ベルベットの異変
竜は病気をしないという。こんなに弱った状態のベルベットを見るのは初めてだった。竜が弱るとき、それは死ぬときだ。普通、竜は飼い主の死とともにその一生を終えるが、ベルベットはその後も生き延びていた。これは大変珍しい。そしいて、今初めて、ベルベットはその弱った姿をクリスの前にさらしていた。
考えてみれば祖父が死んだ時点で、ベルベットの生も終わっていたのだ。それが遅れてやってきたのだろうか、とクリスは思った。とりあえず、なんとかしたくなり、ミルクに浸して柔らかくしたパンをベルベットのところに持っていった。ベルベットは首をあげて匂いを嗅ぐが、食べない。クリスは不安になった。けれどもどうすることもできない。獣医に見せればよいのだろうか。獣医、というところで、ローズの叔父の顔が浮かんだ。けれども獣医に竜は治せるのだろうか。
迷いつつ、とりあえず、仕事に行った。夕方、ローズがやってきた。ベルベットのことを話すと、ローズは心配そうな顔をした。
実際にベルベットを見せると、その表情がますます曇る。顔を近づけ、そっと撫でる。小さな声で、「どうしたの、ベルベット」と聞いていた。ベルベットは朝と変わらずぐったりとしたままだ。クリスがそっとローズに言った。
「……もう寿命なのかもしれませんね」
竜は飼い主と共に死ぬことを、クリスは話した。もっともそれは姿を変えて消えてしまうことなので、「死」ではないのかもしれない。けれども自分たちとお別れになってしまうことには変わりない。ローズは難しい顔で聞いていた。
「それは知ってる、けど……。確かに、あなたのおじいさま亡き後もベルベットが生きていることはおかしなことかもしれないけれど。でも……今の飼い主はあなたじゃない?」
そこまで言って、ローズははっとした表情になった。そしてそれがひどく不安そうなものに変わる。
「もしかして……飼い主が死んで竜が死ぬなら、その反対のこともあるんじゃない? 竜が死んで飼い主が死ぬとか……。そしてベルベットの今の飼い主はあなたなわけだから……」
「僕が死ぬんですか!?」
クリスは心底驚いた。ローズが申し訳なさそうな顔をしている。「いえ、単に思いつきを言ったまでだけど。悪かったわ、変なことを言って」
クリスとしては俄かに不安になるような気持ちだった。今、自分はとても健康だ。悪いところなどないと言ってもよい。でももしかすると、ひょっとすると、近いうちに死んでしまうというようなことがあるのだろうか……。
「ともかく。ここで私たちがあれこれ言っていても仕方ないわ。ベルベットを病院に連れていきましょうよ」
話を変えるようにローズが言った。クリスも変な心配を追い払った。考えても仕方がないことなのだ。そしてローズの提案にいささか異を唱える。
「病院って、動物病院ですか?」
「そうよ。人間の病院に連れていってどうするの」
「でも……動物病院で竜を診てくれるのでしょうか」
そんな話は聞いたことがない。竜は病気をすることがないし、一度弱ればそれを助けることはできないので、病院と無縁なのだ。
「わからない。でも私たちよりは詳しいと思うの。何かしないと……本当にこのままベルベットが死んでしまうかもしれない」
ローズの声には焦りがあった。本当に、ベルベットの様子に心を痛め、そしてなんとかしたいと思っているようだった。その気持ちはクリスも同じだ。他に方法が思い浮かばないので、無理だと否定する前に、試してみたいという気持ちがある。ローズはクリスにきっぱりと言った。
「アンソニー叔父さまのところに連れていきましょう」
――――
籐のかごにそっとベルベットを入れて、二人はアンソニー叔父の病院を目指した。小さな個人病院だった。三角屋根の愛らしい建物で、扉を開けて中に入ると、待合室には2、3人の人がいた。それなりに繁盛しているらしい。
犬を連れた若い女性、猫を連れた老夫婦、さすがに竜を連れている人はいなかった。待っていると名前を呼ばれ、診察室に入る。白衣を着たアンソニー叔父が二人を見て、おや、と目を丸くした。
「なんだ、君たちか。一体どうしたんだい?」
「叔父さま、竜は診れる!?」
アンソニーの言葉をほとんど無視する勢いで、ローズが言った。クリスは持っていたかごを診察台の上に置き、蓋を開けた。アンソニーがそれを覗き込み、ますます目を丸くした。
「これはこの前会った竜だね。元気がないようだが……」
「そうなんです。今朝からこんな調子で」
アンソニーはかごからベルベットを出した。弱ったベルベットはされるがままだ。とても大人しい。朝見たときよりももっと大人しくなっているような気がして、クリスは不安になった。
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