3. ある春の日に

ある春の日に

 ジャスパー家の広大な庭を、全て一人で任されているわけではない。元からこの屋敷で庭師をしているジェンキンズじいさんという老人がおり、クリスは彼の下で働くこととなった。春の柔らかい陽射しの中を、ジェンキンズじいさんと土を掘り返したり枝を切ったりし、その側をベルベットが虫を捕まえたり遊んだりしている。平和な日々だった。


 ローズからはあの夜以降連絡はない。たぶん、忙しいのだろうと思う。それとも、大叔母の魔力の気配を感じないのか。どちらかはわからないが、こちらから会いに行くのも図々しいかと思う。まあそのうちまたひょっこりと庭に現れるだろうと思うのだ。


 その日は仕事が休みだった。さて、何をしようとベルベットと共に庭に出た。よく晴れた眩しい日だった。特にあてもなくぶらぶらと歩いていると、唐突に声をかけられた。


「――そこの庭師さん! クリスさん!」


 声のするほうを見る。同い年くらいの愛らしい顔立ちをした少女が笑っていた。ふんわりと柔らかそうな髪、生き生きした瞳。ジャスパー家の次女、ミランダだ。


 ミランダはバスケットを持っていた。そして弾むような足取りで、クリスの方へ近づいてくる。


「こんにちは。とってもよいお天気ね。だから私、今日はお花見をしようと思うの」


 そう言ってミランダはバスケットを持ち上げた。「ね、あなたもご一緒しない?」


 ちょうど暇だったので、誘われると嬉しい。クリスは笑顔で頷いた。


「お邪魔じゃなければ」

「ぜーんぜん。私、あなたとあれこれお話してみたかったの」


 考えてみれば、最初の日以来、ミランダとはあまり喋っていない。同じ敷地内にいるとはいえ、主人の娘と使用人の庭師だし、接点というものがさほどないのだ。


 ミランダが歩き出した。クリスがそれを追う。ベルベットも跳ねるようについてくる。


「うちに大きなサクラの木があったでしょ? その下で美味しいものを食べようと思うの」

「いいですね」

「外で食べるご飯って美味しいわよね。私は花も好きだけど……まあどちらかというと、食い気のほうが優先しちゃうわね」


 ミランダは笑ってそう言うものの、食べた分はどこに行くのだろうと思うほど、均整のとれたスタイルをしている。出るべきところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいるので、食料はおそらく出るべきところの脂肪となり……なんだか下品な想像になってきたので、クリスは慌ててそのことについて考えるのをやめた。


「お花見のメンバーは私たちだけじゃないわよ。ほら」


 目指す木が見えてきた。ミランダがそちらに注意を促す。木の下には確かにもう一人いた。少女、というよりももう少し大人びている。クリスには誰だかすぐにわかった。ジャスパー家の長女、ウェンディだ。




――――




 ウェンディは木陰に座って本を読んでいた。ミランダに気付いて立ち上がり、笑顔を向ける。そしてその隣にいるクリスにも気づいた。あら、という表情になった。


「ここに来る途中で出会ったの。で、お花見に誘ったの。いいでしょ?」


 ミランダがウェンディに尋ねる。ウェンディはにっこりとして、もちろん、と言った。ウェンディは女性にしては背が高い。ミランダが柔らかい印象があるのに比べて、こちらはすっきりすらりとしている。目の色も髪の色も濃く、はっきりした眉には意志の強さがある。


 3人と一匹で花見となった。輪になるように腰を下ろす。頭上は花の群れだ。一つ一つはほとんど白く見える小さな花だが、集まり寄り添って淡いピンク色の世界を作る。風が吹いてひらりと花びらが落ちてきた。ミランダの薄茶の綺麗な髪の上に止まる。花びらもよいところに落ちたものだなと、クリスは思った。


 ミランダがバスケットを開けた。サンドイッチにサラダ、果物が何種類かとそれからケーキもいくつか。「これ全部私が作ったのよ」得意そうにミランダが言った。クリスの方を見る。いたずらっ子のように笑っている。「私ね、料理が得意なの」


「何のアピールなの、それは」


 ウェンディが茶化した。ミランダはさらに笑った。アピール……ということはどういうことなのだろう、とクリスは思った。単にからかわれているだけ、という気もするが。まああまり、深く考えまい。


「ベルちゃんもお食べ」


 ミランダがサンドイッチの片隅をちぎり、ベルベットに差し出した。「ベルちゃん」というのはベルベットのことであるらしい。ベルベットは両手でうやうやしく受け取り、ぱくりと噛り付いた。

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