5. 赤い花
甘くて快いもの
ジャスパー家の屋敷の廊下を歩いていると、甘い良い香りがした。クリスは屋敷内の用を済ませ庭に戻る途中だったが、ふと匂いの元が気になった。この先を行くと台所がある。そこで誰かがケーキか何かを焼いているのだ。通りすがりに視線を向けると、台所の扉は開いており、中が見えた。ミランダがいて、たちまちこちらに気付くのだった。
「あ、庭師さんだ! ベルちゃんも!」
ベルベットも一緒についてきていたのだった。ミランダは明るく一人と一匹に声をかけた。「ケーキが焼けたところなの! 食べていかない?」
クリスは迷ったが、ベルベットがその言葉に喜んで返事をするかのように、早足で台所に駆け込んでしまった。仕方なくクリスもついていく。仕方なく……という態ではあるが、ケーキがもらえるもは嬉しい。
ミランダはケーキを型から外し、綺麗に切り分けていった。表面はこんがりと焼け、中はクリーム色とチョコレート色のマーブル模様だった。「ココアの生地も作って混ぜてみたの」そうミランダは言った。
皿に乗せて、フォークもつけてクリスに差し出した。一口食べてみる。美味しい。甘すぎない柔らかなケーキだった。ミランダはベルベットにも少し渡す。ベルベットもさっそく頬張り、美味しそうにたいらげた。
「どう?」
ケーキを食べるクリスの横でミランダが聞いた。「美味しい?」
「ええ。美味しいです」
クリスは正直に言った。花見の時に食べたものといい、ミランダの作るものは本当に美味しい。
「そうなの? 嬉しいなあ」
ミランダはそう言って近づいてくる。肌が触れ合わんばかりになった。クリスはちょっとドキドキしてきた。ミランダのよい匂いがする。甘いけれど、ケーキとはまた別の甘さ。なんだか決まりが悪くなってしまう。
クリスはミランダに気付かれないように、そっと身体を離した。けれどもミランダはたちまちクリスのそんな行動に気付いた。さらに身体を寄せてくる。思わず視線をそむけると、無邪気に顔を覗き込んできた。
「どうしたの?」
どうしたのもこうしたのもない、とクリスは言いたい。けれど何も言えずに黙っていると、ミランダはますます身を近づけた。触れ合わんばかり、ではなく、完全にくっついてしまう。ミランダの身体は柔らかい。ふっくらとしたものが腕にあたり、これはミランダの胸部の……と思ってしまうが、なるべく意識しないように努める。
「……どうしたの? 照れてるの?」
からかうようなミランダの声だ。どこか舌っ足らずでこれもまた甘い。何と答えていいものやらわからない。離れようにも動けずにいると、台所の戸口で、低い声がした。
「……何やってるの」
呆れたような声。目を上げると、ローズがいた。冷たい目で二人を見ている。クリスは飛び上がらんばかりに、ミランダから離れた。
「あ、あの、それは、これは!!」
真っ赤になってローズに釈明すれど、ローズはそれ聞かず、ぷいとその場から去ってしまう。ミランダが頬に手をあて、呑気に言った。
「あらら。妹には刺激が強すぎたかしら」
いや、そういうことではなくて……とクリスは言いたかったが、どうもあまり上手く伝わる気がしない。とりあえずはローズを追いかけたかった。追いかけて、誤解を解いておきたい。主家の娘といちゃいちゃしている不届きな使用人と思われるのはたまらない。
「あのっ、ケーキありがとうございました! 美味しかったです! じゃあ僕はこれで!」
急いで出ていこうとすると、その腕をぎゅっと掴まれた。ミランダがこちらを見て言う。
「ローズのところに行くんでしょ? ならケーキ持ってって」
そう言ってミランダはにっこりと微笑むのだった。
――――
――どうもミランダには翻弄されてしまう……そう思いながら、クリスはローズを探した。どこへ行ったのか、とりあえず庭を探す。外に出ているのかどうかはわからないが、さすがに屋敷内をうろうろするのは躊躇われるからだ。
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