竜を貸すこと
沈黙の末、ローズがぽつんと口を開いた。
「なんというか……眠れなかったの」
「はあ」
気の抜けた返事になってしまった。クリスは慌てて取り繕った。
「あ、あの、わかります。今日は妙に月が綺麗で明るくて……うん、なんていうか心がざわめきますよね。ベルベットもそうだったのかも。はは……」
微妙な笑い声に、ローズはつられなかった。ローズは小さく続けただけだった。
「……ざわざわしたの。わかる? ――いえ、わからないでしょうけど……」
確かにわからなかった。クリスが黙っていると、ローズはベルベットを見た。
「いえ、でも、ベルベットも「そう」だったら、つまり私と同じだったら……。ベルベットにはわかるのかも」
ローズの声に次第に明るさが見えてきた。「……ベルベット、あなたはどう思う?」
優しい声で、少女は小さな竜に声をかけた。竜からは特に返事がない。当たり前なのだが。
「――あなたには魔法の力がある、って言ってたわね」
ローズが唐突にクリスの方を見た。この「あなた」とはベルベットではなく、クリスのことだ。クリスは戸惑いながらも頷いた。
「でもほんの少しです。ちょっとだけ植物の声がわかるかなって程度で。ないも同然なんですけど」
「この屋敷のこと……どう思った?」
クリスははっとした。先生からの頼まれ事が頭をよぎる。イライザの魔力の痕跡のこと。ローズはそのことについて何か知っているのだろうか。
「いえ……あの、素敵なお屋敷だな、と」
ローズにどこまで喋ってよいものかわからなかった。なので、無難な返事をしておく。そして相手の様子を伺った。ローズも何か迷っているようだ。思案気にクリスを見つめている。大きな目と合って、どきりとした。夜なのではっきりとした目鼻立ちまでわかるわけではないが、昼間見たから美少女だということは知っている。そして今は夜の魔法か、彼女の顔に、不思議なミステリアスな趣が加わっていた。
「――私にもはっきりとはわからないのだけど」そう前置きしてローズは言った。
「この家には何か秘密がある。大叔母さまに関するもの。大叔母さまが亡くなったのに、彼女に関するものがまだ存在しているような……」
「大叔母さま……イライザさまのことですよね!」
クリスは思わず食いついた。先生から聞いた話と合致する。そしてついうっかり言ってしまった。「知ってます! 僕もその話、人から聞きました!」
「どういうことなの?」
ローズが目を丸くしている。クリスはしまった、と思ったがもう遅かった。ローズが詰め寄らんばかりにこちらを見ている。そこでクリスは全てを打ち明けてしまうことにした。
「そうだったの……」
話を聞いたローズが言った。「そうなの、やっぱり、大叔母さまの魔力が残っているのね。私の勘違いじゃなかった」
他の家族はどれくらいこのことを知っているのだろう、とクリスは思った。そこでローズに尋ねてみる。返ってきた答えはあやふやなものだった。
「何も知らない……と思う。以前私が、何か不思議な魔力を感じない? って言ったら、誰もそれに同意しなかったから。それとも隠していたのかしら」
ローズの疑問にクリスも答えられない。もし隠していたしたら何故なのだろう。ローズだけを仲間外れにする理由とは? それとも、子どもたちには黙っているとか、そういう事情があるのだろうか。
「今日は特に大叔母さまの気配を感じたの。だから外に出てみたの。庭のほうに何かある気がしたから。そうしたらあなたとベルベットに出会って」
ベルベットは少し離れたところを歩き回っている。ローズはその光景を見ていた。
「ねえ、ひょっとしたらベルベットも大叔母さまの魔力を感じたんじゃない? だからこうして外に出てみたのかも。だから、ベルベットには何かわかるのかも。だってあの子は竜なのだし――」
そしてきっとした目でクリスを見た。
「私にベルベットを貸してちょうだい!」
「貸す、ですか?」
「そうよ、私はこの謎を解きたいの。なんだか落ち着かないから。あなただってそうでしょ、先生に頼まれたんでしょ。だったら私に協力してちょうだい。ベルベットがいれば……あの子が何か力になってくれるような気がするの」
ベルベットは呑気に遊んでいる。自分の話をされていることなど、さっぱり知らないようだ。クリスはローズの迫力に押されるままに頷いた。
「かまいませんよ」
「ありがとう! ベルベットを借りるときはあなたも一緒にきてね」
「えっ」
「だってあなたはベルベットの飼い主でしょ。私とあなた、そしてベルベットの二人と一匹でこの屋敷の秘密を突き止めましょう」
なんだか巻き込まれてしまった。いや、でも、先生の依頼を考えると、これはこれでよいことなのかもしれない。が、どうだろう。
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