お屋敷の中には

「私の分も食べる?」


 ミランダがベルベットに話しかけて、今度はケーキのかけらを差し出した。またも器用にベルベットはそれを取って今度はもしゃもしゃと口を動かした。ミランダはますます喜んだ。


「いいなーかわいい! 私も竜に懐かれたいなあ」


 ミランダはベルベットを撫でた。「すごーい! ふわふわ!」そう言ってさらに笑顔になる。


「ベルベットが嫌がってない?」


 長女のウェンディがたしなめるように聞いた。ミランダは気にしていないようだ。


「大丈夫。ね、ベルベット、そんなことないよね?」


 ミランダはすっかりベルベットに夢中になり、もはやソファから降りて、床に膝をついて小さな白い竜を撫でている。ベルベットは若干戸惑っている……ような気はした。飼い主であるクリスから見れば。けれどもさほど抵抗する気はないようだ。


「竜を間近で見るのは、これで3度目くらいかしら」


 ジャスパー夫人が言った。「昔、近所で飼っていた人がいたわ。それからイライザ叔母さまの知り合いが竜を連れてきたこともあったわね。でもそれくらいね。本当に珍しい生き物だから。でもこうしてまじまじ見ると」そう言ってジャスパー夫人は目を和ませた。「とてもかわいい生き物なのね」


「たしか、この屋敷に縁があるのだよね」


 今度はジャスパー氏が口を開いた。クリスはそれに答えた。


「そうなんです。ベルベットの卵はこの屋敷の庭で見つけたんです。祖父と、あの、イライザさまが」


 答えながら、クリスは多少不安な気持ちになっていた。祖父は言っていた。この竜はそもそもはイライザさまのものなのだろう、と。そうすると、ジャスパー家に返すのが筋なのだろうか。クリスは少し迷い、ためらいがちに言葉にした。


「……あの、祖父が言ってました。卵を見つけることができたのは、イライザさまの力があったからだって。だから、この竜はイライザさまのものだろう、と。僕がベルベットの飼い主であるのは、間違っていることなのかもしれません。だから、もし、その、そちらがよければ、ベルベットはこの家で飼われるほうがよいのかも、と……」

「でも竜は彼ら自身が飼い主を選ぶからね」


 ジャスパー氏はあっさりと言った。「ベルベットは君に懐いて、君を飼い主と認めている。ならばそれでいいんじゃないか?」


 その言葉にほっとした。ベルベットは元々は祖父のものではあったが、今ではこの小さな生き物がいる生活に慣れている。離れるのは少し寂しいと思っていたからだ。


「あなたもクリスと一緒のほうがいいよね? でしょ?」


 いつの間にかミランダがソファに戻っている。しかもその膝の上にベルベットを乗せている。ミランダはちょこんと膝に座るベルベットにそう問いかけた。白い竜はただまじまじとミランダを見つめるだけだった。


「でも私もたまにはこの子に会いに行きたい! ね、たまにはあなたの家に遊びに行ってもいいでしょ?」


 ミランダがクリスに尋ねる。クリスは笑って了解した。断る理由はない。


 あまり仕事の邪魔にならないように……とミランダの横で、生真面目なウェンディが口を出した。ジャスパー夫妻はそれをほのぼのと眺めている。末っ子のローズは静かにしていて、あまりこの話題に興味がないようだ。ヴェイン先生は、一人だけ家族ではないという立場を意識してか、まるで存在を消しているかのようにひっそりとしていた。


 クリスは彼らを見回した。よさそうな人たちだ。平和な一家。彼らの元で働けるのは嬉しい。けれども……。クリスには、もう一つ、秘められた使命があったのだ。




―――




 使命、といってもそう大層なことではない。ただ、頼まれた、といったほうが正確だろうか。


 ジャスパー家で働くことが決まって数日後、以前通っていた学校の教師が訪ねて来た。中年の男でこの教師もまた、わずかに魔法の力を持っており、クリスに今の職業に就くことを勧めてくれたのだった。いろいろとお世話になった先生だった。クリスは驚き、また喜びもして先生を迎えた。


「ちょっとおまえに話があるんだよ」


 と、その教師は言った。居間のテーブルに座り、お茶を前にして、クリスは何でしょうと聞いた。


「一つ頼まれ事を……いや、そんなに難しいことじゃない。ちょっと頭の片隅にでもとどめて置いてほしいな、ということなのだが」


 歯切れが悪い。クリスが待っていると、先生は何から話していいものやら、という顔付で、とりあえずぽつぽつと語り始めた。


「おまえの行くジャスパー家には、イライザという高名な魔法士がいただろう?」


 もちろん知っている。祖父と親しくしていた人だ。それが縁であの家で働くことになったのだから。先生は話を続けた。


「彼女は今から5年ほど前に亡くなっている。けれどもいまだに彼女の魔力が残っているというのだよ、あの屋敷に」

「魔力が、ですか?」


どういうことなのだろう、と思う。自分にはわずかに魔法の力があるけれど、本当にわずかなので、高度な魔法の教育を受けたことはない。魔法について知ってることが少ないのだ。


「魔力はそれを持っているものによって、それぞれの色があるらしいのだよ。イライザ・ジャスパーには彼女の色が、その色を持つ魔力があって、それを身にまとっていた。で、それと同じ色をした魔力の気配を、いまだにあの屋敷から感じるらしい」

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