑顔になる。そして入院患畜たちの部屋に案内した。


 いくつかのケージがあり、犬や猫などがいた。その中の一つに、ベルベットがいる。クリスはまっすぐにそちらに近寄った。そして中を覗き見る。隣でくっつくように、ローズも中を見る。そこには果たしてベルベットがいた。もうだるそうに丸くなってはいない。立ち上がり、つぶらな黒い瞳をくりくりさせて、こちらを見ている。ローズが笑って、声をかけた。


「ベルベット! なんだ全然元気じゃない!」


 クリスも嬉しくなり、心からほっとした。いつも祖父のそばに、そしてここ何年かは自分の相棒としてずっと近くにいた存在だ。いなくなるのは悲しい。二人のところへアンソニーが歩み寄った。


「今朝、様子はどうかなと見にいってみたらこうだったんだよ。いやあよかった。点滴が効いたのかな?」


 冗談めかすような口調だった。クリスはアンソニーのほうを向いてお礼を言った。


「ありがとうございます。竜とか、無理を言って診ていただいて……」

「いや、私は何もしてないけどね」

「ううん、でも本当に点滴が効いたのかもしれないわ」ローズは笑顔だった。「ありがとう、叔父さま」


 アンソニーは照れている。人の好さそうな顔が照れ笑いに崩れた。

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