謎の少女

 クリスも同意した。


「はい。なんだかおっかない人ですね……」


 言った後に、まずかったかも、と思った。ヴェインはジャスパー姉妹の家庭教師で、この家の人々と近しい存在だ。そういう人の悪口めいたことを言うのはどうだろう。


 不安になってローズを見たが、気にしていないようだった。


「そう、おっかない人なの。私はあの先生に魔法とか、それに他の勉強も教えてもらているけど、いつもあんな風に冷ややかなの。そんなに悪い人ではない……と思うのだけど」

「そうですよね、すごく悪い人なら、イライザさまが秘書にしないだろうと思いますし」

「そうね」


 とはいうものの、はっきりとよい人であるとは、クリスには言い難い。もっとも、出会って少ししか経ってないので、ほとんど知らない人であるというのが正確なのだが。


 外はまだ雨が降っている。そんなに強い雨でなく、窓もきちんと閉められているので雨音はほとんど聞こえない。室内は静かだった。ベルベットだけがせっせとお菓子を食べている。クリスは何か話題がないものか、と探した。よいものは思い浮かばず、とりあえず、今回ここに来た目的に話を持っていくことにした。


「それで、イライザさまの魔力は今も感じるんですか?」

「途切れちゃった。何かが漂っていたような気はしたの。ひょっとしたら本当にあの部屋に、大叔母さまの部屋に通じるものだったのかもしれない。でもヴェイン先生が現れてからはさっぱりね。消えちゃったみたい」


 そこまで言って、ローズは隣のベルベットを見た。ベルベットは焼き菓子を食べ終え、きょとんとしてローズを見ている。


 ローズは少し笑顔になった。


「ベルベットも何かに反応している様子はないし。今日のところは何も見つからないのかもしれない」


 そうなんだ、とクリスは思った。クリスにはさっぱりわからないことだった。魔力のあまりないことが、普段は気にしていないことだが、今は少し恨めしい。クリスはティーカップを手にして、口に近づけた。紅茶は少し冷めていたが、良い香りがしてほんのりと甘かった。




――――




 その晩、クリスは夢を見た。見知らぬ部屋に一人でいたのだ。八角形に近い形の変わった部屋。ベッドが置いてあり、誰かの寝室だと思われる。


 たぶん、女性の部屋なのだろう、とクリスは思った。家具や調度は落ち着いているが、柔らかさと温かみがある。丁寧に片付けられている部屋。部屋の主は、真面目で優しい人なのかな、とクリスは思った。


 ぐるりと辺りを見回して、はっとした。いつの間にか人がいたのだ。窓辺に立ち、外を見ている。後ろ姿しか見えないが、女性だった。まだ10代ほどの、女性というより少女だ。彼女は一心に何かを見ているようだった。


 クリスは近づいた。少女は全くクリスに気付かない。奇妙な気はしたが、これは夢なので、不思議なことが起こってもおかしくはない。


 やや少女から離れたところでクリスは足を止めた。あまりくっつくのもどうかと思ったからだ。そしてそこから一緒に窓の外を見た。窓は大きく、明るい光が室内に差し込んでいた。少し眩しく、クリスは目を細めた。


 その部屋は上の階にあるようで、窓の下には緑の庭が広がっていた。クリスは驚いた。見慣れた光景に似ていると思ったからだ。全く同じではない。少し違う。けれどもこれはジャスパー家の庭だ、とクリスは思った。庭を歩く人がいる。若い男性だ。よく日焼けしたたくましい身体、大股に足を運んでいく……。


 少女はそれをじっと見ていたのだ。窓に手を置いて。白く細い指が鮮やかに目に焼き付く。あの庭師は、とクリスは思った。あれは祖父じゃないかな。若い頃の祖父だ。若い頃の祖父を知っているわけではないけど、でも似ている。ではだとすると、この少女は、この少女はつまり――。


 そこで目が覚めた。暗い寝室が広がっていた。ベッドの上、クリスの足元で、ベルベットが丸くなって眠っている。あの夢は何だったんだろうと、クリスは思った。室内は静かだ。外もまた静かだった。天井を見上げ、少しの間夢を反芻して、どこか落ち着かないような気持ちにクリスは捕らわれた。なんてことはない夢だった……気はする。祖父と同じ仕事場にいて、祖父のことを思い出したから、こういう夢を見たのだろうとクリスは思った。


 夢の違和感を振り払うようにクリスは寝返りを打った。そしてまた目を閉じ、再び眠りの世界に入ったのだった。

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